第21話:仮面
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
夕霧 / 紫にも見える黒のツインテール。髪色と同じ黒と紫基調の忍者服風の着物。踊り子の母を持つ。忍び、乱波で支配者に対してちょっとサディスティック。
クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
「ようこそ響野へ。やつがれが領主代行の伊織でございます。さぁ、笑顔で商談を始めましょう」
応接室に通される……そこには昨夜とは別人の顔が待ち構えていた。
黒髪を丁寧に束ね、赤の和服に袖を通した伊織。
それも、完璧な笑顔。
昨夜の焼け跡で黙々と食料を配っていた男と、本当に同じ顔なのか。
夕霧が私の袖をそっと引く。
「ご主人ー、あたし、こういうの苦手ですよー」
眉をひそめ、困ったように声を落とす。
「昨日の夜はああいう顔してたのに、今日は全然違いますよー。見ていて落ち着かないですよねー」
「……彼は無理してる」
リュシエルが扇子で口元を隠し、伊織を冷たく見下す。
「……こなたの目には少なくともそう映る」
「旦那様」
ノクスがにこやかな笑みを崩さないまま、声だけを低くして耳打ちしてくる。
「彼から発せられる気の波長が、完全に周囲の結界の顔色をうかがっております。わたくしの目から見ても、酷く不健康な状態でございます」
三人が各々の感想を口にする中、エイレンだけが無言で伊織の正面へと歩み出た。
値踏みするわけでも、哀れむわけでもない。
ただ事実を確認するような目で、真っ直ぐに見据えている。
「主」
エイレンが振り返らずに言った。
「あれは完全に死んだ目だ。武の誇りを捨てた者に、己は一切の敬意を払わない。語る価値もない」
伊織の笑顔は変わらない。
◇
「おやぁ? 随分と賑やかですねぇ!」
軽い声と共に、扉が開く。
白い僧衣のふくよかな男がにこにこと笑いながら入室する。
丸い顔に深い笑いジワ、善良そうな見た目だ。
エィヴィス……。
両手を合わせ、感嘆したように首を振った。
「ところで皆様、伊織様の素晴らしい師匠の話はご存知ですかぁ? 篠藤様という方でしてねぇ」
「なんの話だ」
エイレンが静かに言う。
「自らの命を捧げて、神の御許へ昇進なさったのですよぉ!」
エィヴィスが目を細めた。
「結界の中で、笑顔のまま消えていかれた。なんと素晴らしい旅立ちでしょう! 美しいお話ですねぇ!」
「ご主人」
夕霧が私の隣で、小さく声を落とす。
「人が消えたのを、昇進って言うんですかー。なんか、すごくおかしいです」
「……狂人の妄言」
リュシエルが扇子をぱちりと閉じた。
「死は死だ」
エイレンがエィヴィスに向き直った。
感情はない。
怒鳴りもしない。
剣で断ち切るような、静かな声だ。
「美化するなど死者への冒涜だ。己はそのような狂った理屈を認めない」
部屋に沈黙が落ちる。
緊張……。
「ええ、素晴らしい昇進でした」伊織が口を開いた。笑顔のまま、言い切った。
「やつがれの、誇りです」
エイレンが伊織を見る。
しかし何も言わない。
言葉が届く相手かどうかを、確かめているような目だった。
◇
「あらぁ、そういえば」
エィヴィスの視線が、応接室の床の間で止まった。
黒漆塗りの重厚な鎧が、台座の上に鎮座している。
傷跡が各所に残り、兜の一部が欠けていた。
それ自体がかつての戦の歴史を物語る、武国の聖魔大戦で用いられた由緒ある遺品だ。
「こんな古い物が飾ってあると……いけないですねぇ」
エィヴィスが無邪気に言う。
「そうだ! これを広場で笑顔のキャンプファイヤーの薪にして燃やしましょう! みんなで笑顔でお祝いすれば、街の空気が明るくなります!」
「旦那様」
私の耳元でささやくノクス。
「他者の大切な遺品を燃やして笑顔を強要するとは……。いよいよこの神官の異常性が極まってまいりましたね」
エイレンが動いた。
エィヴィスと大鎧の間に、音もなく歩み出る。
誰かを守るような立ち方ではない。
ただそこに立つ。
それだけで、部屋の空気が変わった。
「己は反対だ」
エイレンの声に迷いはない。
「その鎧には、国を守るために血を流した先人たちの武の誇りが宿っている。己は武に生きる者として、その鎧を薪にすることなど断じて許さない」
「あらあらぁ」
エィヴィスの笑顔は崩れない。
「随分と乱暴な護衛さんですねぇ。……領主様、あなたが決めてください。燃やしますよねぇ?」
伊織に、視線が集まる。
そして……。
ピピッ、と部屋の何かが光った。
祈力だ。
祈力が収束している。
家臣たちの顔が、怒りでゆがんでいた。
当然だ。
先祖の誇りを薪にしろと言われて、怒らない武士などいない。
しかしその怒りを結界が検知し、空間が警告の光を放ち始める。
一瞬で……家臣たちの顔から、怒りの色が恐怖に塗り替わっていくのが見えた。
一人が伊織を見た。
次の一人も、また次も。
無言の懇願だ。
『伊織様、どうか笑って承諾してくれ』
そう言っているように思えた。
視線が、じわじわと伊織を締め付けていく。
「……はい」
一瞬の間があった。
「素晴らしい、提案です」
伊織の声は、穏やかで滑らかだった。
「やつがれ自らの手で、この鎧に火を放ちましょう」
満面の笑みだった。
しかし袖の下で強く握りしめた拳から、赤い雫がタタミに落ちている。
一滴、また一滴。
爪が食い込み、血が滲んでいた。
笑顔のまま、静かに血を流している。
夕霧が息を飲んだ。
何も言わず、ただ目を逸らす。
エイレンだけが、伊織を見続けていた。
「貴様は武士ではない」
エイレンの声が、応接室に落ちた。
静かで、低く、迷いがない。
「ただの道化だ。己は、貴様のその気味の悪い笑顔に反吐が出る」
伊織の笑顔が、笑顔のまま固まった。
しかしその奥で、瞳孔が限界まで開く。
ギリィッ、と歯の根が砕けるような音が、静かな部屋に響いた。
エィヴィスだけが
「あらあらぁ、護衛さんも笑顔で参りましょうよぉ」
と笑い続けている。
「行くぞ」
私は立ち上がった。
廊下に出て扉が閉まった瞬間、夕霧が呟いた。
「……手から血が出てましたよー」
いつもの間延びした声ではなかった。
「笑いながら血を流してましたよー。あたし、正直、見ていられなかったですよー」
「……伊織という男は、まだ死んでいない」
リュシエルが静かに言った。
「……怒りがある。それだけは、本物だった」
「あれだけ言っても耐えていた。大したやつだ。間違いない。怒りがあるなら、まだ使える」
エイレンが前を向いたまま言う。
「ただの道化では終わらせるな、ということだ。……己の見立てが甘かった」
「旦那様」
ノクスが私の横に並んだ。
「伊織殿の気の波長ですが、先ほどの瞬間、結界の支配から著しく逸脱しておりました。怒りが頂点に達した時、彼は一瞬だけ自由でした」
「わかっている」
廊下の先を見据えながら、私は答えた。
「極上の怒りが熟しきったな」
「……今夜、どうするつもりですかー」
夕霧が小声で問いかける。
「あの男の部屋を訪ねる」
私は静かに言った。
「あの怒りが冷める前に」




