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第22話:静かな……

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


夕霧 / 紫にも見える黒のツインテール。髪色と同じ黒と紫基調の忍者服風の着物。踊り子の母を持つ。忍び、乱波で支配者に対してちょっとサディスティック。


クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


 深夜。


 私は暗がりから、伊織の自室を見ていた。


 障子一枚をへだてた向こう……灯りが動かない。


 ノクスが気配を探り、静かに報告してくる。


「旦那様。対象は大鎧の前に座ったまま、二刻以上動いておりません。そして……笑顔のままでございます」


 私は目を凝らした。


 影越しに見える人影……。


 明日燃やされる鎧の前で、独り引きつった笑顔を浮かべながら、膝の上で拳を握り続けている。


「早くなんとかしてあげないと、完全に壊れちゃいますよー」と夕霧。


「……彼は限界」


 リュシエルも見つめている。


「……魂が悲鳴を上げている」


「旦那様」


 ノクスが珍しく、顔をほころばせた。


「これほどの抑圧、わずかな刺激で極上の怒りが弾けるかと。まさに今が収穫の時です」


 私は少しの間、動かない人影を見つめた。


 あの男は今夜、誰にも見られていないと思って一人で座っている。


 笑わなければならない。


 笑えば皆が助かる。


 そう自分に言い聞かせながら、泣くことすら許されない顔で、師匠の形見の前に座り続けている。


「行くぞ」



          ◇



 私室に踏み込んだ瞬間……伊織が弾かれたように立ち上がった。


 刀に手をかけ、こちらを見る。


 引きつった笑顔は、崩れていない。


「な……なんの用ですか商人さん」


 穏やかな声だった。


「やつがれは明日のお祝いの準備で忙しいのですが」


 エイレンが、私の前に自然に歩み出た。


 剣には触れない。


 構えもしない。


 ただ武人として、伊織の正面に立った。


「貴様は誰のために笑っている」


 伊織の手が、柄から離れなかった。


「……何を」


「領民のためか」


 エイレンが続けた。


「それとも、己が波風を立てる恐怖から逃げるためか」


「な、何を言っているんですか。やつがれは——」


 夕霧がのぞき込むようにして身を傾けた。


「あたしたち、あなたが昨日の夜、焼け跡の地区でどんな顔してたか全部見てましたよー」


 伊織の笑顔が、わずかにゆがんだ。


 あんどんの炎が揺れ、大鎧の傷跡が影の中で浮かび上がる。


「死者の誇りを薪にしてまで縋る平和など……虚ろだ」


 エイレンの声が、剣のように静かに落ちた。


「己は、泣き顔すら見せられぬ貴様の覚悟を断じて認めない」


 部屋の空気が、重くなった。


「黙れ……!」


 声が裂けた。


 笑顔のまま、怒鳴り声が出た。


「ふざけんなこのやろう! 拙者だってな……! 腸が煮えくり返っているんだぜ!」


「笑いながら怒る人……!」とノクス。


 伊織は気にせず怒声を強める。


「だが、ここで拙者が笑うしか、あの結界から皆を守る方法はないんじゃねぇか! それの何がいけないんだ!! ふざけんなこのやろう!」


 笑顔と怒鳴り声が、同じ顔の上に並んでいた。


「……笑いながら怒ってる」


 それほどまでに、この男は追い詰められている。



          ◇


 私は前に出た。


「ならば、その結界が届かない場所へ招待してやろう」


 伊織が眉を寄せた。


「……何?」


「お前を縛る空気も、領主の責任も、私が喰い破る」


 指を鳴らした。


 伊織の足元の影が大きく広がり、深い闇がタタミの上に口を開けた。


「な、なんじゃこれは……!」


 抵抗する間もなかった。


 影が伊織の足元から這い上がり、全身を包む。


 私たちも同じ闇の中に沈み込んで、次の瞬間にはダンジョンのメインルームに立っていた。



          ◇



 転移した直後、伊織が刀を抜いて四方を確認した。


 しかし。


 敵意を向ける相手はどこにもいない。


「ようこそ堕落のダンジョンへ」


 ノクスが穏やかに一礼した。


「ここは絶対の安全圏でございます。あなたがどれほど怒り狂おうと、消滅の光は絶対に降り注ぎません」


「……あの神官の結界が、一切届かない場所」


 リュシエルが静かに続けた。


「……偽りの笑顔は、もう捨てるべき」


「そうですよー」


 夕霧が柔らかく言った。


 「ここなら、どれだけ大声で泣いても誰にも迷惑かかりませんからー」


 伊織は刀を構えたまま、ゆっくりと目を閉じた。


 自分の感覚を確かめるように、静かに息を吸っている。


 しばらくの間、広間に満ちる……沈黙。


「……ない」


 伊織が呟いた。


「結界が……ない。顔を崩しても……光が収束しない……」


「そうだ」


 私は答えた。


「ここはエィヴィスの及ぶ場所ではない」


 伊織がゆっくりと目を開いた。


 その目が、初めて私を真っ直ぐに見た。


「笑わなくても」


 私は続けた。


「誰も死なない」


 その言葉が、何かを壊した。


「……あ、笑顔が完全に……」


 長年張り付いていたものが、音もなく剥がれ落ちていくような変化だった。


 口角が下がり、眉が寄り、あごが震え始める。


 刀を持つ手から力が抜け、刃先が石床に向かってゆっくりと下がっていく。


「拙者は……拙者は……」


 声が出なかった。


 膝が折れた。


 石床に両膝をつき、両手で顔を覆った。


 刀が静かに床に横たわる。


「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 肩が震え、背中が震え、低い嗚咽が広間に漏れ始めた。


 長い間飲み込み続けてきたものが、一気に溢れ出てくるような声だった。


「……よかったですよー」


 夕霧が静かに呟いた。


「ちゃんと泣けてよかったですよー」


「虚ろではなかった」


 エイレンが腕を組み、静かに言った。


「ただ、深く埋まっていただけだ」


「……泣かせるのは得意じゃない」


 リュシエルが顔を背けながら、小さく言った。


「……でも、これでよかった」


「旦那様」


 ノクスが私の傍らで書板を開いた。


 私は伏せる伊織を見下ろした。


 嗚咽はまだ続いている。


 急ぐことはない。


 今夜この男の中で何かが終わる。


 何かが始まる。それで十分だった。

 

 


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