第38話:薄明に浮かぶ陽
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
「若き支配者よ。余は恐ろしいのだ」
グレイヴァルド王は静かにそう告げた。
恐ろしい……。
私は一瞬だけ考えて、言葉を返す。
「聖白教の報復が、ですか?」
「それもある。だが、もっと根源的なことだ」
王は震える手で、自分の胸を押さえた。
「聖白教は、民から『自由』を奪った……。それは事実だ。……だが同時に、『安らぎ』も与えている。思考を停止させ、ただ祈れば救われるという安らぎをな」
「…………」
喘鳴にも似た息を吐いて、王は語勢を強めた。
「もし余が神聖連合の離脱を宣言し、教義を否定すれば……民は何をよすがに生きればよい? 心に穴が空き、国は荒れ、人々は獣のように争うのではないか? ……余は、それが怖い」
なるほど。
それが……彼が長年リュシエルに屈していた理由か。
信仰という名の『蓋』を外した後の、精神的真空。
統治者としての、まっとうな恐怖だ。
だが……。
「陛下。……貴方は、民をあなどっている」
私はグラスを置き、静かに告げた。
「信仰が消えても、穴は空きません。……その穴は、即座に別の何かで埋まります」
「別のもの? ……それは何だ」
「『欲望』です」
王が眉をひそめる。
私は言葉を重ねた。
「あるいは『人間性』と言い換えてもいい。……美味しいものが食べたい。綺麗な服が着たい。誰かを愛したい。何かを創り出したい。歌いたい。踊りたい。聖白教が『罪』として封じこめてきた、それらの本能です」
私は、ダンジョンの仲間たちの顔を思い浮かべた。
「見てください。貴方の宰相、クラリスを。……彼女は信仰を捨てましたが、絶望していますか? 心に穴が空いていますか?」
「……いや」
王は首を振った。
昼間の謁見で見せた、あのギラギラとした瞳。
あふれ出る活力。
「彼女は今、誰よりも生き生きとしている。……『描きたい』という欲望が、彼女のエンジンになっているからだ」
「欲望が……人を支える、と?」
「そうです。神への祈りなどなくとも、人は『明日の楽しみ』があれば生きていける。……むしろ、その方が強く、たくましくなれる」
私は立ち上がり、王の前に立った。
「陛下。民に『自由』という名の餌を与えてください。彼らは勝手に走り出すでしょう。……もし転びそうになったら、その時は我々……欲望を司る……堕落のダンジョンが支えましょう」
「…………」
王は長い間、黙りこんでいた。
やがて、彼は顔を上げた。
その瞳から、老いと怯えの色が消えていた。
「……そうか。余が一番、民を信じていなかったのか」
王は立ち上がり、窓の外……オルドリア教区の中心……リュシエルのいる……巨大なオルドリア教会を見つめた。
「良かろう。……賭けてみるか。その『欲望』という力にな」
「賢明なご判断です」
私は微笑んだ。
しかし——。
その時だった。
キィィィィィン……!
不快な高周波音が、大気を震わせた。
窓ガラスがビリビリと振動する。
念話系の祈跡……!
それも高位の……。
『……残念ですね……。グレイヴァルド王国。あなた方のすべてを処断します』
オルドリア教区長リュシエル。
そのとがった氷柱のような声があたりに響いた。
同時に。
ダンジョンからの叫びにも似た声が私に届いた。
『——警告! 警告だよぉ、あなた様ぁ!』
アウレリアの切迫した声が脳内に反響する。
『王都上空に、高密度の魔力反応! ……今度はオルドリア教会からの『強制介入』だよぉ!』
「何だと?」
私が窓の外を見ると——夜空が、真昼のように白く発光していた。
そして、地響きと共に、王都のメインストリートを埋め尽くす『白い軍勢』の姿が見えた。
「……聖教守護騎士団……!」
守護騎士団の持つ松明が、夜を昼に変えているのだ。
王がうめく。
リュシエル。
彼女は、王の『迷い』が晴れるのを待ってはくれなかった。
しかし、それだけではない。
次に目に映ったのは夜空にあらわれた太陽ともいうべき球体。
その巨大な球体は王都の上空に浮かび、金色とも白色ともとれる色をまとっていた。
刹那。
ゴオォォォォォォン!!
爆音と同時に強い輝き。
光り輝く球体から放たれた光が四方へ飛び、王国を覆う森林地帯に火をつけた。
私は知っている。
あれは……。
高位の祈跡……『輝く角神の灯火』である。
話し合いなどする気はない。
武力による、一方的な『浄化』。
呟く。
「来たか。……賽は投げられたな」
私は王に向き直った。
「陛下。どうやら、議論の時間は終わりのようです。……覚悟は?」
王は振り返り、壁に掛けられた剣を手に取った。
その背中には、もう迷いはない。
「無論だ。……余……いや、我が国を、狂信者どもの好きにはさせん」
王は私の目を見つめ、自信のある顔を浮かべた。
「——迎え撃つぞ!」
夜明け前の王都に、開戦の鐘が鳴り響こうとしていた。




