第五話 『リリス』の過去
いきなり何を言って――。
脈絡の無い彼女の言葉に思わずそう返そうとした俺に対して、彼女は遮るように続けた。
「前にも一度話したわよね? 私の生まれと過去について」
「……ああ」
その話は今もしっかりと記憶している。
彼女と出会ってしばらく経った頃。
最初こそ俺に対しても無表情、不愛想で寄せ付けない雰囲気で接していた彼女が、色々と話をしたり遊んだりしていくうちに次第に俺に笑顔を見せてくれるようになってきていた時のことだった。
過去に多くの優秀な魔術師を輩出していた侯爵家に生まれた『リリス』は、幼い頃からとりわけ保有する魔力量が多くて魔術の扱いに長けていたという。
そんな彼女を両親や周りの者たちが放っておくはずがなく、将来有望な国お抱えの栄誉ある魔術師であるという『宮廷魔術師』になるべく、大切に育てられることになるのは当然のことであった。
「世界で一番とされる魔術学園を飛び級で、さらに主席で卒業して最年少の宮廷魔術師となった私は、それはもう周囲から神童と呼ばれて持て囃されたわ」
世界中の魔術を教える学校の中でも一番優秀な講師と有望な魔術師の原石の生徒が集まる王国の魔術学園に入学した彼女は、異例の早さで学園を飛び級して卒業すると、歴史上最年少で国の宮廷魔術師の席に座ることとなる。
それからの彼女は、王国に仇名す魔物や為らず者を次々と打ち倒したり国民の生活の向上に多くの貢献をしたりと獅子奮迅の活躍を見せていった。
その実績によって、元々同じ侯爵の中でも強い権威を持っていた彼女の侯爵家は公爵に爵位を繰り上げられる日も近いとまで言われていたという。
「……こういうことを自分で言うのもなんだけれど、顔も良かった私は、いつも多くの者たちから期待され、賛辞と羨望、そして愛慕の言葉を投げかけられていた……。そのことに当時の私はとても喜んでいたし、これ以上無く誇りに思っていたわ」
今思い返すと本当に滑稽で仕方がないわね、と自嘲を込めて笑う『リリス』。
その笑みは一瞬で霧散し、けれど――と影の差した顔で彼女は更に言葉を続ける。
「そんなある日、私はそれまでとは比べ物にならないほど強い『怪物』に遭遇したわ……」
それは、それまで順風満帆に勝ち続けていた彼女の宮廷魔術師としての活動での、初めての汚点ともいうべき敗北であった。
彼女を含めた宮廷魔術師の中でも精鋭と呼ばれる者たちと、王国でも腕利きが集まる騎士団のメンバーで構成された部隊で、とある街を脅かす魔物を討伐するという任務に就いていた時のこと。
目的の魔物を倒し任務達成の報告に戻ろうとしていた彼女たちを、突如として『怪物』が襲ったのだ。
その『怪物』に生まれて初めての敗北を喫せられた彼女だったが。
他の仲間が皆次々と為す術なく殺されていくのを見て恐怖と絶望に竦んだ身体に鞭打ち、なんとか命からがら一人王国に逃げ延び報告をしたという。
「ボロボロになった私を迎えたのは、無様に魔物に敗れ、王国に一人逃げ帰った私への両親や城の者たち、民草の失望と嘲笑と罵倒する声……。そして、破けた服から覗く肌に欲情する卑しい視線だった」
そう言う彼女は当時のことを思い出したのか昏く沈んだ表情のまま俯き、ぐっと歯を噛み締めていた。
「……私を心配して労ってくれる声も、生きていたことに喜んでくれる声も、落ち込む私を励ましてくれる声も一切無く、向けられるのは薄汚れた悪意ばかり……」
言葉を続けながら、自分の足元に暗い視線を落とし続ける『リリス』
その胸中に去来しているのは、怒りか悲しみか――。
「でも、それでやっと気付いたの。皆が求めているのは『私』自身ではなく、どんな悪いモノでも全て薙ぎ倒して自分たちを守ってくれる、気高く美しい宮廷魔術師としての私の『外側』だけなのだと……」
まるで、とても良い夢から醒めてしまったかのような感覚だったわ――と、彼女は呟いた。
「……それからの日々は、本当に何の色も無いつまらなくて苦痛なものになってしまったの」
前に話しを聞いたときは、酷く辛そうに話す彼女の姿に思わず泣いてしまった。
泣いている俺を見て、なんで貴方が泣いているのかしら、と気丈に振舞おうとする彼女の瞳から思わずといった様子で零れる涙を見て、俺は更に泣いてしまったことを覚えている。
「それでも宮廷魔術師である私は、皆のために働き続けなければいけない立場にいる……。私は、自分の心を殺して働き続けたわ」
苦虫を嚙み潰したような苦々しい顔のまま言葉を紡いでいた『リリス』は、そこで顰めていた表情をふっと和らげた。
「……そんなある日のことよ。魔術の開発をしていた私は、発動実験に失敗して魔術を暴発させてしまった。意識を失った私が次にふと気が付くと、私は貴方に抱きしめられながらこの場所にいたわ」
あのときは本当に驚いたわ、と苦笑する彼女は一拍置いてから、それからこれは初めて話すことだけれど――と話を続けた。
「貴方と出会ってしばらくは、これは魔術の実験に失敗して意識を失った私が視ている、感覚がリアルなだけのただの夢だと思っていたの。……貴方は私が本当に求めていたもの全てをくれるのだもの」
自分の願望を全て叶えてくれるなんて、夢以外の何物でもないでしょう?――そう呟く彼女は少し悲し気な笑みを浮かべていた。
「夢だと割り切りながらも、私を特別扱いせず、私のどんな話でも信じて真剣に聞いて、私を受け入れてくれる貴方と会えるのが嬉しくて嬉しくて仕方が無かった」
でも――と、続ける彼女は俯いていた顔を上げると茜に染まる空を見上げながら言う。
「ある時、私は気が付いたの。この夢を見るのは私が開発していたある魔術の術式――私の住む世界とは違う世界に存在するとされる力を引き出すための術式――それを組み込んだ魔術の発動に失敗した時だけということに」
ふと吹いた生温い風が、ウェーブのかかったライトブラウンの髪が揺らす。
「その事実と、この身体が記憶し、鮮明に見聞きする私の世界で生活していたら想像すらできないようなこの世界の知識。……そして、この身で触れ合う貴方の感触。それは、ここが本当に存在する世界なのだと、私に教えてくれたわ」
風に遊ばれる髪を右手で押さえた彼女は、今までずっと浮かべてた影のある表情を一変させた。
それは、あたかも悠久の時を待ち侘び、偏執にも似た愛情をもって追い求めていた何かとついに巡り合えたかのように盲目的な。
「貴方という存在が、世界は違えど確かに実在している……。それを理解した途端、身体に雷が走ったかのような感覚がしたわ。……灰色で、意味の感じられなかった私の毎日が、これまでにない程に鮮やかに色付いたのよ」
視線を俺へと向けて微笑む『リリス』。
妖しく微笑む彼女と、得も言われぬ緊張感に竦む俺を見下ろす茜に染まった空の向こうからは、ゆっくりと宵闇が運ばれてきていた。




