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第19話:笑顔の牢獄

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


夕霧 / 紫にも見える黒のツインテール。髪色と同じ黒と紫基調の忍者服風の着物。踊り子の母を持つ。忍び、乱波で支配者に対してちょっとサディスティック。


クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


「口角を上げてください。笑顔が足りないと、不幸が伝染しますよ」


 言いながら……『鏡』を私たちに向けた響野の門番。


 朝の光の中で、その鏡の表面が薄く光っている。


 門番自身も、耳まで裂けそうなほど口を横に引っ


 張った笑顔で立っていた。


 目は笑っていない。


 口だけが笑っている。


「スマイルチェックです。通過の条件となっております。さぁ、どうぞ。この町では常に笑顔でいてください」


 私は鏡の前に立った。


 もちろん、笑顔で。


 夕霧が小声で「めんどくさいですよねー」と呟く。


「あたし、こういう作り笑いって苦手なんですよねー」


 頬をかきながら、それでも口角を持ち上げようとする夕霧。


「顔が引きつっちゃいますー」


「……悪趣味」


 リュシエルが鏡を見、扇子を開いた。


「……こなたには無駄。飾る気はないわ」


「お客様、笑顔は市民の義務でございまして——」


「己も拒否する」


 エイレンが完全な無表情のまま、鏡の前に立った。


 ピクリとも動かない。


 隙のない、静かな無表情だ。


 門番が「お客様、笑顔が確認できないと通過は——」と声を上げかけた。


「旦那様、わたくしが少々細工をいたしましょうか」


 ノクスが静かに前に出た。


 私が頷くと、彼女の指先に微かな魔力が灯る。


 鏡が一瞬揺らぎ、表面に映し出された私たちの顔が、全員満面の笑みに変わった。


 門番が鏡を確認し、何度か首を傾げてから、笑顔のまま頷いた。


「あ、れ……? 合格です。どうぞお通りください。良い一日を〜」


「ええ、良い一日を」


 私は答えた。



           ◇



 門をくぐった瞬間、妙な感覚が肌に触れた。


 街の中はゴミ一つなく清潔だ。


 足元は磨かれ、建物の壁は白く塗り直されている。


 すれ違う住民は皆、完璧な笑顔で


「おはようございます」


「良いお天気ですね」


「神の恩恵に感謝を」


 と挨拶を交わしていた。


 笑顔が、溢れている。


 しかし目が、死んでいた。


 口は笑っている。


 頬は上がっている。


 しかし目の奥に、光がない。


 すれ違う人々が互いの表情を素早く確認し合っている。


 誰かが笑顔を崩していないか。


 誰かの口角が下がっていないか。


 互いを監視し合う視線が、街全体に張り巡らされていた。


「ご主人ー」

  

 夕霧が私の隣に並び、声をひそめた。


「この街の人たち、目が死んでますよー。なんか……」


「わかっている」


「……息が詰まりそう」


 リュシエルが扇子を口元に当てた。


「……全員が演じてる」


「だが、表面は綺麗に見える」


 エイレンが無表情で通りを見渡した。


「最も始末に負えない腐り方だ」


 その時、前方で子どもの泣き声が上がった。


 転んだ……。


 石畳に膝をついた子どもが、痛みで顔を歪めて泣きそうになっている。


 しかし次の瞬間、血相を変えた母親が飛んできた。


「ほら、笑って! 泣いちゃダメ! 浄化されちゃう!」


 母親の指が子どもの口角を両側からぐいっと引っ張り上げた。


 膝から血が滲んでいる子どもの顔が、無理やり笑顔の形に歪められる。


 子どもは泣くことも許されず、引きつった笑顔のまま立ち上がった。


「そうそう! 上手に笑えたね! 良い子!」


 母親も笑顔だ。


 目は笑っていない。


 エイレンが静かに目を細めた。


「我々も下手に動けんな」



          ◇



 広場に差し掛かったところで、騒ぎが起きていた。


 荷馬車の車輪が外れ、積まれていた壺が地面に叩きつけられている。


 次々に割れる音。


 中身の香辛料が広場に散らばった。


 御者台から転げ落ちた商人が、その惨状を前に膝をついた。

  

