第30話:鉄壁の仕事中毒
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
次の日。
アウレリアは甘食を我慢して、聖務連絡官としての仕事を行なっていた。
その我慢を一気に爆発させていた。
ダンジョン内の一室『秘密のお茶会』。
無限にお菓子が湧き出るその夢の空間で、アウレリアは至福の表情を浮かべていた。
「ん〜っ……! このマカロン、外はサクッ、中はしっとり……最高だよぉ……」
彼女はクッションに深く沈みこみ、行儀悪く足をバタバタさせている。
いつもは冷静な鉄仮面の連絡官である女の面影は、ここには微塵もない。
私は向かいの席でコーヒーを飲みながら、そんな彼女の堕落ぶりを微笑ましく眺めていた。
「随分とリラックスしているな、アウレリア」
「だ〜ってぇ、あなた様ぁ。あんな堅苦しい職場にいたら、糖分なんていくらあっても足りないんだもん。……あむッ」
彼女は新たなクッキーを口に放りこみ、幸せそうに頬を緩める。
これが、私が目指す『堕落』の形だ。
誰の目も気にせず、好きなものを好きなだけ味わう。
単純だが、聖白教の支配下では許されない贅沢。
「さて。十分な補給も済んだことだし、仕事の話をしようか」
私が地図をテーブルに広げると、アウレリアは瞬時に表情を引き締めた。
……と言いたいところだが、口元にクリームがついているので台無しだ。
「ふむ。次は例の宰相、クラリス・スプリングへの接触だが……君から見て、彼女はどういう人物だ?」
アウレリアはクリームをペロリと舐め取り、途端に嫌そうな顔をした。
「にゃうー。クラリス様、ですかぁ……」
「なんだ、その反応は」
「あのねぇ、あなた様。はっきり言って、あの人は『人間』じゃないよぉ」
アウレリアは大げさに首を振った。
「わたし、何度か書類を持っていったことがあるの。でもね、いつ行っても、彼女は同じ姿勢、同じ無表情でペンを動かしてるんだよ?」
「ほう」
「朝の四時でも、昼の三時でも、深夜の二時でも。瞬きの回数すら一定なんだよ? トイレに行ってるのかすら怪しいレベル。部下たちの間では『実は精巧なゴーレムなんじゃないか』って噂されてたぐらい」
ゴーレム疑惑が出る宰相。
相当なものだな。
「性格はどうなんだ? つけ入るスキは?」
「ないない、絶対ない。……あの人、冗談が通じないどころか、『比喩』すら通じないんだから」
アウレリアは呆れたように続ける。
「ある時、騎士団長が『猫の手も借りたい忙しさだ』ってボヤいたの。そうしたらクラリス様、真顔で『猫の前足にペンを持たせることは構造上不可能ですし、仮に持てたとしても識字率の問題があります』って却下したんだよぉ?」
「……それは、本気で言っていたのか?」
「大マジメ。精神的に追いつめられてるんだねぇ。目も笑ってなかったもん。……ねぇ、あなた様。そんな『歩く法律』みたいな女、どうやって口説き落とすのぉ?」
アウレリアはお手上げだという風に両手を広げた。
なるほど。
感情論も、人情も、ユーモアも通じない『怪物』と化してしまっているわけだ。
正面から「自由になろう」と説得したところで、「自由の定義と、それが国家運営にもたらす経済効果を数値で示してください」と返されそうだ。
「ノクス」
私はひかえていた少女に声をかけた。
「彼女の行動にイレギュラーな要素はないか?」
「おおむねアウレリア様の証言通りです。睡眠時間、平均二時間以下。食事、ゼリー状の栄養食のみ。娯楽費、ゼロ。交際費、ゼロ」
「……人生、楽しいのか?」
「不明です。ただし——一点だけ、不可解な空白があります」
ノクスが目の前に情報を表示させる。
古代の魔法使いの子孫である彼女が使える魔法。
一日のスケジュール表だ。
びっしりと公務が詰まっている中で、深夜の帯域だけが黒く塗りつぶされている。
「深夜二時から三時までの六十分間。この時間帯だけ、彼女は執務室に『最高強度の物理・祈跡遮断結界』を展開します」
「結界?」
「はい。外部からの干渉を一切受け付けない、完全な密室です。クラリス様は祈跡を使えないそうなので、スクロールか何かでしょう。公式記録には『瞑想および極秘案件の整理』とありますが……」
私は眉を動かした。
アウレリアも「え?」と意外そうな声を上げる。
「なにそれぇ? 瞑想なら、結界なんて張らなくていいよねぇ?」
「ああ。それに、ただの書類整理なら、わざわざ外部との連絡を絶つ必要もない」
完璧超人が、一日の終わりにたった一時間だけ作る「完全な孤独」。
怪しい。
あまりにも怪しい。
「アウレリア。君の『女の勘』では、何だと思う?」
「ん〜……。あの様子だしねぇ……。実は部屋の隅で、こっそりえっちな本を読んでるとか?」
「なるほど。……しかしそれなら自室で十分だろうし、証拠からウワサがでるはずだ」
「じゃあ、泣いてるとかぁ? 『ううっ、仕事がつらいよぉママァ〜!』って」
「それなら可愛いものだが、彼女は孤児院出身だったはずだ」
私はコーヒーカップを置いた。
推測していても始まらない。
確実なのは、そこが彼女の唯一の『守るべき聖域』だということだ。
「鎧の隙間、見つけたぞ」
私はニヤリと笑った。
どんなに堅固な城壁でも、通用口が一つあればそこから崩せる。
「今夜、その『密室』を覗きに行く」
「えっ、のぞき!? ほんとうにえっちなことしてるかもしれないよぉ? あなた様、趣味悪〜い」
「人聞きの悪いことを言うな。あくまで『安否確認』だ。過労死寸前の宰相を心配するのは、国民としての義務だろう? まぁ正確には国民ではないんだが」
「うふふ。悪い顔してるねぇ、あなた様」
アウレリアは楽しそうに笑い、私の首に腕を絡めてきた。
「気をつけてねぇ。もし見つかったら……もう二度と接近できないと思うよぉ」
「たしかに。より固い城壁で守られてしまうだろうな。しかし、その時は、君も道連れだ」
「え〜っ、やだよぉ!」
甘えるアウレリアを軽くあしらい、私は立ち上がった。
時刻はもうすぐ深夜。
鉄の宰相が隠し持つ『秘密』が何なのか。
それを暴いた時が、彼女の堕落の始まりだ。
「影門を使う。……行き先は、王城の影の中だ」




