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第2話:笑顔の点数

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


 薄暗い真実の観測室ストラテジック・ルーム


 私の目の前には、巨大な魔導液晶……魔導機ディスプレアが淡い光を放って浮かび上がっている。


「映ってるのは……黒紫のハーフツインの髪……あの娘か。よく見えんな」


「……影に仕込んだ……細い魔力のパス。……調整しないと、ね」


 パス……それは切れることなく、今も確実に繋がっている。


「どうだ、ノクス」


 あの不自然なまでに隙のない少女……彼女が、この歪んだ国で何を強いられているのか。


「視界同期、安定しております。音声および、対象の表層心理のわずかな漏洩も拾えます」


 ノクスが感情を交えない声で的確に報告を上げる。


 これが真実の観測室ストラテジック・ルームの力だ。


 彼女の指先が宙に描く魔法陣が連動し、魔導液晶のノイズが徐々に晴れていく。


「観るだけで済むなら、それが最善だろう。不用意に動けば足がつく」


 腕を組んで壁に寄りかかっていたエイレン。


 この閉ざされた武国において、物理的な接触は致命傷になり得る。


 まずは敵の構造と弱点を丸裸にするのが定石だ。


「……観測」


 リュシエルが、液晶の光を双眸に反射させながら短く呟いた。


「奴らが何を基準に評価を下しているのか、現状を確認する」


 私が短く命じると、ノクスが魔法陣を弾いた。


「見ていこう」


 魔導液晶の画面が切り替わる。



          ◇



 映し出されたのは……板敷きの広間。


 タタミ、だった。


 しかし、どうやら武国の文化に感動している場合ではないようだ。


 凍てつくような朝の空気が満ちる中……何十人もの使用人たちが等間隔で正座し、一切の身動きを禁じられたまま沈黙している。


「夕霧、集中なさい」


 領主の側近の『お局』が目を光らせる。


 ビクッ。


 画面が揺れた。


「視点の主は夕霧という名前のようだな」


 私は呟く。


 彼女は夕霧というらしい。


 それにしても……視界を通して見るその光景は、異様なまでの統制が敷かれていた。


 全員が感情のない目。


 一方で表情は柔らかい。


 ある種……気持ちが悪い、そんな感じだ。


 すると……。


 広間の前方に立てられた白い板に、墨で太く、威圧感を持つ文字が書き殴られているのが見えた。


『奉公査定(本日)』


『笑顔点:合格ライン 六十』


『笑顔点:五十未満=公開指導』


(……笑顔が、点数)


 魔力のパスを通じて、夕霧の短い思考がノイズのように観測室に響いた。


(……心ではなく、形だけが評価される)


 彼女の言う通りだ。


 心から楽しんでいるかなど、この屋敷では何の意味も持たない。


(しかも……いつも笑顔じゃ、だめなんだ……)


 決められた『形』を、決められた『基準』で出力できるかどうか。


 人間をただの点数によって管理する道具としか見ていない。


「奉公査定、開始。返答は二語のみ。『はい』『承知いたしました』」


 『お局』……広間の前方に立つ古参の女官が、冷酷な声を響かせた。


 それに続き、領主の側近である男が、分厚い帳簿を開いて無機質な声で読み上げを始める。


 これは、どうやら……前日の働きを全員の前で評価し、吊るし上げるための公開指導の場だった。


「昨日の最下位:夕霧」


 夕霧の名前が呼ばれた。


 周囲の使用人たちが、微かに身をすくめるのが画面越しにもわかる。


 誰も彼女を見ようとはしない。


「総合:八十六」


「失点:笑顔点。四十七」


 静寂の広間に、点数が冷たく響き渡る。


 合格ラインに満たない数字。


 それは、彼女がこの屋敷の規律を乱したという証明として扱われていた。


「……はい。承知いたしました」


 夕霧は感情を完全に殺し、規程通りの言葉だけを口にする。


「『笑っている“つもり”』点にならず」


 側近の追い打ちの定型句が、刃のように突き刺さる。


(もっとしっかり笑わなきゃ……)


