第47話:王の離脱と崩れる教会
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
床に膝をついたまま、リュシエルは震えていた。
目の前には、私が差し出した手がある。
取れば楽になる。それは彼女の本能が理解していた。
だが——彼女の魂に刻まれた『教区長』としてのプライドが、最後の抵抗を見せた。
「……触るな」
バシッ、と乾いた音が響く。
彼女は私の手を、力なく、しかし拒絶の意志をこめて払いのけた。
「私はまだ……私は……」
彼女はよろめきながら立ち上がった。
その顔は蒼白で、髪は乱れているが、瞳の奥の狂気だけは消えていない。
まだ、すがるものがあるのだ。
「騎士団が堕落しても……王城が制圧されても、『王』がおられます。グレイヴァルド王は、神聖連合から王権を授かった、秩序の守護者。……彼がいる限り、この国の信仰は揺るぎません」
彼女は自分に言い聞かせるように早口でまくし立てた。
「王は必ず、暴徒たちを鎮圧し、再び白き旗を掲げるはずです。……私は教区長として、王を信じます」
哀れなほどの盲信。
彼女は知らないのだ。
その王こそが、早々に彼女を見限った人物であることを。
「……そうか。それが貴女の『最後の希望』か」
私はため息をつき、クラリスに目配せをした。
クラリスは無言で頷き、魔導機を操作する。
「残念だが、リュシエル。……その王から、貴女への『別れの言葉』が届く……そんなころだ」
「え……?」
パッ、と水鏡の場面が切り替わる。
映し出されたのは、夜明けの光が差しこむ王城のバルコニーだ。
◇
王城、バルコニー。
朝日が昇っている。
王城前の大通りには数万の市民たちが、不安げに集まっていた。
ガレキの山。
消えた騎士団。
混乱する民衆の前に、一人の男が姿を現した。
デュラン・グレイヴァルド王だ。
彼は豪奢な王衣を纏っている……しかし頭上の王冠——聖白教から授与された『十字の王冠』を外していた。
『——聞け! 我が愛する民よ!』
王の声が、魔法拡声器を通じて王都中に響き渡る。
魔導機を通じて、ダンジョンすべてに、その声は鮮明に響く。
『燃え広がった祈跡の火も皆の協力で消え去った。短時間降った雨が残火も消し止めたであろう。ただ、オルドリア教会だけは燃え落ちたが……』
「なっ……」
王の言葉を聞き、リュシエルが悲鳴にも似た声をあげる。
仲間たちも通った場所……思い思いの表情を浮かべた。
『昨夜、我々は未曾有の危機に直面した! 聖白守護騎士団による、理不尽な武力侵攻である!』
広場がざわめく。
王は拳を握りしめ、言葉を続けた。
『彼らは『正義』を騙り、民の家を焼き、剣を向けた! ……これが神の意志か? 否! これは、狂気に満ちた信仰が自らを守ろうとした『悪あがき』に過ぎない!』
王の激昂。
リュシエルが、息を呑む。
王が……神の代行者である王が、教会を腐敗と断じたのだ。
『余は……いや……我は決断した!』
王はバルコニーの手すりに足をかけ、高らかに宣言した。
『グレイヴァルド王国は、ただ今をもって『神聖連合国』からの離脱を宣言する! 我々は、聖白教の支配を拒絶し、独自の道を歩む!』
——独立宣言。
それは、聖白教圏における『破門』を意味し、神聖連合国の国家としては自殺行為にも等しい決断だ。
だが、民衆の反応は違った。
「おおおおおッ!!」
「王万歳! 自由万歳!」
爆発的な歓声。
彼らもまた、戒律に縛られる日々に疲弊していたのだ。
王の言葉は、彼らの本心を代弁する『許可証』となった。
『もはや、甘味を我慢する必要はない! 踊りを禁じる必要もない! 誰かを愛することを恥じる必要もない!』
王は呼吸せず続ける。
『これより我らが祈るのは、遠い空の神ではない。……隣人の笑顔と、明日のパンだ! 我慢をやめよ! 欲望を解放せよ!』
しかし語勢は弱まらない。
『真の慈悲とは、民を縛ることではない! 民の笑顔を守ることだ!』
王は両手を広げ、朝日に照らされた街を見下ろした。
『自由を謳歌せよ! 今日この日が、我々の『建国記念日』である!』
万雷の拍手。
歓喜の渦。
その光景は、新しい時代の幕開けを告げていた。
そして同時に——古い時代の死を告げる鐘の音でもあった。
◇
「……あ、あぁ……」
リュシエルは、崩れ落ちた。
今度こそ、深く……深く……。
膝をつき、両手で顔を覆い、小さく丸まる。
「王が……離反した……。神を……捨てた……」
彼女が信じていた世界の前提が、すべてくつがえった。
騎士団は堕落し、民衆は教会を憎み、王は独立した。
この世界に、彼女の『正義』を支持する者は、もう一人もいない。
「私が……私が守ってきたものは……何だったのか……」
彼女の口から、乾いた問いが漏れる。
犠牲になった両親。
捨ててきた感情。
捧げてきた人生。
それら全てが、無価値なガラクタだったと突きつけられたのだ。
「誰も……望んでいなかった……。私の秩序なんて……誰も……」
彼女の背中が震え、嗚咽が漏れ始める。
冷酷な女が、初めて見せる『人間』としての崩壊。
エイレンが痛ましげに目を伏せ、アウレリアが唇を噛む。
クラリスもまた涙を拭いた。
かつての仇敵だが、同じシステムに搾取された被害者として、彼女の痛みは痛いほど分かるのだろう。
私は静かに彼女に歩み寄った。
巨塔は崩れた。
ガレキの山になった。
だが、だからこそ——新しい家を建てることができる。
「リュシエル」
私は彼女の前にしゃがみこみ、震える肩に手を置いた。
「答えは簡単だ。……貴女の秩序は『間違い』だった」
「ッ……!」
「だが、貴女の『献身』までが嘘だったわけじゃない」
彼女が顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃになったその顔は、初めて会った時よりも、ずっと人間らしく、美しく見えた。
「貴女は、誰よりもこの国を愛し、誰よりも救いたいと願っていた。……その方法は間違っていたが、その『熱量』だけは本物だ」
私は、彼女の涙を指で拭った。
「その熱意を、別の方向に向けてみないか? ……人々を縛るためではなく、解放するために」
「……私に、そんな資格が……?」
「資格などいらない。必要なのは『欲望』だけだ」
私は彼女に問いかけた。
最後の審判だ。
「教えてくれ、リュシエル。……貴女が、あの日。両親を失った雪の日。……本当は、何と言って泣きたかった?」
彼女の瞳が揺れる。
封印していた記憶。
少女時代の、凍りついた叫び。
「私は……」
彼女の唇が震える。
教区長としての言葉ではない。
一人の、傷ついた少女としての本音が、喉元までせり上がってくる。
「私は……!」




