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第46話:休息

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


クラリス / 青髪のハーフアップにカラフルなメッシュ。グレイヴァルド王国の宰相で、自分のアーティスティックな感性を解放させて、国家運営?をしてしまう。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


「……あ、ああ……カラアゲ……」


 一人の若い騎士が、ふらふらと歩き出した。


 彼は剣を捨て、兜を脱ぎ捨て、料理のテーブルへと吸い寄せられていく。


 そして、素手で唐揚げをつかみ、口に放りこんだ。


「…………ッ!!」


 彼の目から、涙が噴き出した。


 美味い。


 美味すぎる。


 禁忌? 教義? 知ったことか。


 彼の脳髄は今、糖分と脂質と塩分によって、爆発的な快楽の渦に飲みこまれていた。


「うまい……うまいぞぉぉッ!」


 その絶叫が、堤防を決壊させた。


 ガシャーン! 


 ガラガラッ!


 最後まで握っていた誓いの剣が一斉に捨てられる音が、会場に響き渡った。


 もはや、騎士団ではない。


 ただの飢えた獣の群れだ。


「俺たちは食べたかったんだー!」


「本当は休みたかったんだー!!」


「軟骨ーーー!」


 ——契約完了ディール


 彼らは我先にとテーブルに殺到し、料理に食らいつき、飲み物を浴びるように飲み干した。


「肉だ! 肉をよこせ!」


「ラーメンうめー」


「これケンタじゃねーか!」


「甘い! このケーキ、ファンデーションみたいよ!」


「おいなんだ! 犬もいるぞ! かわいい!!」


「猫も! フェレットもだ!」


「こっちには風呂があるぞー! お湯だ! 温かいお湯だ!」


「寝るぞーーー!!」


 ある者は皿を舐め、ある者は服を脱ぎ捨てて浴場へダイブし、ある者は満腹になってその場で大の字になってイビキをかき始めた。


 聖騎士の誇り? 


 清貧の誓い?


 そんなものは、ケィン・コーランドの前では無力なのだ。


「堕落のダンジョンへ、ようこそ」


 私は口角をあげた。



          ◇



「……嘘だ」


 リュシエルは、瞬きすらせずに映像を凝視していた。


 彼女の顔から、先ほどまでの冷徹な仮面が剥がれ落ち、信じられないものを見るような、引きつった表情が浮かんでいる。


「あり得ない……。彼らは選ばれた精鋭です。厳しい訓練と、洗脳に近い教育を受けた……秩序の化身のはず……」


「これが人間だよ、リュシエル」


 私は彼女の耳元で囁いた。


 魔法映像では、パンツ一丁になった騎士たちが、肩を組んで陽気に歌い出している。


 悲壮感など欠片もない。


 ただ、生きている喜びだけがある。


「どんなに鎧で固めても、中身は柔らかい肉と心だ。……君が強要していた『緊張』は、ヒモと同じだ。引っ張れば引っ張るほど、切れた時の反動は大きくなる」


「反動……」


「そうだ。彼らは今、人生で初めて『解放』されたんだ。……貴女という重石が取れて、ようやく息ができたんだよ」


 私は映像を切り替えた。


 アウレリアが映る。


「エイレン代行官にくわえ、アウレリア聖務連絡官……やはり……」


 彼女は今、戦利品として回収した騎士団の剣を、鉄屑として処理場へ送っていた。


 リュシエルは唇を噛んだ。


『——任務完了だよぉ、あなた様ぁ。……全員、再起不能リタイヤ。誰一人として、剣を握ろうともしないねぇ』


 完全なる無力化。


 血を流さず、命を奪わず、ただ『やる気』だけを奪う。


 これこそが、この……堕落のダンジョンだ。


「……認めません」


 リュシエルの声が震えている。


 彼女の瞳孔が揺れていた。


「これは幻覚です。あるいは、薬物による操作……。私の騎士たちが、あんな……あんな醜い姿を晒すはずがない……!」


「醜いか?」


 私は宴会場の様子を指差した。


 画面の端で、若い騎士が、仲間に食事を分け与えて笑い合っている。


 風呂上がりの騎士たちが、背中を流し合っている。


 そこには、戦場では決して見られなかった『連帯』と『平和』があった。


「私には、彼らが今までで一番『人間らしく』見えるが?」


「黙りなさいッ!」


 リュシエルが叫んだ。


 彼女にとって、あの光景は「平和」ではない。

 

 『汚染』だ。


 自分の作り上げた完璧な世界が、脂と汗と弛緩した笑顔によって、汚されていく。


 それが耐えられない。


「汚らわしい……! 全員、破門です。浄化刑だ……! こんな……こんな堕落は、秩序への反逆……」


「まだ分からないか」


 私は彼女の顎を掴み、無理やりモニターに向けさせた。


「彼らは反逆したんじゃない。……『貴女を捨てた』んだ」


「ッ……!」


「貴女の厳しさよりも、このダンジョンの甘さを選んだ。……貴女の『ムチ』は、私の『アメ』に負けたんだよ」


 事実としての敗北。


 武力でも、思想でも、そして人望でも。


「く……」


 彼女はすべてにおいて、否定された。


「……あ、あぁ……」


 リュシエルの瞳から、光が失われていく。


 心の防壁に、決定的な亀裂が入った。


 彼女が信じていた『秩序』は、誰も望んでいなかった。


 彼女が捧げてきた犠牲は、誰のためにもなっていなかった。


 ガガガガッ……!


 その時、特別応接室の扉が開いた。


 入ってきたのは、勝利の報告に来たクラリスと、猫耳をつけたままのエイレン、そしてアウレリアだ。


 かつて聖白教に抑圧され、そしてそこから救われた女たち。


「ごきげんよう、教区長」


 クラリスが、かつてないほど冷ややかな、しかし晴れやかな笑顔で告げた。


「王城は解放されました。陛下も演説をなさいます。……貴女の居場所は、もうどこにもないわ」


 外堀は埋まった。


 内堀も崩れた。


 本丸である彼女の心だけが、まだ辛うじて立っている。


「さあ、仕上げだリュシエル」


 私は彼女の拘束を解いた。


 彼女は崩れ落ちるように床に膝をつく。


 逃げようとはしない。


 逃げる場所がないことを悟っているからだ。


「貴女に残された道は二つだ。……このまま孤独な『秩序の亡霊』として朽ち果てるか」


 私は彼女に手を差し伸べた。


 かつて、精神世界で拒絶された手。


 だが今は、状況が違う。


「それとも、その鎧を脱ぎ捨てて……我々と共に『人間』をやり直すか」


 リュシエルが顔を上げる。


 その目には、涙が溜まっていた。


 それは悔し涙か、それとも——。



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