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第3話:希望の代償

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


「夕霧を完全に絶望させ、落とす……そんなことは考えてはいない」


 ただ利用するためならそれでもいい。


 しかし……。


「我々は短期的な効率よりも、長期的な発展を目指さなければならない」


「あの腐敗した領主を出島から追い出すために、夕霧を『動かす』んだな。主よ」


 エイレンの言う通り。


 それが大切だ。


「ディスプレア、視界同期完了。対象は屋敷内の雑務に入っております」


「昨日の公開指導の翌日だ。今日は『見せしめの使い潰し』になる」


 液晶に映る夕霧の姿を見るエイレン。


「……夕霧があの領主に仕えている理由は、なんだろ」


 リュシエルが、画面を見つめながら短く疑問を口にした。


「人質……棟梁とは何者で、どうなっているのか……もう少し探る必要があるな」


 恐らくは夕霧が恩を感じている人物だろう。


 でなければ、あれほどの状況で己を殺すことなどできない。


「彼女の様子を見てみよう。それで……夕霧の『欲』と、領主の『証拠』を拾う方策が見えてくるはずだ」



          ◇



 魔導液晶の画面には廊下を雑巾で拭き進む夕霧の姿が映し出されていた。


 昨日の朝礼が終わった直後から、彼女は絶え間なく労働を強いられている。


「夕霧。雑務追加。昨日の分、取り返しなさい」


 背後から近づいてきた女官が、水の入った桶を夕霧の横に蹴り飛ばした。


「……はい。承知いたしました」


 画面の中の夕霧は床に手をついたまま、感情を殺した様子で答える。


「今日中に『改善』が見えなければ、また公開だ……ホッホ」


 女官の横に立つ側近の男が、昨日の査定を盾にして脅しをかけてきた。


「承知いたしました」


 夕霧は同じ言葉を繰り返す。


(改善って、何。『上が気分よくなる形』を作れってことだ)


 仕込んだ魔力のパスを通じて、夕霧の短い内面がダンジョンルームに響いた。


 彼女は利口だ。


 しかし、対抗するための方法を考える余裕がない。


 理不尽な要求に対し、彼女は冷たい水で雑巾を絞り、黙々と板の目に沿って床を拭き続けている。



          ◇



 床拭きを終えた夕霧が、道具を片付けるために厨房の前を通りかかった。


 画面越しに、厨房の奥から白い湯気が立ち上っているのが見える。


 あれは……。


 厨房の中から下働きの小さな声が漏れ聞こえてきた。


「……今日も領主様の膳だ。白いの炊いてる……」


 白いの。


 白米のことだろう。


 画面の中で、夕霧の足がぴたりと止まった。


「良いな。お米、食べたい」


 ふと、彼女の口から素の独り言がこぼれ落ちた。


「……ダメだよ。考えたら負け。……ほんと、ダメ」


 言ってしまった自分に苛立つように、夕霧は両手で自分の腕を強く掴んだ。


 手に入らないものを望めば、自分がみじめになる。



 だが、厨房から漂う白米の匂いに、彼女の欲求は確実に刺激されていた。



          ◇



 私は魔導液晶から視線を外し、事実を整理した。


 出た。

 

 夕霧の思いが。


 ここが、彼女の鉄の服従を崩すポイントになるだろう。


 次は……武国で米がどう扱われているか、だが。


「ノクスの話では、白米はこの国では禁忌になっていたはずだな」


 私は観測室で待機するノクスに確認した。


「その通りです、旦那様。デジマでの聞き込みと一致いたしました。武国では白米は禁忌……」


 ノクスは手元の紙に目を落とし、報告を続ける。


「民は雑穀が基本です。もはや今、武国ではどこで白米が作られているかわからない。昔は有数の米所だったのだが、という話でした」


「米は嗜好品じゃない……支配の証だ」


 エイレンは言葉を続けた。


「民から取った税が、米にかわって領主の膳に乗る。見せつけとしても最悪だな」


「……夕霧がそれを見る。……怒りと欲が、同時に表れてる」


 リュシエルの短い言葉。


「……それなら、契約の『餌』。……決まった、かな」


「なら……次だ」


 私は具体的な行動の算段を立てる。


「そうだな……夕霧は米に飢えているが、それだけでこちら側につくとは思えない。しかし契約なら……あるいは、だな。あれは忍びだ。原本が取れれば、『横流し』を証拠ごと叩ける」


