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第1話:静かなる入国

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。武国に向かう途中で捕まってしまった。現在寂しい中。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。武国編では王国再編が忙しく、連絡と補助中心。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


 霧のような揺らぎ。


 武国・デジマ東南部沖に、巨大な商船が音もなく出現した。



 何もなかったはずの虚空から木造の船体が滲み出す。


 周囲を往来する漁船は一隻もない。


 完璧だ。


「旦那様。座標誤差なし。対象エリアへの侵入、成功です」


 書板から顔を上げ、淡々と告げるノクス。


 風に吹かれる、肩までの銀髪。


 ゴシックドレスは恐らく、この国ではかなり異質。


 私たちが向かっているのは……武国。


 ノクスは感情の読めない瞳で周囲の魔力残滓を測り続けている。


「助かる、ノクス。完璧な転移だな」


 私は甲板の最前列に立ち、冷たい潮風を一度だけ深く吸い込んだ。


「やはり、知らない場所に転移するのは危険ですね。術者のイメージが不安定になるからでしょうか」


 黒のコートが重力に沿ってゆれる。


 私が見る先には、分厚い石壁に囲まれた港町が広がっていた。


「生きているのか死んでいるのかわからない、灰色の景色だな」


 エイレンが呟く。


 まるで私の気持ちのようだ。


 アウレリアが囚われてから、ずっとそう思っている。


 必ず引きずり出す。


 そしてこの国を根底から堕とす。


「主よ。これだけ巨大な船が突然現れて、見張りの一艘も来ないとは。怠慢にもほどがあるぞ」


 ネコ耳パーカーからボンテージがのぞく……エイレンが腕を組み、海をにらんで吐き捨てた。


 赤髪を布で隠した彼女の碧眼には、すでに抑えきれない戦意が光っている。


「……隠蔽が、完璧だから。……誰も気づいていない」


 リュシエルが白いフードの奥からぽつりと呟いた。


 元教区長の魔力操作。


 他国の監視網など……全く問題がない。


「表向きは商人一行の観光、商いだ。まずは国の空気を探る」


 私は短く宣言した。


「裏では、デジマに接続点を仕込む。それだけでいい」



          ◇



 検問所の列は、長く、動かない。


「まったく……なぜこんなに時間がかかるのだ」


 いらだちを隠さないエイレン。


 石造りの冷たい地面。


 小さな柵の間を目指し、入国審査を待つ人間が延々と並んでいる。


 商人、旅人、行商人。


「皆様、口を閉じ、足元を見て、ただ番が来るのを待っていますね」


「……私語もない。疲れ切ってる」


 笑い声は皆無だ。


 まるで葬列だった。


 数時間の待機の末、私たちはようやく薄暗い窓口にたどり着いた。


「——無効ですね」


 開口一番。


 小太りの役人が分厚い偽造通交証を突き返した。


 書類を見てすらいない。


「おかしいですね。事前の手続きでは問題ないとうかがっておりましたが」


「申請書を綴じている紐の結び目が、規定の『右結び』ではなく『左結び』です。受理できません」


 結び目の向き……。


 数時間の待機を、紐の結び目一つで無に帰そうというのだ。


「たかが紐の向き一つで」


 エイレンが低く唸った。


「我々を追い返す気か」


 私は彼女の腕を静かに抑えた。


 ここで怒鳴っても何も変わらない。


 それが分かっているからこそ、この役人は平然とそういう顔をしている。


「……血が通っていない。……冷たい……石みたい」


 役人の顔を見て、私に耳打ちするリュシエル。


「第五窓口で規格の紐を受け取り、結び直してから列の最後尾へお並びください。以上です」


「しかし長旅でかなり疲弊しておりまして、そこを何とかご考慮いただけないでしょうか」


「万が一、不備のある書類を通して問題が起きた場合、誰が責任を取りますか。我々は規程に従い、正しい業務を行っているだけです。——次の方」


 なるほど。


 私は内心で静かに笑った。


 これは嫌がらせではない。


 理不尽な手続きと徒労感で気力を削ぎ、外来者を従順な羊に変えるための洗礼だ。


「仕方ないですね」


 私は呟く。


 保身と規程という名の盾。


 どこの国にも存在する、支配の最も地味で残酷な形。


「旦那様……わたくしの作成した書類に不備があるとは。大変申し訳ございません」


 ノクスが悔しそうに頭を下げた。


 違う。


 彼女の偽造は国の魔力印章すら完全に再現した完璧なものだ。


 それもダンジョンルーム……魔具工房イデア・ファクトリーによって。


 問題は書類の質ではない。


「気にするな」


 私は役人に向き直り、袖の下から革袋をそっとすべらせた。


「これでも、『前例』は作れませんか」


 金貨が触れ合う微かな音。


 役人の目が一瞬だけ動いた。


「……今回だけ特別に、書類不備の臨時処理手数料として扱いましょう」


