第20話:大穴の貧民街
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
夕霧 / 紫にも見える黒のツインテール。髪色と同じ黒と紫基調の忍者服風の着物。踊り子の母を持つ。忍び、乱波で支配者に対してちょっとサディスティック。
クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
「ご主人ー、あそこ、なんか雰囲気が違いますよー」
夕霧が街の外れを指で示した。
私は足を向けた。
大通りから路地。
さらに細い道を進むと……。
「……空気が変わった」
響野の作り物めいた明るさが消え、重く湿った静けさが満ちてくる。
「真っ黒な……焦げた建物ばかりだな」とエイレン。
柱だけを残して崩れた家、煤けた壁、落ちた屋根。
そして、大穴。
石畳ごと地面が抉れ、縁が黒く焼け焦げている。
直径にして三歩分はある。
一つではない。
路地の奥にも、広場の端にも、同じような穴がいくつも口を開けていた。
「旦那様」
ノクスが静かに言った。
「結界による消滅の痕跡でございます」
「対象者が立っていた場所が、そのままえぐり取られるように消えるのか」
「はい。燃えるのではなく、存在ごと消える。ですから焼け跡と大穴が同時に残るのです」
私は黒く深い穴を見てつぶやく。
「これが全部、人が消えた跡か」
「ええ。地面の穴は塞がりません。この地区に穴が多いのは、それだけ多くの方が——」
ノクスが言葉を切った。
「……消滅させられたということでございます」
夕霧が大穴の縁を覗き込んだ。
「底が見えないですよー」
声が低い。
「どのくらい深いんですかねー」
「わからん」
私は答えた。
「その分深く人は何かを思うだろう」
「……深く……」
何かを思うように夕霧は言った。
路地の奥に人影。
子どもが一人、大穴から離れた壁の陰に座り込んでいる。
顔を上げたその子の目が、私たちを捉えた。
笑っていない。
怯えてもいない。
ただ、疲れた目だった。
「この地区の住人は」
「消滅させられた方々のご家族でございます」
ノクスが続けた。
「エィヴィス神官が『笑顔のない不浄な場所』と定め、街からの支援を一切禁じております。行き場もなく、街の中では笑顔を保てない。ここに留まり続けております」
「……笑顔、してないですよー、ここの人たち」
夕霧が小声で言った。
「なんか、ほっとしますよー。変なこと言ってるのはわかってますけど」
「変じゃない」
私は答えた。
「本物の顔なんだ」
◇
昼間のうちに、焼け跡の全体を頭に入れた。
穴の位置、人の流れ、建物の配置。
子どもと老人が多い。
食料が乏しいことは顔を見ればわかった。
「今夜この焼け跡に物資を入れる」
「承知いたしました。影門を経由すれば搬入は可能です。……ただ旦那様、昨夜から断続的に、あの地区へ出入りしている人影がございます。街の方向から来て、夜明け前に戻っていく」
「わかっている」
「……領主かな」
リュシエルが壁際の椅子で扇子を開いたまま言った。
「……なんとなく」
「夕霧、今夜私と来い。他の者は待機だ」
「了解でーす!」
夕霧が頷いた。
「あれ? でも……荷物持ちですかー?」
「そういうことだ」
◇
夜の響野は、昼間とは別の街だった。
灯りが落ち、月明かりだけが石造りの地面を照らしている。
「誰も外を歩いてないですねー」
私と夕霧は影を使いながら焼け跡の地区へ向かった。
路地を折れたところで、夕霧が私の袖を引いた。
「誰かいますー……」
崩れた壁の陰から覗くと、大穴のすぐそばに人影があった。
赤の和服を外套で隠した若者が、大きな荷を下ろしながら住人たちに食料を配っていた。
昼間の完璧な笑顔はない。
苦しげな、しかし昼間よりずっと人間らしい顔で、黙々と荷を解いている。
「ご主人ー」
夕霧が耳元で囁いた。
「伊織さんですよねー」
「ああ」
「自腹ですよねー、あれ」
「そうだろうな」
「……昼間と全然違う顔してますよー」
夕霧が静かに言った。
「どっちが本物なのか、わかんなくなりますよー」
「両方本物だ」
私は答えた。
「だから厄介なんだ」
老人が伊織に何か言った。
伊織が頷いた。
笑わなかった。
それだけで、老人の顔が少し緩んだ。
私は影から歩み出た。
◇
石を踏む音がしたのだろう。
伊織が素早く振り返り、腰の刀に手をかけた。
月明かりの中で、その目が私を捉えた。
「……む……」
昼間の顔ではない。
鋭く、硬い目だ。
「昼間とは随分違う顔をしているな、領主殿」
「……何の用だ」
声が低い。
「エィヴィスに告げるつもりか、拙者がここで何をしていたか」
「告げてどうする。私に何の得もない」
「じゃあ何が目的だ」
「取引だ」
私は影門を展開して、手を沈め……荷物を取り出した。
伊織がそれを見た。
それから私を見た。
「この地区への物資を、定期的に手配してやろう」
私は続ける。
「お前が一人で自腹を切るより、遥かに多い量が入る」
伊織の目がわずかに動いた。
荷袋を見て、住人たちを見て、また私を見た。
「……条件は何だ」
「今のところ一つだ」
私は静かに答えた。
「私がこの街で動く間、邪魔をするな。それだけでいい」
伊織が黙った。
警戒の色は消えない。
しかし刀から手が離れた。
「……それだけか」
「それだけだ」
「……裏はないのか」
「裏がないはずがないだろう」
私は口角を上げた。
「ただし今夜の条件はそれだけだ、と言っている」
伊織が大穴を見た。
月明かりが黒い縁を照らしている。
「……はは」
しばらく無言で穴を見ていた。
「……受ける」
低い声だった。
「邪魔はしない。ただし」
伊織の目が、今度は真っ直ぐに私を見た。
「この街の民に害が及ぶようなら、話は別だぜ」
「当然だ」
夕霧が荷袋を静かに石畳に並べた。
「今夜のところはこれだけですよー。また持ってきますよー」
伊織が荷袋を見下ろした。
笑顔はなかった。
それだけで十分だった。
「……助かる」
短く言って、伊織は住人たちの方に戻っていった。
その背中を見ながら、夕霧が小声で言った。
「ご主人ー、あれで終わりですかー? もっと色々聞かないんですかー?」
「今夜はこれでいい」
「なんでですかー」
「明日、また会う」
私は焼け跡を見渡した。
大穴が月明かりを飲み込んで、黒く口を開けている。
「昼間の顔を見てからだ」
夕霧が小さく首を傾げた。
「昼間の顔、ですかー」
「ああ」
私は答えた。
「あの男が昼間どんな顔をするか、もう一度見ておきたい」
焼け跡の広場に夜風が吹き込み、大穴の縁の黒い土が、また少し崩れた。