 彼女の作った笑顔は、彼らの求める基準を満たしていなかったらしい。


 数値化され、合格ラインを引かれ、満たさなければ全員の前で見せしめにされる。


 徹底的な管理社会の縮図がそこにあった。



          ◇


「殿、御入来」


 女官の張り上げた声と共に、重い襖が開く。


 すると、この屋敷の絶対者である領主が広間へと姿を現した。


 あれが……。


 豪華な着物を纏い、白髪を後ろで束ねた壮年の男だ。


 衣擦れの音だけが響く中……領主はゆっくりと上座へと歩を進め、傲慢な態度で腰を下ろした。


「……夕霧。笑顔点が四十七? ずいぶんと“無愛想”じゃな」


 領主は薄い笑みを浮かべ、夕霧を見下ろしてねっとりと言い放った。


 その目には、他者をいたぶることを楽しむ……『昏い』喜びが宿っている。


「恐れながら、本日は改善いたします」


 夕霧は床に手をついたまま、完璧な敬語で答えた。


 反抗の色は微塵も出さない。


「言葉はいらんわい」


 『圧』を加える領主。


 夕霧の視界がわずかに揺れ、顔を上げたのがわかった。


 指定された通りに口角を引き上げ、目尻を下げる。


 規程通りの笑顔の形を作っているのだろう。


「……はい。承知いたしました」


 彼女は微笑みながら、二語のみの返答を返す。


「違う。見せているだけじゃ。目が笑っておらん」


 領主の冷笑が広間に響く。


「笑顔点、減点」


 カアァン、と乾いた音が鳴った。


 側近が、無表情のまま木の札を板の上に置いたのだ。


 そこには朱色で『笑顔−1』と書かれている。


「もう一度じゃ。——今度は“嬉しそうに”」


 領主は身を乗り出し、夕霧をじっと観察しながら要求を重ねた。


「じゃが、媚びるな。軽くもするな。上品にな」


(……矛盾した命令。どうやっても減点される)


 夕霧の切迫した思考が漏れ聞こえる。


 嬉しそうにしろと言いながら、媚びるなと言う。


 上品さを求めながら、感情を出せと言う。


 どう動いても、彼らは減点する理由を見つけ出す罠だ。


「承知いたしました」


 夕霧は声を絞り出し、少しだけ目の表情を和らげ、口元の角度を微調整した。


「……違う。まだじゃ。お前は“従っておる顔”じゃ」


 領主が忌々しそうに舌打ちをした。


「儂が欲しいのは、“敬う笑顔”じゃ。心の底からこの儂を崇拝し、仕える喜びを噛み締めておる顔じゃ」


 カアァン。


 再び、側近が『笑顔−1』の木札を置く。


「見よ。笑顔すら出せぬ者が、屋敷の面を名乗るか」


 あざ笑う領主。


「これはな、愛じゃ。夕霧。お前を嫌いだったら、どうする? 嫌いなら無視するだけじゃ。お前のことを好いておるからこそ、じゃぞ」


 誰も口を開かない。


 沈黙が、領主への絶対的な同意となって広間を支配する。


 夕霧だけが、この冷たい空間で一人、無様な見せしめとして晒され続けていた。



          ◇


「今ここで舞え、夕霧」


 領主が扇子で床を叩き、無慈悲な命令を下した。


「そして笑え。——評価を上げてみせよ」


(……舞もただの評価。あたしは評価されるためだけの道具)


 夕霧の冷え切った思考。


 この状況での舞は、芸術でも娯楽でもない。


「夕霧、奉公舞、開始」


 女官の形式的な合図が響く。


「……はい。承知いたしました」


 画面が揺れ、夕霧がゆっくりと立ち上がり、用意されていた扇を手に取った。


 音楽もない静寂の中で、彼女は扇を振り上げ、ステップを踏み出した。



          ◇



「違う。最初からじゃ」


 わずか三歩。


 領主の声が、無惨にも舞を切り裂いた。


「……承知いたしました」


 夕霧は元の位置に戻り、扇を下ろす。


「笑うのが遅い。踊りの入りで笑えい」


 カアァン。


 側近が三枚目の『笑顔−1』の札を置いた。


「承知いたしました」


 夕霧は再び息を吸い、今度は動作の始まりと完全に同時に、顔に笑顔を貼り付けたのが気配でわかる。


「作りすぎじゃ。嘘じゃな。——嘘の笑顔は点にならんぞ」


 カアァン。


 何枚目かわからない札。


「……承知いたしました」


「“自然に”笑え。じゃが勝手に楽しむな。——儂のために笑え」


 何度も、何度も止められる。


 その度に木札が置かれ、点数が削り取られていく。


「夕霧、笑顔減点累計:十二」


 側近の無機質な読み上げが響く。


 だが、夕霧は決して崩れない。


(そうなれば……救うために……ここにいるのに……)


 彼女の心の声。


 夕霧は何かを助けるために、ここにいるようだ。


 何かを人質に取られている?


