第六話 逢魔刻の拐引
「だから、私の毎日に色を与えてくれた貴方にはとても感謝しているの。ありがとう、ハル」
「あー、え、えっと……ど、どういたしまし……て?」
なんで疑問形なのかしら?――と、おかしそうにいつも通りの艶やかな笑みを浮かべる『リリス』。
疑問形で返してしまったのは、改まって感謝の言葉を言われて気恥ずかしくなってつい……というのもあるが、それ以上に何だか今の『リリス』に対してほんの少し……本当にほんの少しだけ薄ら寒いものを感じてしまったからだ。
それは漠然とした違和感で、ただの気のせいとも思えるような些細なものであった。
いつもの艶やかな笑みを浮かべてクスクスと笑う彼女に、やっぱり自分の気のせいかと頭を振る。
「……ねぇ、ハル」
「ん?」
俺を呼ぶ彼女の声に彼女の顔を見ると――。
「っ!?」
俺を見つめる彼女の目と視線が交差した瞬間、まるで心臓を直接素手で握られたような感覚に陥った。
――分かるかしら?
愛欲に濡れ焦がれる瞳で俺を見つめながら彼女は言う。
「私が嬉しくて楽しかった話をすれば、貴方も一緒に喜んで楽しそうにしてくれる。辛くて悲しい思いをした話をすれば、貴方も一緒になって悲しんで励ましてくれる。私が酷い目に遭った話をすれば、貴方は私を心配して酷い目に合わせた相手に怒ってくれる……。貴方にとってはたったそれだけと言えるようなことだったのかもしれない……。けれど、私にとっては何よりも求めていたこと……どんなに望んでも誰からも与えてもらえなかったこと……。それを与えてくれる貴方に、どれだけ私が救われたか……。強い私も弱い私も全て受け入れて、対等に寄り添ってくれた貴方のことがどれだけ愛おしくて……愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて」
――分かるかしら?
狂気に染まり堕ちた瞳で俺を見つめながら彼女は言う。
「貴方の全てが欲しいのに、こんな借り物の身体でしか感じられなくて……。貴方に私の全てをあげたいのに……。『世界』に遮られてできないことが、どれだけもどかしくて……もどかしくてもどかしくてもどかしくてもどかしくてもどかしくてもどかしくてもどかしくてもどかしくて」
――ねぇ、ハル。
「私、貴方が好き。狂おしいほど貴方のことが好きで好きで好きで好きで好きで堪らないの。どうしようもなく……貴方を愛しているの……。……もう限界なのよ。これ以上、こんな仮初の身体でしか貴方を感じられないのは耐えられないわ。貴方を愛している今の『私』の意識は『私』自身でも、貴方を感じているこの身体は全く別の女ということに、もう我慢が出来ないのよ。殺すだけじゃなく存在自体を全て消してしまいたくなるほどに、貴方を感じられるこの女が憎くて疎ましくて妬ましくてたまらない……。私には貴方だけ、貴方には私だけがいれば良いのよ……。嗚呼……、貴方を貴方と私二人だけの場所に閉じ込めてしまいたい……。閉じ込めて、ずっとずっと永遠に感じ合っていたい……」
俺に身を寄せようとする彼女に、俺は恐怖を覚えてしまった。
激しく警鐘を鳴らす第六感が、身体を動かして彼女から距離を取る。
自分から距離を取ろうとした俺を見て、『リリス』は少しだけ悲しそうな申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんなさい。怖がらせてしまったかしら? ……でも、悪いのだけれど、本当に私はもう我慢ができそうにないの」
「……どぉ、ぃ……う」
どういう意味だ――乾いた口からそう発そうとした声は上手く出ず、掠れた音となって零れた。
「貴方の全てを手に入れるために……。貴方に私の全てを捧げるために……。私は、邪魔なもの、邪魔をする他の全てのものを排除して、貴方を手に入れて、そして貴方に私を捧げる方法を編み出そうとしたわ」
『リリス』は遠い目を虚空に向ける。
「何度も何度も失敗して、邪魔をするモノたちを退けて……。そうして、長い時が……本当に、気の長くなるような、私にとっては余りにも長過ぎる時が経って……。ついに完成したのよ」
彼女は虚空に向けていた瞳の焦点を俺の顔に合わせると、これ以上に無い待ち焦がれていた幸せをついに掴み取ったかのような恍惚に満ちた妖艶な笑みを浮かべる。
「――貴方を、私の住む異世界『ルルシェーラ』に連れてくるための術式が」
彼女の瞳が、昏く鈍い輝きを放ったような気がした。
「……っ!?」
その言葉を聞いた刹那――俺の身体の中を光の速さで危険信号が駆け巡る。
慌てて縁側から飛び降りると、彼女の方を見据えながら後退った。
「何故逃げようとするのかしら。これは、貴方も望んでいたことでしょう?」
俺を見据える淀んだ瞳を外さず、ゆっくりと腰掛けた縁側から降りて彼女はこちらに歩みを進める。
「ねぇ、前に言っていたわよね? 行けるなら、私の住む世界に来てみたいって……」
そうだ、確かに言った。
彼女の話す彼女の住まう世界は魔法という神秘の力が存在し、古代に滅んだ遺跡やダンジョンなども存在する、本当に異世界を描いた物語を好む俺からすれば、まさに理想的な夢のテーマパークのような世界だ。
そんな世界を、自由に冒険することを夢見ていた。
だが、偏愛とも言えそうな感情を隠そうともせずに俺に見せる今の彼女の姿を見て、彼女に連れられて行った異世界で俺が望んでいるような『自由な冒険』ができるとは到底思えない。
怯えて後退る俺を、子供をあやすような優しさと悪魔が色で惑わそうとするかのような艶美さを伴う微笑みで見つめ続ける彼女は言う。
「怖がらなくても良いわ。確かに、こちらの世界は危険も多い。けれど、私がずっとずっと傍にいて貴方を守ってあげる。貴方と私の仲を害するモノは、何であれ私が全て排除してあげる。貴方は何も考えず、私の傍でずっとずっと永遠に私と二人で一緒にいれば良いのよ――」
「『――――――』」
『リリス』が、早口で何語か分からない呪文のような言葉を発した途端、俺を覆うように足元に幾何学模様の組み合わさった陣――魔法陣が浮かび上がった。
魔法陣から発せられる青白い光が、夕闇に染まる境内を引き裂いていく。
――足が、動かない。
どんどんと強さを増していく青白い光から逃れるために身を捩ろうとするが、身体がまるで金縛りに遭ったかのように固まっている。
「万が一驚いて魔法陣の外に出られたら困ってしまうから、術式に拘束を仕込んでおいたのだけれど、正解だったわね」
そう言って微笑む彼女の顔は、狂気に満ちながらも美しかった。
「うふふ。やっとこの時が来たのだもの。……逃がすわけないじゃない」
更に強くなっていく青白い光に全てが呑み込まれていく。
眩しい光についに目を開けていられなくなり、目を瞑った俺の耳にリリスの言葉が届いた。
――嗚呼、私の愛おしいハル……。これからは、ずっと一緒よ。




