第4話:棟梁
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
「旦那様。通信です。……お久しぶりの方です」
ノクスの影と同期した……チョーカーを持つある人物から。
ノイズが走り、音声だけの回線が繋がる。
『やっと繋がったぁ……! あなた様、聞こえてるかなぁ?』
耳に届いたのは、甘く間延びした、聞き慣れた声だった。
「無事か……アウレリア!」
私は急いで言葉を返す。
彼女が敵地に囚われているという事実。
私の内側で起こる静かな怒り。
『声聞けて安心したぁ。えへへ』
聞こえるのは愛らしい笑い声。
「そこは? どうなったんだ?」
「あなた様、大丈夫だよ! わたしはねぇ、今武国の……本城のある神座にいるの」
「神座……そこは、武国の中枢……観測できんな」
エイレンの言葉。
『あはは、みんなもいるんだぁ! わたしねぇ、ダンジョンから転移してすぐに霧に……多分、教主の祈跡にとらわれちゃって……』
『気付いたら武国の囚われた人たちの中だったの。今もたくさんの人がいるよ。コソコソ話してる』
「……大丈夫? ……無理、しないで」
『無理なんてしてないよぉ〜!』
リュシエルに対して、あくまで明るく返すアウレリア。
しかし、すぐに優秀な聖務連絡官の面を表した。
『わたしは……ちゃんと見て、聞いてる。でね、いま武国は焦ってるみたい。聖白教が『監察』を増やすって話が回っててねぇ。出島方面の玄関口を締めるんだって』
「締める?」
『うん。切り離しだよ。その準備みたいだねぇ』
彼女は具体的な情報を突き刺してくる。
『領主の屋敷にある、税と米の流れの帳面……残ったら終わるから、燃やすってぇ。白米も、もっと厳しく締める。民には匂いすら回さないって言ってたよぉ』
「……よくそこまで掴んだな」
『ふふっ。囚われてても、耳はしっかり生きてるんだよぉ。一応今は潜入中だから!』
「牢の中で……か?」
『能動的なの! これは! 出ようと思ったらいつでも出れるから、ねぇ?』
アウレリアが通信の向こうで得意げに微笑む姿が目に浮かぶ。
『だからね、あなた様……お願い。あなた様らしく、確実に勝てる形で動いてねぇ。わたし、ここでちゃんと待ってるから。……必ず、迎えに来てよぉー!』
プツリと通信魔法が切れた。
甘い声の裏で、彼女は状況を冷静につかんでいる。
——あの子は……囚われても決して折れない。
「旦那様。デジマの領主屋敷にて、夜警が増強されているようです」
ノクスが即座に映像を魔導液晶に出力した。
「やはりか……」
アウレリアがもたらした情報の通り、屋敷の周囲に慌ただしい動きが見える。
奴らは確実に、証拠隠滅に向けて動き出している。
◇
ディスプレアが夕霧の視界と同調する。
屋敷の控えの間。
女官に呼びつけられた夕霧。
笑うな。
遅い。
余計なことを言うな。
座敷の段取りを間違えるな。
感情を削り取るような言葉の刃。
「……承知いたしました」
夕霧は感情を殺し、頭を下げ続ける。
その時、廊下を通り過ぎる家臣たちの雑談が、パスを通じて拾い上げられた。
「囚人は明朝移送……のはずだったが、監察前に片付けるぞ」
「帳面もだ。燃やせ。余計な紙は残すな」
夕霧の視界がわずかに動く。
だが、彼女は表情一つ変えずに黙々と雑務をこなしている。
耐えるのが上手すぎるのだ。
しかし、耐える人間から先に壊れていく。
やがて命令の嵐が途切れた隙を突き、夕霧は人目を避け、足音を殺して屋敷の裏手へと消えていった。
◇
「……暗い……地下……」
魔道具ディスプレアを見つめるリュシエルが声を漏らす。
屋敷の地下にある座敷牢への入り口。
見張りが交代するわずかな間。
壁に掛けられた鍵束の位置。
「……今だ」
夕霧は忍びとしての卓越した技術で、迷いなく、そして無音で障害をすり抜けていく。
「……よし」
夕霧の短い独り言が漏れる。
彼女は最も奥の鉄格子の前へと辿り着き、膝をついた。
「……棟梁。時間がありません」
夕霧が鉄格子越しに、暗闇の中に座る老人に声をかけた。
「明朝移送と……聞きました」
「夕霧、ワシは気にするな。死んだら何もできん」
老人は低く、しかし力強い声で言い切った。
「しかし……」
「どうしても……というのだな」
頷く夕霧。
老人は逡巡した上で答えた。
「領民や乱波の皆のためにできることは……ある」
