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第31話:深夜の密室と、竜

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


 深夜の王城。


 あたりは墓場のように静まり返っている。


 私は『影門』の魔法を発動し、宰相執務室の天井裏……その影に潜んでいた。


 『影門』は影の中を自由に移動できる。


 まだ結界が張られていなかったため、魔法は封じられていない。


『——ねぇねぇ、あなた様ぁ。状況はどう?』


 脳内に、とろけるような甘い声が響く。


 ダンジョンに待機させているアウレリアからの『疎通』だ。


『今のところ動きはない。……相変わらず、彼女は彫像のように書類を処理している』


 私は眼下を見下ろす。


 部屋の中央、書類の山に埋もれるようにして座る女性——クラリス・スプリング。


 懐中時計の時刻は深夜一時五十五分。


 普通の人間なら睡魔で白目をむいている時間だが、彼女の背筋は定規で測ったように伸びている。


『うへぇ……。見てるだけで肩が凝りそうだねぇ』


『全くだ。……お、動きがあったぞ』


 時刻が、二時を回った瞬間だった。


 クラリスがペンを置き、ドアに向かう。


「これより一時間、極秘書類対処時間に入ります。何人たりとも入室を禁じます」


「はい」


 衛兵に声をかけると、彼女は巻物を開き、祈跡の文言に指を触れる。


 すると大きな輝きが発せられたのち、衝撃波のようなものが走った。


 結界が張られたのだ。


 ここでは私の魔法も効かない。


 天井の『梁』から足を滑らせれば、最悪死ぬ。


 クラリスはさらに窓のカーテンを隙間なく閉め切った。


 そして、胸元から取り出した鍵で、机の『隠し引き出し』を開ける。



(来るか……? 闇の祈祷書か、それとも国家転覆の計画書か)



 私は息を呑む。


 一瞬の間。


 クラリスが取り出したのは——。


 一枚の白い紙と、数本の羽ペン。そして、色とりどりのインク瓶だった。


 ん……?


 なんだ……? あれは?


 クラリスの雰囲気が一変する。


 氷のような無表情が崩れ、頬がわずかに紅潮し、瞳に少年の冒険心のようなキラキラした光が宿った。


 彼女は深呼吸をし、祈るようにペンを握る。


「……よし。今日こそは、あのシーンを……!」


 気合の声と共に、ペンが走る。


 カリカリカリカリッ!


 凄まじい集中力だ。


 公文書を書く時よりも遥かに熱のこもった筆致。


 一体、どんな壮大な魔法陣を描いているのか。


「行くぞズガガーーン!! 伝説の剣が光る!!」


 クラリスが笑う。


 どういうことだ?


 私は目を細め、できるだけしっかり捉えられるように、彼女の肩越しに手元を覗きこんだ。


「…………」


 絶句した。


 そこに描かれていたのは——。


 ミミズのようなヒモ状の物体と、マッチ棒のような人間が、謎の線で絡み合っている図、だった。


 あれは……??? 


 いや。


 おそらく……あれは……『ドラゴンと騎士』だ。


 私は頭を抱えたくなった。


 下手だ。


 絶望的に下手だ。


 幼児の落書きの方がまだ芸術性があるかもしれない。


 だが、当の本人は大真面目だ。


「くっ……! ドラゴンのウロコの質感が……表現できない……!」


 クラリスが、ミミズの背中に点々を打ちながら苦悩している。


 どうやら、あの点々はウロコのつもりらしい。


 ゴマ団子か?


 それにしか見えないが。


「でも、負けない……! 私の頭の中にある『最強のドラゴン』は、こんなもんじゃない……!」


 彼女はブツブツと独り言を呟きながら、今度はマッチ棒人間(騎士らしい)に、剣のような棒を持たせた。


「行け、ジークフリート! その魔剣で、邪竜の喉元を——ああっ!?」


 バキッ。


 力が入りすぎたのか、ペン先が折れ、インクが紙に飛び散った。


 騎士の顔が、黒い染みに塗り潰される。


「う……ううっ……」


 クラリスが両手で顔を覆った。


 その肩が、小刻みに震えている。


「……どうして。どうして私の手は、イメージ通りに動いてくれないの……」


 小さな、泣きそうな声。


 それは宰相としての声ではない。


 自分の妄想を形にできず、もがき苦しむ、一人の不器用な『創作者』の声だった。


 なにか……見ててかわいそうになってきた。


 聖白教の芸術活動は基本的に禁忌である。


 宗教画を描くことはほとんどない上に、しかも、それが可能なのは神聖連合でも一握りだけ。


 数人だけしか絵を描くことは許されない。


「くっ負けないでクラリス頑張って! やったクラリスが立った! クラリスが立った!」


 私の思考の裏(表か?)でクラリスが何か言っている。


 思考を続けた。


 絵画は……。


「美は神のためにある」それが教典に明確に記載されている。


 個人の妄想を絵にすることなど、時間の浪費であり背徳だと教えこまれているはずだ。


 だから彼女は、誰にも見られない深夜の密室で、こっそりと描くしかない。


 たとえそれが、どれほど不格好な落書きだとしても。


「まずは証拠を隠滅するのよドカーン!」


 クラリスは涙目でインクを拭き取ると、新しい紙を取り出した。


 諦めない。


 何度失敗しても、彼女の創作意欲は消えていない。


「……次は、お姫様のシーンを描こう。ドレスのフリルは、こう、ふわっとして……」


 彼女は再びペンを走らせる。


 だが、出来上がったのは『爆発したキャベツを被った棒人間』だった。


「ふふっ……可愛い」


 それでも、彼女は笑った。


 自分の描いたキャベツ星人を見て、愛おしそうに目を細めている。


 その笑顔は、昼間の冷静さからは想像もつかないほど、無防備であどけないものだった。


(……決まりだな)


 私は確信した。


 彼女が求めている報酬エサは、権力でも金でもない。


 『自分の世界を表現する力』と、それを肯定してくれる『場所』だ。


 結界が弱まっていくのを感じる。


 祈跡ではなく魔法なら使えそうだ。


 私は確認したあと、魔法通信を再開する。


『アウレリア。作戦を変更する』


『ん? どうするのぉ?』


『彼女に必要なのは休息じゃない。技術提供だ』


『ふぅん???』


 すると仔細を聞いたノクスが反応する。後ろではアウレリアが笑っている声が聞こえた。


『旦那様。ダンジョンアイテムが役立つと思います。転送します』


 私は懐に重みを感じ、ダンジョンアイテムの一つを取り出した。


『『想画そうがのスケッチブック』です。使用者が頭に思い浮かべたイメージを、自動補正して紙に映し出す魔法の道具です』


『素晴らしい。これをエサに釣る。……入れ食い間違いなしだ』


『あははっ! あなた様ってば、本当にわるーい人♡』


 私は天井裏から、音もなく床へと降り立った。


 夢中で筆を動かしている彼女の背後へ、忍び寄る。


 彼女はまだ、私の存在に気づいていない。


「……ここを、赤く塗って……炎の祈跡……」


 クラリスが、赤いインクを垂らそうとした瞬間。


 私は彼女の耳元で、静かに囁いた。


「……炎の照り返しを描くなら、影は紫色を入れた方が深みが出るぞ」


 ピタリ。


 クラリスの動きが止まった。


 時間が凍りついたかのような沈黙。


 そして。


「——ひゃいっ!?」


 深夜の執務室に、宰相にあるまじき可愛らしい悲鳴が響き渡った。



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