 白髪混じりの、老いた商人だ。


「全部、全部割れてしまった……これが全財産だったのに……」


 震える肩が、嗚咽を堪えている。


 周囲の住民たちが固まった。


 助けに行く者も、声をかける者もいない。


 誰もが素早く周囲を見回し、自分が最初に笑顔を崩さないようにしていた。


「おやぁ?」


 軽い声が広場に響く。


 純白の僧衣を纏ったふくよかな男が、ニコニコと笑いながら人垣の向こうから現れた。


 丸い顔に丸い目、目尻に深い笑いジワを刻んだその顔は、どこからどう見ても善良そうな聖職者だ。


 しかし、どこか、何か……おかしい。


「涙は不和の種ですよぉ」


 男が商人の横にしゃがみ込み、肩に手を置いた。


「ほら、よく考えてみてください。荷物が軽くなりましたね? 馬も喜んでいますよ?」


 目を丸くする商人。


「ポジティブ・シンキーーング!」


 ニコニコとした笑顔で叫ぶ男。


「これは神様が、あなたに身軽になりなさいと教えてくださっているんです」


 老爺は口をあわあわさせて、何か言葉を言おうとした。


「し、しかし全財産が——」


「さぁ!」


 僧衣の男が立ち上がり、両手を広げた。


「神の恩恵に感謝して、笑顔でお祝いしましょうねぇ! 皆さんも一緒に!」


 広場が、一瞬静止した。


 次の瞬間、周囲の住民たちが一斉に動いた。


「おめでとう!」


「よかったね!」


「神様に感謝!」


 引きつった笑顔のまま、全員が拍手を始めた。


 ニコニコ、パチパチ。


 手だけを、狂ったように叩き続けている。


 恐怖で顔をゆがめながら……涙と鼻水まみれの顔を無理やり笑顔に変えていく商人。


「あ、あはは……やっ、やったぁ……!」


 壊れた笑いが、広場に響いた。


「……あの白い男」


 リュシエルが私の隣で、静かに目を細めた。


「……周囲の祈力が歪んでる。……うん。あいつが中心になって、何かが展開されてるわ」



 扇子を閉じた。


「……不快な空間。……結界、だわ」


「気づいたか」


「……最初から変だと思ってた」


 リュシエルが白い僧衣の男を見据えた。


「……この街に張られている」


「笑顔を強制する結界か。誓約(ルール)を破ったものに自動で放たれる強力な祈跡か。恐怖を植え付けて、全員を縛っているんだろう」


 私は推測する。


「……陰湿ね」


「エィヴィスという男だ」


 私は小声で答えた。


「武国の教区長が送った特務監察官。この街の笑顔を管理している」


「……管理」


 リュシエルが静かに繰り返した。


「……監獄と同じ。壁が見えないだけ」



          ◇



「せっかくですしぃ、領主様からも、お祝いの言葉をいただきましょうかぁ」


 エィヴィスが人垣の奥に声をかけた。


「伊織様、どうぞ」


 群衆が割れ、一人の若者が前に出た。


 黒髪を後ろに束ね、鮮やかな赤の和服を纏っている。


 腰に刀を帯びた姿は凛として、どこか研ぎ澄まされた気配があった。


 その目に、深いものが宿っている。


 領主……伊織が前に出た。


 その口元には、爽やかで完璧な笑顔が貼り付けられていた。


「ええ、実に喜ばしいことです」


 老商人に向かって言う伊織。


「神の御加護に、やつがれも心から感謝いたします」


 広場に拍手が続く。


 にこにことうなずくエィヴィス。


 全ての住民が作っているのは笑顔。


 しかし……私には見えた。


 伊織の袖の中、握り締められた拳が。


 爪が食い込んで、布がわずかに歪んでいるのが。


 その笑顔の下に何が煮えているか、想像するのは難しくなかった。


 私たちは広場を通り抜ける形で歩き始めた。


 ノクスが先導し、夕霧がさりげなく周囲を警戒しながら続く。


 リュシエルが扇子を開いたまま、エィヴィスから視線を外さずに歩く。


 最後尾を歩いていたエイレンが、伊織のすぐ横を通りかかった時、ふと足を止めた。


 エイレンが伊織を見た。


 無感情な目だ。


 何かを値踏みするでも、哀れむでもない。


 ただ、見た。


 そして言った。


「……ひどい顔だ。腹の中は、殺意で煮えくり返っているくせに」


 広場の拍手が続いている。


 エィヴィスがまだ何か喋っている。


 誰もエイレンの言葉を聞いていなかった。


 伊織の笑顔が、ピクリと引きつった。


 ほんの一瞬だ。


 誰も気づかない。


 しかしその一瞬、完璧に貼り付けられていた笑顔の下から、本物の何かがにじみ出た。


 ——面白い。


 口角が、自然に上がってしまう。


 エィヴィスの結界が管理する笑顔でも、門番の鏡が要求する笑顔でもない。


 私自身の笑みだ。


「ノクス」


 私は小声で言った。


「伊織という男、調べろ」


「すでに着手しております、旦那様」


 拍手が続く広場を後にしながら、私は響野の空を見上げた。


 青く、晴れた空だ。


 しかしその下に広がる街は、どこまでも重くよどんでいる。


 この笑顔の牢獄を、どこから崩すか。


 


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