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第32話:禁断の画材

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


「——ひゃいっ!?」


 クラリスは椅子から転げ落ちるようにして振り返り、シリモチをついたまま後ずさる。


 湯気が立つほど真っ赤な顔。


「だ、誰……!? いつからそこに……! え、衛兵! 衛兵ーーッ!!」


 彼女は錯乱状態で叫ぶが、扉の外からは何の反応もない。


 私は人差し指を立てて、静かに微笑んだ。


「無駄だ。この部屋には結界がまだ生きている」


「け、結界……!? わ、私の……!」


 クラリスはガタガタと震えながら、背後の机に手を伸ばした。


 護身用の短剣を取るためではない。


 机の上に散乱した『下手くそなドラゴンの絵』を隠すためだ。


「み、見ないで! お願い、見ないでぇぇっ!! わわわ私は禁忌を犯してしまった……ッ!」


 涙目で懇願するその姿は、冷徹な『氷の宰相』とは完全に別人だった。


 命乞いよりも切実な、尊厳を守るための叫び。


 ……悪いことをしている気分になるが、これも彼女を救うためだ。


「随分と熱心だったな。……『最強のドラゴン』だったか?」


「う、あ……うぅ……っ!」


 核心を突かれ、彼女は顔を手で覆ってうずくまった。


「殺して……。もう、いっそ殺して……。こんな恥ずかしいところを見られるくらいなら、殉職した方がマシ……」


「そう悲観するな。構図は悪くなかったぞ」


 私は床にしゃがみこみ、彼女と視線を合わせた。


「ただ、道具ツールが悪い。公務用の安いインクとペンじゃ、君の脳内にある壮大なイメージは出力しきれないだろう?」


 クラリスが、指の隙間から恐る恐るこちらを見た。


「……わかる、の?」


「ああ。君の目は、書類を見ている時とはまるで違っていた。『描きたい』という熱で燃えていたよ」


 私はダンジョンアイテムを差し出した。


 生成アイテム——『想画のスケッチブック』。


「試してみるか? これは、使用者の『脳内イメージ』を読み取り、線や塗りを自動補正して具現化する魔道具だ」


 私はスケッチブックとペンを彼女の前に差し出した。


 クラリスの視線が釘付けになる。


 警戒心。


 目の前の男が不審者であることも分かっている。


 だが、それ以上に——「描いてみたい」という本能が、理性を凌駕しつつあった。


「……本当に、私でも描けるの?」


「君の想像力が本物ならな」


 ゴクリ、と彼女が喉を鳴らす。


 震える指先が、ゆっくりとペンに触れた。


 そして、スケッチブックを開く。


「……炎の、ドラゴン。鱗は黒曜石みたいに硬くて、目はルビー色で……」


 魔法が発動した。


 彼女を包むように魔力がうずまく。


 クラリスは呟きながら、ペンを走らせる。


 本来なら、ミミズのような線になるはずだった。

 だが。


 ——ブワッ!


 紙の上でインクが光を帯び、勝手に広がり、形を成していく。


 歪んだ線は鋭利な曲線に。


 ただの点は、光沢を帯びた鱗の質感に。


 数秒後。


 そこには、まるで生きているかのような、躍動感あふれる黒竜の姿が描かれていた。


「っ……!?」


 クラリスは息を呑んだ。


 ペンを取り落とし、両手でその絵を持ち上げる。


「これ……私の……私の、竜……!」


「素晴らしい。君の脳内解像度は、真の聖白教画家以上だ」


 お世辞ではない。


 補正があるとはいえ、元のイメージが貧弱ならこうはならない。


 彼女の想像力は、長年の抑圧によって極限まで圧縮され、爆発寸前だったのだ。


「あ、ああ……」


 クラリスの瞳から、大粒の涙があふれ出した。


 それは悲しみの涙ではない。


 自分の世界が、初めて肯定され、形になったことへの歓喜。


「もっと……! もっと描きたい! 騎士も、お城も、空も……! 私の世界は、まだこんなもんじゃないの……! それにもっと素晴らしい世界を……!」


 彼女はスケッチブックを抱きしめ、狂おしいほどの渇望を叫んだ。


 完全に、理性のタガが外れかけている。


 私は立ち上がり、彼女に手を差し伸べた。


「——なら、来い。ここには何もない」


「え……?」


「この冷たい執務室には、君の望む画材も、時間も、観客もいない。あるのは退屈な公文書だけだ」


 私は部屋のスミ、影が濃くなっている場所に目をやった。


「私のダンジョンに来れば、好きなだけ描かせてやる。誰にも邪魔されず、思う存分、君の世界を形にできる」


 闇への勧誘。


 だが、今の彼女にとって、それは救世主の福音だった。


 クラリスは涙を拭い、スケッチブックを胸に抱いたまま立ち上がった。


「……行ってみましょう」


「行ってみるだけか?」


「行く……!」


 彼女は即答した。


 宰相としての職務も、聖白教への義理も、今の彼女の頭からは消し飛んでいる。


 ただ『描きたい』という一心で、彼女は私の手を掴んだ。


「描かせて……」


 私はニヤリと笑った。


「しっかり掴まっていろよ、宰相閣下」


 私は彼女の腰を抱き寄せ、影の中へと沈みこんだ。


 机の上には、未完成の公文書と、「探さないでください」と走り書きされたメモだけが残された。


 翌朝、王城は大パニックになるだろう。


 宰相が、書きかけの『ラクガキ』を残して神隠しに遭ったのだから。



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