第53話:堕落の王都、誕生
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
アウレリアが光の中へ消えてから数日。
私は王城の最上階、夜風が吹き抜けるバルコニーに立っていた。
「……変われば変わるものだな」
眼下に広がる光景。
私は思わずつぶやく。
かつて、この国の夜は『死』と同義だった。
日没と共に門は閉ざされ、灯火は制限され、静寂の中で神への祈りだけが許される。
それが聖白教の定めた『正しい夜』だった。
だが、今はどうだ。
王都全体が、まるで宝石箱をひっくり返したような『極彩色の光』に包まれている。
ダンジョンから供給される無尽蔵の魔力を光源とした『魔導街灯』。
それが大通りから路地裏の果てまで、煌々と照らし出しているのだ。
風に乗って上がってくるのは、賛美歌ではない。
肉を焼く香ばしい匂い。
吟遊詩人が奏でるリュートの音色。
そして何より——爆発するような『人々の笑い声』だ。
美しいな。
聖白教は『夜は魔が潜む』と教えたが……魔が支配した夜の方が、これほど明るく賑やかだとは皮肉な話だ。
人々はもう、神に許しを乞うて眠るのではない。
明日の楽しみを語らい、満腹の腹をさすりながら眠るのだ。
「お待たせしたな、レオ殿」
背後から、穏やかな声がかかった。
振り返ると、そこにはグレイヴァルド王が立っていた。
◇
謁見の間。
人払いがされた深夜の広間で、私と王は対峙していた。
王の姿に、かつての威圧感はない。
豪奢な王衣を脱ぎ捨て、簡素なガウンを羽織り、膝の上には黒猫のミウが丸まって喉を鳴らしている。
その表情は、憑き物が落ちたように穏やかだった。
「不思議だ。我は今、即位してから一番、心安らかに過ごしておる」
王はミウの背中を撫でながら、窓の外の喧騒に目を細めた。
「民を守るために、聖白教の顔色をうかがい、『我慢』を強いてきたが……我が本当に守りたかったのは、この『喧騒』だったのかもしれん」
「なるほど。確かにそうかもしれませんね。私もこの光景を見て……少し、感じ入りました。でも……王はもう少し自分のことも考えても良いかと」
私が言うと、王は苦笑し、懐から一つの鍵を取り出した。
古びた、ずしりと重い真鍮の鍵。
王城の地下水路、宝物庫、そして都市結界の中枢へのアクセス権を示す『マスターキー』だ。
「持って行け。表向きの署名は我がしよう。だが、舵取りは其の方らに任せる」
「……いいのですか? 王冠を……捨てることと同義です」
「構わんよ。我は、猫と日向ぼっこでもさせてもらうさ。妻の墓参りもせんといかん」
「奥方は……」
私の言葉の途中で王は応えた。
「病気でな。三年ほど前だったか。それが曖昧になるくらい……悲しみは過ぎたのだな」
「聖白教と縁が切れても、墓参りはする……それで良いと思います。居場所が大切だ。儀式じゃない。きっと……聖白教でなくとも、天国はあると思います」
「だと良いな」
王の鍵はずしりと重い。
それは責任の重さだ。
背負った国民の重さだ。
「鍵につぶされるな、レオ殿」
「はは、まだ責任はとってもらいましょう」
「減らず口を」
私は鍵を握りしめた。
冷たい金属の感触と共に、一国の運命が私の掌に収まった。
「リュシエルを……許してあげてください。デュラン王よ」
「元より恨んでなどおらん。父もあれで敵は多かった。いつどうなるか……そしていつ、我も父と同じになるかと……思っていたものだ。しかし、それもなくなった」
王は遠くを見つめる。
外の笑い声が一際大きくなる。
「グレイヴァルド王の名において、国鍵をレオ殿に譲渡する。代わりに、王命をひとつ命ずる」
雰囲気を切り替えた王に対し、私は真剣な眼差しを向ける。
「はい」
「時々我とこうして語らうんだ。わかったな?」
私は苦笑して頷いた。
「承知しました。昼寝している間に、この国をもっと『面白く』しておきますよ」