 役人は素早く袋を引き出しに押し込み、先ほど突き返した書類に乱暴な印を押した。


「寛大なご処置、感謝いたします」


 規程を並べ立てながら、結局は金で動く。


 どこまでも底が浅い。


 私は商人の愛想笑いを保ちながら、この国への怒りをもう一段深いところへ仕舞い込んだ。



          ◇



 表通りに出ると、物理的な賑わいはあった。


 屋台が並び、商人が声を上げ、それなりの人出がある。


 しかし。


「……誰も、笑っていない。……視線が……下向いてるね」


 通りを見渡すリュシエル。


 その通りだった。


「声も小さく、会話は囁き声。皆が何かに怯えながら動いている、そんなきがしますね。旦那様」


 見えない何かに見張られているような街だ。


「活気を取り繕っているだけだ。その実、管理と監視で縛り付けている」


「……嫌な場所。息が詰まる」


「締め付けが強いほど、弾けた時の反動は大きい」


 私は観光客の顔をしながら通りを歩き、裏道へと目を走らせた。


 ノクスが地図を開くふりで耳打ちしてくる。


「旦那様。右手の路地に、監視の届いていない廃区画があります」


「商人のたしなみとして、現地の文化を深く見ておくとしよう」


          ◇



 路地に入る。


 そこには苔むした石の台座と朽ちた鳥居があった。


「古い神を祀っていた場所か。……随分と荒れているな」


 エイレンが鳥居を見上げる。


「……縄も切れてる。お金をいれる箱も倒れたまま。……誰にも、気にされていない」


 リュシエルがひっそりと祠に触れ、目を伏せた。


 元教区長……宗教は違うながらも何か思うところがあるのだろうか。


「ここでいい」


 私は足元の濃い影に魔力を這わせた。


転移門接続(ゲートオープン)


 ダンジョンの深淵とこの祠の影を、見えない糸で縫い合わせる。それだけだ。


「固定完了。これでいつでも戦力を送り込める」



          ◇



 表通りに戻った直後、空気が……明らかに変わった。


 怒鳴り声を上げる役人。


 一斉に路傍へ下がる通行人。


「伏せろ! 頭を上げるな!」


「……主、前方から武装した行列が来るぞ」


 エイレンが腰の剣に手をかける。


 私はその腕を強く掴んで止めた。


 どういうことか……それを理解するより先に、周囲の民衆が答えを見せてくれた。


「男も女も老人も……一様に膝をつき、額を地面に擦り付けているな。異様だ」と私。


 遅れた老人が役人に背中を押され、泥の中に倒れ込んだ。


 誰も助けない。


 誰も顔を上げない。


「大名行列ですね。確か……武国の古い古い文化だと聞きました」


 ノクスが静かに言う。


 ここで事を荒げるのは得策ではない。


 私たちも商人として膝をついた。


 神輿のような豪奢な乗り物が、重い太鼓の音と共にゆっくりと通り過ぎていく。


 痛みはない……しかし。


 これは確実に、人間の尊厳を削り取る儀式だった。


 恥と服従を、毎日毎日積み重ねて刷り込む。


 規律という名の恐怖。


 この国はそれで人の心を殺している。


「アウレリアはこのような国にとらわれているのか……」


 腹の底に黒くて重いものが溜まっていくのを、私は静かに感じた。



 行列の中ほどを視線が追ったとき、私の目はある一点に止まった。


 屋敷の門前に立つ、一人の少女だ。


 鮮やかな装束に黒紫のハーフツインの髪。


「あれは……」


 思わず呟いてしまう。


 一見すると可憐な踊り子だが、その立ち姿に宿る緊張感は別物だった。


 周囲を測るような目。


 隙のない重心の置き方。


「……忍び。……ね」


 訓練を積んだ者の、抑えきれない本質がにじみ出ていた。


「旦那様」


 ノクスが微かな声で言った。


「私も同じものを見ている」


 一行が姿を消す直前……私は立ち上がり、動いた。


 ——ピン。


 指先を小さくはじく。


 ダンジョンの魔力を乗せた、回路(パス)


 見えない、音もない、気配もない。


しかし確実に届く一本の線を、門前に立つ彼女の影へと向けて放つ。


「……これでいい」


 私は静かに口角を上げた。



          ◇



「……己の剣が泣いているぞ」


 エイレンが膝の砂を払い、忌々しそうに呟く。


「……膝が痛い」


 リュシエルも同調した。


「旦那様、魔力パスが対象に到達しましたね」


 ノクスの声。


「ああ。確かに繋がった」


 私は立ち上がり、すでに姿を消した門前を一瞥した。


 敵の内部……彼女を通して探らせてもらおう。


「……なるほど。……見るってこと、ね」


 リュシエルの言う通り。


 あの少女がどう動くか。


 この息苦しい国の中で、何を抱えているか。


 答えはすぐに見えてくる。


「観測室で彼女の動きを見ればいい。今日の仕事は終わりだ」


 商人の笑みを顔に貼り付け直し、私は支配の匂いが充満するデジマの街を、静かに歩き出した。




第二部、はじめました。冷やし中華、始まってません! 勝った! 第二部、完!

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