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第51話:堕落の湯

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。

第52話:堕落の湯

 激闘の余韻が冷めやらぬ中。


 私のダンジョンは、主である私ですら予想しなかった進化を遂げようとしていた。


「お待たせいたしました、旦那様」


 重厚な扉の前で、ノクスがスカートの裾を摘み、優雅に礼をする。


 その顔には、最高傑作を作り上げた職人のような、静かな自負が浮かんでいた。


「先日の戦いにおいて騎士団からしぼり取った『欲望』……そして、リュシエル様の溜めこんでいた欲望……」


 ノクスが指を鳴らす。


「すべてが変換され、新しいダンジョンルームが拡張されました。ここ……深層に作った宴会場の奥に新しく」


 ゴゴゴ、と重い音を立てて扉が開かれると同時に、視界が真っ白な蒸気に包まれた。


「新しいダンジョンルーム『回復の泉』です」


 鼻孔をくすぐる硫黄の香り。


 そして、肌を撫でる温かな湿気。


「うわぁ……! すごぉい! ノクスちゃん、これは……!」


 私の背後から飛び出したアウレリアが、目を輝かせて歓声を上げる。


 そこには、地下空間とは到底思えない、壮大な『大浴場』が広がっていた。


 ふんだんに使われたヒノキの香りに、壁一面に描かれた雄大な壁画(なぜか私が世界を見下ろしている図だ)。


 湯船に至っては、ちょっとしたプールほどの広さがある。


「……これが、私の欲望……? 生きたい……?」


「生きるために必要だろ、これは! 温泉だぞ!」


 エイレンが興奮した声をあげる。


「生きることに関わっては……この温泉の効果です」


 ノクスは涼しい顔で言い放ち、私に向き直る。


 その真紅の瞳が、期待に潤んでいた。


「いかがでしょう旦那様。この『回復の泉』は、単なる温泉ではありません。高濃度の魔素が溶けこんでおり、浸かるだけで肉体の修復と魔力回路のメンテナンスが行われます。瀕死の傷もこちらにつかれば再生します」