 晒され、圧迫されながら、罵倒されても、彼女は崩れない。


 崩れれば、さらなる減点が待っている。


 心を消し、感情を殺し、ただ彼らの望む偶像になりきるしかないのだ。


「お前は踊っておらん。査定に怯えておるだけじゃ」


 領主が退屈そうに肘掛けに顎を乗せ、見下ろしてくる。


「怯えた笑顔は、最も見苦しいのう」


 幾重にも重なる……理不尽な言葉の刃。


 だが、彼女は崩れない。


 崩せない。


 崩せば点が落ちる。


 恐らく、それで、囚われている何かも……救えなくなるのだろう。


「……承知いたしました」


 夕霧は血のにじむような思いで声を絞り出し、何度目かもわからない舞の姿勢に入った。



          ◇



「もうよい。話にならん」


 領主が冷たく吐き捨てた瞬間、広間の空気が一段と凍てついた。


 夕霧の視界が下がり、彼女が扇を下ろして再び床に正座し、頭を下げたのがわかる。


「……座敷牢の件じゃが」


 領主の口から出たその言葉に、夕霧の呼吸がわずかに乱れた。


「もう、日を置かずともよいだろうな」


 領主は、まるで今日の献立を決めるかのような淡々とした声で、決定的な一言を放った。


「口の減らぬ老いぼれは、すぐにでも終わらせい」


「は。座敷牢ですね」


 側近が即座に復唱し、帳簿に墨で書き込む音が響く。


(……まずい。すぐに何とかしなければ、棟梁は殺される)


 夕霧の絶望と焦燥が、パスを通じてダイレクトに流れ込んでくる。


 棟梁。


 彼女を育てた忍びの長か何かだろう。


 その命のタイムリミット。


「……踊ります」


 夕霧は、微かに震える声を必死に噛み殺し、完璧な敬語で服従を示した。



          ◇



 魔導液晶の暗転。


 私の視界に真実の観測室の光景が戻ってきた。


 静かに息を吐き、腕を組んで背もたれに体を預ける。


「恐らく彼女の人質となっているものは……夕霧様の大事な方なのでしょう


「棟梁とか、言っていたな」


 ノクスの言葉に、エイレンが返す。


「旦那様、どうやら彼女には猶予がありません」


「ああ……」


 私は思考する。


 どう次の手を打つべきか。


「あの手の脅しはすぐに実行に移される。動くしかない」


 エイレンの鋭い視線は画面に向かっている。


「夕霧は根性で耐える。だが、耐えるだけだ。状況は変わらない」


「……そう。……なら。……直接、話しかけるしかない」


 リュシエルが、悲しみも同情も交えない声で具体的な解決策を口にした。


 夕霧は、あの理不尽な査定地獄の中で、決して心を折られなかった。


 強い。


 その精神は素晴らしい。


 だが、彼女は処刑を止める手段を持っていない。


 自ら反逆するための牙は、彼女自身の手で抜かれてしまっている。


 ならば、同情している暇はない。


「処刑が執行される前に、なにか……」


 私の言葉にリュシエルが口を挟んだ。


「……裏帳簿」


 なるほど……。


「確かに、領主が市民から巻き上げた税が、あんなサディスティックな状況を作るためだけにあるはずがない。つまり、税の流れを示した裏帳簿があるはずだ」


「なるほど。聖白教において『記録』は必須であり絶対だ。武国の地方領主とはいえ、ここは聖白教の地……必ず裏帳簿はあるな」


 元異端審問代行官であるエイレンの、鋭い読み。


「そうだ。夕霧をつかって……奴らの裏帳簿を奪い取る。それが、ひいては彼女を救う武器にもなる」


 私は立ち上がり、デジマに繋がる転移門の方向を見据えて宣言した。


「次は、夕霧が自分の意思で裏帳簿を取りに行く条件を提示する」


 彼女が最も欲しているものはわかっている。


 処刑の日が来る前に、あの女を動かすための確実な取引の準備を始めよう。




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