◇
王との密談を終え、私は城下に出た。
隣には、フードを目深に被った連れが一人。
元・教区長、リュシエルだ。
「……うるさい。……眩しい。……臭い」
彼女はボソボソと文句を言っているが、その瞳はキョロキョロと忙しなく周囲を観察している。
「……でも、それが良い」
市場は『夜市』となっており、熱気と活気にあふれていた。
「いらっしゃい! ダンジョン産の卵だよ! 精力つくよー!」
「こっちは冷えたエールだ! 一杯どうだい!」
通り沿いの酒場テラスでは、仕事上がりの元・聖白騎士たちが、一般市民と肩を組んでジョッキをぶつけ合っていた。
かつては『見回りと摘発』をする恐怖の対象だった彼らが、今はただの酔っ払いとして民に溶けこんでいる。
「……信じられない。……規律が乱れているのに、誰も争っていない」
「規律で縛るから反発するんだ。欲望を満たしてやれば、人間は意外と穏やかになる」
私は屋台の店主に銅貨を投げ、焼きたての串焼きを二本受け取った。
甘辛いタレがたっぷりと絡まり、炭火の香りが鼻孔を直撃する。
「ほら、食ってみろ」
「……私は」
「『毒見』だろ? 戦略顧問なら、民が何を食って喜んでいるか知っておく必要がある」
リュシエルは渋々といった様子で串を受け取り、恐る恐る口をつけた。
一口、かじる。
咀嚼する。
そして、嚥下。
口の端にタレがついたが、彼女はそれを拭おうともしなかった。
「……どうだ?」
彼女は串を見つめたまま、ポツリと言った。
「……濃い味。」
「不味いか?」
「……ううん。……温かい」
彼女の視線が、周囲の笑顔に向けられる。
親に手を引かれて笑う子供。
恋人同士で語らう若者。
誰も凍えていない。
誰も、隣人を密告しようと怯えていない。
「……これで、いい」
リュシエルの中で、長年縛られていた『清貧の呪い』が、音を立てて崩れ去った瞬間。
「……早くフードを外せるようになると良いな」
「自由のために戦えば、国民もわかってくれるさ」
「……頑張る」
彼女は汚れた口元のまま、かすかに、本当にかすかに笑った。
「……悪くないよ、あなた。あなたの作った『地獄』」
◇
ダンジョンへの帰還。
メインルームでは、ノクスが待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
メインルームには映像が鮮明に……虚空に映し出されていた。
「これは……」
「魔導機ディスプレアです。古代の魔法使いが完成させていたものを、完全に再現しました」
巨大な魔法映像には、王都全体の地図が青く輝いている。
「報告がある。王から国鍵を授かった」
私が鍵を見せると、ノクスはうやうやしく一礼した。
そしてディスプレアを触ってダンジョン情報を書き換えていく。
「確認いたしました。王城中枢との魔力リンク、および行政機関の掌握を確認。……地上エリアの『ダンジョン化』プロセス、完了です」
モニターの表示が、『GRAYVALD KINGDOM』から『FALLEN DUNGEON: 1st FLOOR』へと書き換わる。
「これより、グレイヴァルド王国全域は、正式に『堕落のダンジョン・第1階層(地上エリア)』として認識されます」
つまり、王都をダンジョンとして運用できるようになった……ということだ。
そして、いつ、何が行われているか……手にとるようにわかるようになったということ。
「おめでとうございます、旦那様。これで名実ともにこの国の『主権』です」
ノクスがグラスに飲み物を注ぎ、私に手渡す。
私はそれを受け取り、高々と掲げた。
「ああ。……これで足場は固まった」
振り返れば、この短い期間で多くのものを手に入れた。
忠実な眷属。
仲間たち。
そして、一つの国。
だが、止まってはいられない。
遠い北の空の下、たった一人で戦っている『彼女』を取り戻すまでは。




