第8話:桜吹雪
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
追憶の追想室
映し出されているのは、今のデジマとはまるで別の世界。
地平線まで続く黄金の稲穂。
温かく柔らかな風が穂先をなびかせ、土と草の匂いが漂ってくるような感覚さえ覚える。
「夕霧の記憶の中の武国か」
「はい、旦那様。夕霧様の深層記憶と、ダンジョンの魔力が共鳴しています。これほど鮮明な風景は、そうそう出るものではございません」
ノクスの言う通り、確かに幻影ではない。
追憶の追想室には幼い夕霧の姿もある。
母の着物の袖を両手でぎゅっと掴んでいた。
母は……着飾った女ではない。
どこにでもいるような農家の母親だ。
しかし子どもに向かって屈み込み、おにぎりを差し出したその所作には、なにか神々しいものがにじんでいた。
「お食べ。……いつか、この味がわからなくなる時が来るかもしれない。でも、心だけは忘れないで」
差し出されたおにぎりを受け取り、幼い夕霧が一口噛んだ。
その顔がくしゃりと歪む。
泣いているのか、笑っているのか。
恐らく本人にも、わからなかっただろう。
やがて母が立ち上がり、あぜ道へと向かった。
「白妙のー、一夜の夢のー、細雪ー」
歌いながら舞う……女性。
楽器はない。
ただ、風が吹いている。
舞い上がる刈り取り後のもみがら。
黄金の粒子が踊る女をゆっくりと包み込んでいった。
着飾っていないのに、圧倒的だった。
「綺麗」
映像の中の幼い夕霧が呟いた。
ほとんど間を置かず、リュシエルが隣で同じ言葉を重ねた。
「……綺麗」
ただ視線を外せないような……そんな。
そして消えてゆく……風景。
夕霧は……どこか遠くを見るような様子で座り込み、目を数回瞬きして、それから足元の薄汚れた裏帳簿をじっと見つめた。
少し間があって、独り言のように呟いた。
「……あんな綺麗なものは、今のデジマにはない」
私は黙っていた。
夕霧の指先が帳簿の端を静かに撫でる。
「あるのは嘘だけ。……でも、これを刻んで空に撒けば」
顔を上げて、こちらを見る。
「あの光景を、とりもどせるかもしれない」
「気づいたか」
「……え? ちょっと待ってください。最初から決めてたんですかー?」
「決めていない。ただ、そうなると思っていた」
夕霧が細く息を吐いた。
それから帳簿をしっかりと両手で持ち、裁断を始めた。
◇
「ディスプレアにデジマ大通りの様子を展開します」
ノクスの声。
私たちは真実の観測室に夕霧を連れてきた。
石畳の交差点、行列の経路、建物の高さ、影の落ちる角度。
全てが魔導液晶に映っている。
「風速の計算、完了しました。明日の正午、この地点で投下すれば観客全員の視界を覆えます。紙吹雪の落下予測地点、マップに表示します」
夕霧の手はもう動いていた。
音もなく、均一に、驚くほどの速さで紙を裁いていく。
裁かれた紙が膝の上に積み上がり、その速度は水が流れるように自然で、見ているこちらが気を抜きそうになるほどだった。
「素晴らしい……傑作だ」
帳簿の束……それが桜吹雪となったものを見て言うエイレン。
「領主が必死に隠した裏金の証拠が、民への祝いの紙吹雪に化けるとはな。刻め刻め、夕霧。その紙切れ一枚一枚が、奴らの喉元に突き刺さる刃だ」
「喉元ですかー……」
手を止めずに夕霧が返す。
リュシエルは立体映像の上で舞うはずの紙吹雪の軌跡を、細い指でそっとなぞった。
「……綺麗。……桜吹雪ってよく言ったものね」
一拍置いて、
「……でも、触れずとも切れる。あぶない」
「的確な評価だ」と私。
夕霧が視線を映像の一点に定めた。
「あたしが飛び出すのは、この十字路だと思います」
立体映像の中の角を指で示す。
「行列がここで止まる一瞬だけ、わずかに隊形が乱れます。そこを舞台にします」
私は映像を覗き込んで地形を確認した。
角度はいい。
沿道の建物が風の受け皿になる。
四方から視線が集まり、逃げ場もない。
「いい場所だ。ただし、そこに立てば敵の目も全部集まるぞ」
「それが狙いです。見てもらわないと意味がないですから」
「準備ができたら声をかけろ。我々も特等席で観させてもらう」
「最高の舞台にしますから、楽しみにしてください、ご主人」
◇
『仕込み』が終わった後、夕霧が静かに立ち上がった。
黒紫の忍び装束の上から、幻術で踊り子の衣装を一枚重ねた。鮮やかな色がするりと体に纏わりつく。
「……一度だけ、合わせます」
ザルから一掴みの紙吹雪を取り、宙へ放った。
刻まれた帳簿の破片がノクスの計算通りの軌跡を描き、ゆっくりと、不気味なほど均一に落ちていく。
光を受けてきらめく白い断片。
雪さながら。
しかしこれは雪ではない。
これは告発だ。
贅を貪り、民から奪い、帳簿の陰に隠し続けた証拠そのものだ。
その中で夕霧が舞い始めた。
私はただ眺めていた。
「怯えた面影はどこにもないな」
母の踊りを自分の中に溶かし込んだ者だけが持つ、静かな確信がそこにあった。
「もしかすると、彼女の母は本当に踊り子だったのかもしれんな」とエイレン
「……そうかも」とリュシエルが返す。
紙吹雪が彼女を祝うように包み込み、美しく舞った。
やがて夕霧が動きを止め、ゆっくりと振り返った。
「……問題ないですね」
「ああ」
と私は言った。
「問題ない」
◇
翌日の正午直前。
デジマ大通りの路地裏は、影が深かった。
遠くから太鼓の音が近づいてくる。
重く、規則的で、一歩ずつ威圧してくるような音。
沿道にはすでに民衆が並ばされていた。
頭を下げ、視線を石畳に落とし、ただ行列が通り過ぎるのを待っている。
「旦那様。風向き、最適です」
ノクスが静かに告げた。私は小さく頷いた。
夕霧は動かなかった。
路地の影に溶け込むように立ち、ザルを両手でしっかりと持ち、ただ太鼓の音を聞いている。
その横顔に余計なものは何もなかった。
追想室で見てきたものが、まだその目の奥に宿っているのかもしれない。
黄金の稲穂と、風の中で踊る母親の姿が。
太鼓の音が、一段と大きくなった。
「……さあ、開演です」
小さな声だった。それだけだった。
夕霧は深く息を吸い、路地の影から一歩踏み出した。




