第16話:裸の王様
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
夕霧 / 紫にも見える黒のツインテール。髪色と同じ黒と紫基調の忍者服風の着物。踊り子の母を持つ。忍び、乱波で支配者に対してちょっとサディスティック。
クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
最初に声を上げたのは、人垣の後ろにいた子どもだった。
くすっ、という小さな笑い声が夜の大通りに漏れる。
それが引き金だった。
隣の大人が口を押さえる。
その隣の職人が肩を震わせた。
老人が顔を背けながら、しかし体を揺らした。
やがて堰が切れるように、笑いが大通りに広がっていった。
「な、なんだ!? 笑うな! 笑うんじゃない!!」
ギルモアが股間と胸を両手で隠しながら叫んだ。
「オレは偉大なるギルモア司教だぞ! 見るな! 貴様ら全員クビだ! 今すぐクビだ!!」
しかし誰も言うことを聞かない。
私兵たちでさえ、主人の姿を正視できずに武器を下ろしていた。
肩が揺れている者も。
昨日まで怯えていた人々が、今は誰の命令もなく笑っている。
「あんなに威張っていたのに、みっともないですよねー。あたしたちの完全勝利ですかー?」
「……無様」
リュシエルが扇子で口元を隠しながら、ゴミを見るような目を向けた。
「……飾っていたものなんて、最初から……無駄」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!!」
ギルモアの声が裏返った。
「オレはまだ終わっていないぞ! 金がある! オレには金がある!!」
「金があっても、今は下着一丁だがな」
エイレンが腕を組んだまま、静かに言い放った。
「それに、金で雇った兵士も、今は誰一人お前の言うことを聞いていないぞ」
ギルモアが周囲を見回した。
私兵たちは武器を下ろし、視線を逸らし、輪の外へと静かに退いていく。
金で繋がっていた絆は、主人が無様を晒した瞬間に霧散していた。
「お前たち……お前たちぃ!!」
誰も振り返らなかった。
◇
ギルモアが走り出したのは、それから間もなくのことだった。
大通りを囲む人々の輪の隙間を見つけ、裸同然の姿で夜の路地へと飛び込んでいく。
笑い声が背中をなでた。
ペタペタという素足の音が、路地の奥へと消えていく。
「旦那様、追いますか」
ノクスが私の横でささやく。
「いや」
「ご主人ー、逃がしていいんですかー?」
夕霧が屋根から飛び降り、着地しながら首を傾げた。
「捕まえてきましょうかー?」
「必要ない」
リュシエルが扇子を閉じ、こちらに目を向けた。
「……欲しいもの、ね」
「そうだ。あの男は今、何よりも欲しいものがあるはずだ」
私は月影の夜空を見上げた。
「誰の目にも触れない、絶対に安全な場所が。金よりも権力よりも切実な渇望が、今のあの男を動かしている」
「……なるほど」
リュシエルが静かに扇子を開いた。
「……それを利用するのね」
「エイレン、リュシエル、ここを頼む」
「承知した」
エイレンが頷いた。
「民衆の対応は任せておけ」
「……後始末くらい、やってあげるわ」
リュシエルが大通りの人々に向き直った。
「……行ってらっしゃい」
私は夜の路地へと歩み出た。
◇
月影の裏路地は入り組んでいた。
表通りの喧騒が嘘のように静かで、足音だけが壁に反響する。
私は外套の襟を立て、商人の顔を作りながら足を進めた。
曲がり角を二つ折れたところで、聞こえてくる……荒い息遣い。
行き止まりの路地。
壁際に、ギルモアが背中を押しつけて私を驚愕の手で見ている。
すこしかわいそうではあるな。
「これはこれは……とんだ失礼を致しました」
あれほど広場で吠えていた男が、今は月影の夜風に晒されながら、ただ小さくなっていた。