「……はい」
夕霧は短く、確かな決意を込めて答えた。
「領主は米を食ってる。……民の米だ。その証拠を抑えれば……引くに引けんだろう」
その時、通路の奥から見回りの足音が聞こえてきた。
「しかし……」と棟梁。
夕霧は即座に気配を消し、その場から素早く引き下がった。
屋敷を抜け出し、冷たい夜風の吹く裏路地へと向かう。
「今日……決めなきゃ」
彼女の口から、素の言葉が漏れる。
(あの男に……会うしかない。何かを変える勇気を持たなくては)
心の声が響く。
そして少女は、私が指定した廃神社の祠へと真っ直ぐに向かって足を進めた。
◇
廃神社の祠の前。
私はただ彼女がくるのを待っていた。
脅せば早い。
だが、それは違う。
夕霧に『選ばせる』。
選んだ後は、私が責任を持つ。
「止まれ」
私は闇の中から声をかけた。
「座敷牢に行った時の……棟梁の話も聞いた」
「なぜ、それを……」
夕霧が弾かれたように身構え、警戒のしぐさを見せる。
「私の名は……レオ。聖白教に仇名すものだ」
私は影から歩み出て、真っ直ぐに彼女を見据えた。
「取引だ。棟梁を助ける。その代わり、領主の記録を持ち出せ」
「……くっ」
さらに一歩後ずさる夕霧。
「罠ですか。屋敷に逆らえば、点数を失えば……棟梁も私も終わりです。そんな簡単には……」
「逆らわなくても終わる」
私は冷徹に事実だけを突きつけ、彼女のすがる『服従』というルールを叩き割る。
「さっき屋敷で聞いたはずだ。監察前に片付けると。奴らは証拠を消す気だ」
「……棟梁の移送は、明日の朝のはず……」
「そうだが、帳簿は別だ。予定は早まる。君がこれまで必死に耐え忍んできた点数稼ぎは、何の意味もなかったということだ」
夕霧の目が大きく見開かれ、呼吸が浅く乱れる。
彼女が信じ込まされていた『従えば助かる』という前提が崩れ落ちたのだ。
「従順な奴隷のまま全てを失うか、反逆して身内を救うか。選べ。断れば、棟梁は明日消える」
極限まで追い詰められた夕霧が、強く唇を噛み締めた。
「……条件が、一つだけあります」
彼女は震える声で、だがはっきりと私を睨み返した。
「棟梁を、生きたまま連れ出してください。それができるなら……あたしは、地獄に落ちても原本を取ります」
「約束する」
私は即答した。
退路を断たれ、自らの意思で反逆を選んだ彼女の覚悟は本物だ。
「では、見せよう。しかし……その前に君の心も見せてもらう」
私は足元の影門を展開し、彼女をダンジョンの一部——真実の観測室の隣にある、小さな転送部屋へと引きずり込んだ。
◇
影門を抜けた先。
薄暗い石造りの部屋の中央に、小さな木製のテーブルが置かれている。
その上には、黒塗りの膳。
乗っているのは、真っ白な握り飯だ。
熱を帯びた白い湯気が立ち上り、米特有の暴力的なまでに甘い匂いが部屋に充満している。
夕霧の足が、床に縫い付けられたように固まった。
「……白米……?」
彼女の口から、無防備な素の言葉が漏れる。
「武国では禁忌だ、そうだな」
私は彼女の背後に立ち、静かに告げた。
「食べれば、もう『知らなかった』では済まない。聖白教と領主に逆らうと、自分で決めた印になる。……覚悟だ」
その時だった。
背後の——影門を繋いだデジマの廃神社の祠側から、砂利を乱暴に踏み荒らす複数の足音が響いた。
見えない境界の向こう側で、提灯の赤い光が揺れた。
「あの娘、どこに行った!」
「そう遠くは行ってないはずよ! 逃げやがったね! 探せ!」
夕霧の顔から血の気が引いた。
自分がすでに『処分対象』として狩られている事実を突きつけられ、息を詰まらせる。
「聞いたな。彼らはもう待たない。棟梁も……もちろん危険だ」
私は事実だけを知らせる。
「……だめ、だよ……こんなの……どうすれば……」
夕霧は震える声で呟いた。
背後には死を運ぶ追手。
目の前には、絶対に手を出してはならない禁忌の食べ物。
飢えと恐怖が、彼女の限界を削っていく。
「棟梁を助けたいなら、原本が要る」
私は彼女の隣に並び立ち、最後の一押しをした。
「原本を取るなら、今夜、追手を振り切って動けるだけの体力が要る。——選べ、夕霧」
夕霧の震える指先が、ゆっくりと上がり、白米の立ち上る湯気に触れようとする。
彼女が禁忌を破り、力を得るか。それともこのまま全てを失うか。
決定的な選択の瞬間だった。