 白米を独占し、富を溜め込んでいる裏の台帳。


 それを奪う。


「結果、領主は出島にいられなくなる」



          ◇



 魔導液晶……夕霧は、厨房の前から離れようとしていた。


 そこへ足音と共に、先ほどの女官が近づいてくる。


「ちょうど良い所に。夕霧、領主様の席に出ます。余計なことは一切しない」


 女官は夕霧を見下ろし、冷たい声で命令した。


「……はい。承知いたしました」


 夕霧は反射的に敬語で答え、深く頭を下げる。


 そこに側近の男も姿を現し、具体的な指示を出した。


「よいか。器を落とすな。口を挟むな。目線を上げるな」


「承知いたしました」


 夕霧は言われた通りに厨房から膳を受け取り、広間へと歩き出した。


 

          ◇



 広間の奥。


 上座に座る領主の前に、夕霧が膳を運ぶ光景が映し出された。


 黒塗りの盆の上に……白いおわん。


 熱を帯びた白い湯気が漏れ出していた。


 床に膝をつき、椀の蓋を開ける夕霧。


 領主が箸を入れ、白米を口に運んだ。


「やはり米は良いのぉ」


 領主は平然とした声で言い、口元を歪めて笑った。


「出島の上納はよく働く。金も布も、最後はここに来る」


「民も、領主様の統治あっての安寧にございます」


 側近が即座に追従の言葉を口にする。


「安寧? なら、もう少し取れるの! がははは!」


 領主の笑い声が広間に響き渡る。


(視線を……伏せなきゃ……)


 映るのはタタミだけ。


 だが、白米の匂いに刺激されたのか、彼女の喉が大きく鳴る音がパスを通じて聞こえてきた。


(やめて。見ない。……でも、目が勝手……)


 視界の端で、白く輝く米粒が領主の口に吸い込まれていくのを、彼女は無意識に追ってしまっている。


「お前、反応したのぉ」


 領主の声が低くなり、夕霧を見た。


「欲しいか? ——分不相応じゃ。お前らの口に入れるものじゃない」


 領主はあざわらうように言い放った。


「……恐れながら。承知いたしました」


 夕霧は必死に声を押し殺し、深く頭を下げ続けた。



          ◇



 領主の食事が終わり、夕霧が空になった膳を厨房へと下げる様子が映る。


 お盆の上には、ほんのわずかな米の香りだけが残っている。


「触ったら終わり」


 夕霧は自分に言い聞かせるように、小さな声で呟いた。


「でも、なんで『あっち』だけ……」


 そのとき、廊下の角から側近の男の潜めた声が聞こえてきた。


「座敷牢の老人、明後日だ。移送は朝でいい。準備は整ってる」


「万事了解でさぁ。処刑の日も近づいていますね」


 画面がわずかに揺れた。


 夕霧が立ち止まったのだ。


(…………!)


 言葉にならない動揺。


 明後日。


 老人の処刑が、具体的な日程として決定してしまった。


 動揺を隠しきれず、作業の手が止まっていた夕霧を、女官が見咎めた。


「夕霧。外で頭を冷やして戻りなさい。すぐに」


 女官は苛立った声で彼女を中庭の方へ追いやった。


「はい。承知いたしました」


 夕霧は頭を下げ、屋敷の裏手にある通路へと足を向けた。


 裏手の通路には、誰もいなかった。


 監視の役人たちも遠巻きに配置されており、今は彼女の視界に誰も入らない。



          ◇



 今がチャンスだ。


 しかし、直接会う必要はない。


 観測室から、夕霧に繋げた魔力のパスへ直接干渉した。


 冷たい風が吹く裏通路。


 夕霧の足元の影が不自然に濃くなる。


「夕霧。今、領主が米を食っているのを見たな」


 私は影を通じて、直接彼女の耳に声を届けた。


『何者……これは……!?』


 夕霧が警戒して後ずさる。


『近づかないで』


「近づかない。話だけだ」


 私は落ち着いたトーンで淡々と続けた。


『頭の中に直接……聞こえてくる……?』


「君は誰かを人質にとられているな」


『……っ』


 夕霧の息が止まったのがわかる。


「しかも、処刑は間近のようだ」


 私は事実だけを言い切った。


「それを止める方法があると言ったら……?」


『なんで、そんなこと……?』


 夕霧の口から、飾らない素の言葉が漏れる。


「条件がある。——契約だ」


 私ははっきりと条件を提示した。


「会って話そう。今夜は『場所』だけ言う」


 ゆっくりと。


「明日の夜、出島の廃神社。祠の前に一人で来い」


 だが、語勢は強く。


「君が本当にしたいことをすべて……叶えよう」


『そんな……こと。できるはずが……』


 夕霧は震える声で呟いた。


「できる。私たちならな」


 私は通信を切り、真実の観測室のディスプレアを見つめた。


 夕霧が来るか来ないか。


 それで明日は決まる。


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