「……お前! お前お前お前ー!」
ギルモアが顔を上げた。
「その上着を寄越せ! いや、馬車を用意しろ! 金ならいくらでも払ってやる!」
私はうやうやしく一礼した。
「上着や馬車よりも」
穏やかな声で、ゆっくりと返す。
「今のギルモア様が求めているのは、誰の目にも触れず、決して傷つけられない、絶対のシェルターではありませんか」
震えていた肩が、ぴたりと静止する。
「……なぜそれを」
「商人の勘というものです」
私は口元に笑みを乗せたまま、一歩前に出た。
「人の欲しがるものを見極めるのが、この商売の本分でございますので」
ギルモアが立ち上がった。
しかし足は前に出ない。
逃げる気力も、威嚇する余裕も、もうどこにもないようだった。
「……本当にあるのか。そんな場所が」
「ございます」
私は答えた。
「当店が誇る、最高のVIP用退避壕でございます。この中なら、神の雷すらあなたを害することはできません」
「……誰も入ってこれないのか」
「完全な防御、完全な静寂。外の世界から切り離された、絶対の安全地帯でございます」
ギルモアの目が変わった。
恐怖と疑念と、それを上回る渇望が入り混じった目だ。
「……金は」
「結構でございます」
私は静かに答えた。
「それよりも、司祭殿が一刻も早く安全な場所に落ち着かれることの方が、わたくしには大切なことですので」
◇
私は路地の奥の石壁に、静かに手を触れた。
魔力を流し込む。
壁がドロリと揺らぎ、暗く堅牢な空間へと続く影門が、音もなく口を開いた。
「さぁ、どうぞ」
私は微笑む。
「あなた様のための空間です」
ギルモアが影門の奥を見つめた。
暗い。
深い。
しかしその先に安全があると、今の彼の本能は囁いているのだろう。
膝が笑っている。
それでも足が、一歩前に出た。
「……本当に、誰もオレを傷つけられないのか」
「ええ」
私は静かに答えた。
「誰も」
「……保証するか」
「あなたの願いは絶対に叶います」
一瞬の間があった。
「開けろ! オレをそこへ入れろ!!」
ギルモアは躊躇いも見せず、影門の中へと飛び込んだ。
外套の裾が風をはらみ、黒い空間の奥へと消えていく。
声が遠ざかり、足音が消えた。
影門が、音もなく閉じた。
◇
路地が静かになった。
私は外套のえりを下ろし、商人の顔を捨てた。
月影の夜風が路地の奥まで吹き込んでくる。
「収容、完了いたしました」
ノクスが音もなく姿を現した。
書板を開き、静かに一礼する。
「処理区画への移送準備も、整っております、旦那様」
「上出来だ」
「それにしても」
ノクスが書板に何かを書き込みながら続けた。
「思ったより早く飛び込みましたね。もう少し説得が必要かと思っておりましたが」
「広場で十分に削れていた。後は押すだけだった」
「なるほど。リュシエル様のお仕事が効いたということですね」
私は頷いた。
「あとで礼を言わないとな」
「とっても眠そうでした」
ノクスが書板を閉じた。
「ところで旦那様、ターゲットの処理についてですが、ダンジョンに入った以上、彼の欲望の取得が始まります。最後に確認を——」
「わかっている」
私は影門の跡に残った壁を見た。
「彼が望んだのは、誰にも傷つけられない絶対の殻だ。ダンジョンはその通りに応えるだけでいい」
「……欲望に忠実に、ということですね」
「ああ」
ノクスが静かに、しかし心なしか楽しそうに一礼した。
「では、処理区画の準備を整えてまいります。旦那様も、どうぞ」
「すぐ行く」
一人になった路地に、夜風だけが通り抜けていく。
ギルモアは今頃、ダンジョンで自分を待ち受けているものを、まだ知らないだろう。
絶対に傷つかない、完全な防御。
彼が望んだものを、ダンジョンは必ず与える。
ただし、それがどんな形をしているかは、本人の想像とは少々異なるかもしれないが。
私は路地を引き返し、大通りへと歩み出た。