「見事だノクス」


「ありがとうございます。もちろんリラックス効果や精神的な再生効果もあります」


 ノクスは嬉しそうに目を細め、すっと私の背中に回ると、上着を脱がせにかかった。


 流れるような手付きだ。


「さあ、女性陣は向こうの『女湯』へ。……アウレリア様、のぼせて旦那様にご迷惑をかけないようにしてくださいね」


「むぅ、子供扱いしないでよぉ。……あなた様ぁ、私、一番風呂いただいてくるねぇ!」


「……ふん。悪くない。猫用の桶はあるか?」


 アウレリアが脱衣所へ駆け出し、エイレンが感心したように髭を揺らす。


「良いですわね。これで誰が死んでも問題ない状況になったわ」


 その後ろを、リュシエルとクラリスが続くのを見届ける。


「……生きること……うーん?」


 リュシエルの呟き。


 私もノクスに促されて『男湯』へと足を踏み入れた。






          ◇




「……くぅ、極楽だな」


 広大な湯船を独り占めし、私は手足を伸ばした。


 熱めの湯が、戦闘で張り詰めていた神経を、芯からとろかしていくようだ。


 湯気越しに天井を仰いでいると、気配もなく背後に誰かが立った。


「失礼します、旦那様。お背中をお流しします」


「ノクスか? ……ここは男湯だぞ」


「私は性別を超越した……ダラクローンの眷属ですので」


「嘘つくな」


「はい嘘です。いえ……それに、貴方様の生肌に触れる権利は私にもあります」


 当然のような顔で、ノクスがタオルを持って湯船に入ってくる。


 彼女は私の背後に回ると、適度な力加減で背中を流し始めた。


 その指先はひんやりとしているが、不思議と心地よい。


「……向こうも、賑やかですね」


 ノクスが視線を向けた先、石造りの壁の向こうから、チャプチャプという水音と話し声が反響して聞こえてくる。


「背中、流しましょうか? 教区長……いえ、『戦略顧問』?」


 クラリスの楽しげな声だ。


「……不要。……あと、その呼び方はやめて。」


 短く、抑揚のない返答。


 リュシエルだ。


「あら、ごめんなさい。……でも、貴女も随分と肩の力が抜けたようね。昔は鎧を着て入浴しているみたいに、ピリピリしていたもの」


「……そうかも。……お湯が、こんなに温かいとは知らなかった。……教団の沐浴は、冷水で精神を鍛えるものだったから」


 ノクスが私の背中を流す手を止め、耳をそばだてるように微笑む。


「……堕ちましたね、聖女様も。温水の快楽を知ってしまえば、もうあの冷たい石の床には戻れません」


「ああ。人間味が出てきた」


「ええ。これこそがダンジョンマスターの力。……剣で心臓を貫くよりも深く、彼女たちの『在り方』を書き換えてしまった」


 ノクスは誇らしげに囁き、私の肩にお湯をかけた。


 かつての政敵同士が、裸で背中を預け合う。


 その『平和な堕落』を管理することこそ、ノクスの悦びなのだろう。


「思えば、旦那様とはゆっくり話したことがありませんでした」


「そうかもしれないな」


「旦那様がダンジョンの契約者で良かった……そう思います」


「ありがとう」


「露天風呂もありますよ。旦那様」


「露天……?」


「はい。天に露わになっているという意味では、確かにその通りです。露天風呂から見えている空間は……宇宙の星雲ですから」



          ◇



 風呂上がり。


 宴会場のタタミ敷きの広間には、湯上がりの美女たちが浴衣姿でくつろいでいた。


 中央のテーブルには、ノクスが用意した湯上がりの特効薬……キンキンに冷えた特製フルーツ牛乳が並んでいる。


「んん〜っ! キンッキンに冷えてるぅ〜!」


 アウレリアが扇風機の前を陣取り、はだけた浴衣も気にせずに喉を鳴らしている。


 その肢体はなまめかしく、上気した肌がほんのりと桜色に染まっていた。


「アウレリア様、行儀が悪いです」


 ノクスが冷えたおしぼりを渡しながらたしなめるが、アウレリアはへらりと笑う。


「いいのいいの。あなた様は、こういう私が好きなんだもん……ねぇ?」


 彼女は上目遣いで私を見つめ、牛乳瓶の結露で濡れた指先を舐めた。


「そんなことは」


 ……あざとい。だが、それが彼女の武器だ。


 一方で、リュシエルは。


「……毒見は私がする。」


 そう言って牛乳を一気にあおっていた。


 ゴク、ゴク、ゴク、ぷはっ。


「……甘い。……でも、悪くない」


 満足げに息を吐く彼女の口元には、白い牛乳のヒゲがついている。


 クラリスが苦笑しながらそれを拭ってやる光景を見ながら、私はノクスに目配せをした。


 ノクスは小さく頷き、私の横にひかえる。


「ねえ、リュシエル」


 クラリスが切り出す。


「王国の行政は私が回すわ。……だから、貴女は『外』を見て」


「……分かってる。クラリスは守りを。私は攻めを。……それでいい。」


 二人の握手。


 最強の内政タッグの結成だ。


 ノクスが私の耳元で囁く。


「計算通りですね、マスター。これで地盤は固まりました」


「ああ。……だが、問題は『外』だ」


 私の視線は、扇風機の前で無邪気に涼んでいるアウレリアに向けられた。


 彼女もまた、その視線に気づき、一瞬だけ……表向きの冷静な目を向け返してきた。



          ◇



 その夜。


 私の寝室に、音もなく影が滑りこんできた。


「……ノクスか?」


「いえ。ちょっと……」


 闇の中からノクスの声がしたかと思うと、彼女はベッドサイドに水を置き、音もなく退室していった。


 入れ替わりに入ってきたのは、甘い香りをまとった小柄な影だ。


「……あなた様ぁ」


 ベッドのシーツが沈みこむ。


 アウレリアだ。


 彼女はネグリジェのような薄着一枚の姿で、私の布団の中に潜りこんでくると、しがみつくように胸に顔を埋めた。


「どうした? 今日は随分と甘えん坊だな」


「……うん。今日だけはねぇ、特別」


 彼女の声は震えていた。


 いつものふざけた調子ではない。


 彼女は私の匂いを深く吸いこむと、ポツリと言った。


「……リュシエルちゃんを見てて、思ったの。あの子、すごく強いなーって」


「そうだな」


「でもね、もっと強いのがいる。『教主』だよぉ。……本物の化け物」


 アウレリアの体が強張る。


 彼女は知っているのだ。


 聖務連絡官として、本国『白塔』に出入りしていた彼女は、敵の本当の恐ろしさを肌で知っている。


「……わたしね、ここが大好きなの」


 彼女は顔を上げ、うるんだ瞳で私を見つめた。


「美味しいご飯があって、温かいお風呂があって……何より、あなた様がいる。私、もうこの『沼』から出られないよぉ」


「そう。もうここは君の家だ」


「うん……。だから、守らなきゃ」


 彼女の瞳から、甘さが消える。


 そこにあったのは、愛する居場所を荒らす者を許さない、猛獣の光だった。


「近いうちに、わたし、行くね。他の国へ。多くの国を味方にしないと……教主には、絶対に勝てないよ」


 それは、死地への志願だった。


「……頼む。だが、死ぬなよ。お前がいなくなったら、ノクスがうるさいからな」


「あはは……ノクスちゃん、怒ると怖いもんねぇ」


 アウレリアは涙交じりに笑い、私を見つめた。


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