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第29話:白影

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。


エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


 翌日の夕刻。


 私はアウレリアを起こし、会議をおこなうために『お茶会』へと移動していた。


 彼女はまだ眠そうに目をこすりながらも、紅茶を一口飲むと、瞬時に『表の顔』へと切り替わった。


「状況はよくないですね」


 ダンジョンの光が彼女の顔を橙に照らす。


 仕事モードのアウレリアの声色が低くなった。


 彼女はテーブルの上に、王都の地図と、政庁から持ち出した内部文書を広げる。


「エイレン代行官の失踪……は、教区内に大混乱をもたらしました」


「だろうな。現場の指揮官がいなくなったんだ」


「ふむ。そうなるだろう」


 私の言葉にエイレンがつけたした。


「それに……バルデル様の失脚によって王国は混乱の極みでしょうね」


 ノクスの言葉に、アウレリアが反応する。


「そう! そうなるよねぇ。じゃなかった……そうなりますよね。コホン」


「主席補佐官が王国へ手出しするために動いているし、教会側も業務が回らないか」


「そうなんだよぉ。じゃなくて……コホン。本来なら、現場の神官たちで業務を分担するはずなんですが……誰も責任を取りたがらないんです。『代行官の判断待ち』という案件が山積みになって、政務が完全にストップしています」


「はは。それが聖白教の弱さよ」


 エイレンの様子に、アウレリアは呆れたように肩をすくめた。


 それを本人が言うか、と。


 聖白教のシステムは『上意下達』で成り立っている。


 白塔からの異端審問代行官が来たのであれば、その判断を仰がなければならない。


 上が命令しなければ、下は指一本動かせない。


 思考停止した組織の末路だ。


「そして……そのツケはすべて、あの方のところへ回っています」


 アウレリアが指差した先。


 地図上の場所は……王城の宰相府。


「宰相、クラリス・スプリング様です」


「グレイヴァルド王国宰相クラリス・スプリング……」


 この国の行政を一手に担う才女。


 そして、私の……次のターゲットだ。


「彼女は今、エイレンが放棄した『異端審問業務』と、本来の『国政』の両方を押し付けられています。主席補佐官ドウェル・ピックマンによって……。睡眠時間は二時間を切っているとか」


「殺す気か」


「ええ。聖白教は、彼女を『便利な道具』としか思っていませんから」


「しかし、彼女は王国の人間だろう。祈跡も使えないのにか」


 祈跡は聖白教が用いる魔法である。


 彼らは魔力を祈力と呼び、祈跡を扱うときに使用している。


 祈跡は神に祈りを捧げて行うため、よほど高位の神官でなければ、即席の祈跡は使えない。


 その祈跡を習得するのが本来、神官のなすべきところではあったのだが。


「関係ありませんよ。それだけオルドリア教区の力は強く、王国内部にも深く根を張っているということですね」


 アウレリアが言った……その時だった。


 ズズンッ……と、ダンジョンの空間が微かに震えた。


 物理的な揺れではない。


「なに……これは!」


 アウレリアが思わず声を出す。


 高密度の祈力……祈跡が、遠方から放たれた余波だ。


 私たちはメインルームに向かい、水鏡を発動させた。


「祈跡反応……来ます」


 ノクスが鋭く警告した。


 彼女の視線は北……聖白教の総本山……神聖連合国……白塔の方角に向けられている。


「極大級の通信祈跡……『白影』です。……遮断できません。王都全域からトゲのように、王城の方へ向かっています」


 次の瞬間。


 私が展開していた『水鏡』の映像が、ノイズと共に強制的に切り替わった。


 映し出されたのは、王城の宰相執務室。


 ダンジョンが何かを感じ、水鏡に映したのだ。


 見える。


 書類の山に埋もれ、青白い顔でペンを走らせている宰相クラリスの姿だ。


 彼女の目の前の空間が裂け、白い光があふれ出す。


 光の中から、冷徹な『声』が響いた。


『——嘆かわしいですね』


 鈴を転がすような、美しい声。


 だが、そこには一切の温度がない。


 絶対零度の響き。


 クラリスが弾かれたように顔を上げ、椅子から転げ落ちるようにして跪いた。


「きょ、教区長……リュシエル猊下……!」


 光の中に、幻影が浮かび上がる。


 オルドリア教区長、リュシエル・アストゥラ。


 この国の『秩序』の頂点に立つ支配者。


 長い白髪を左右に分け、髪と同色の透き通るような白のドレスに似た神官服を身につけている。


『私が白塔で祈りを捧げているうちに……オルドリア教区の悪い噂が多く入ってきました』


 幻影の彼女は、ゴミを見るような目で、ひざまずくクラリスを見下ろしていた。


『徴税官が堕落し、北からの異端審問代行官が失踪した。くわえて相談役である検閲官の失態……。グレイヴァルドの規律は、いつからこれほどたるんだのですか?』


「も、申し訳ございません……! 現在、鋭意立て直しを……」


『立て直し? 言葉はいりません。結果のみを捧げなさい』


 リュシエルの幻影が、スッ、と細い指を突きつける。


『貴女に猶予を与えます。三日です』


「み、三日……?」


『三日以内に、王都の混乱を鎮め、逃亡した代行官を捕縛し、そして——滞っている特別奉納税を全額用意なさい』


 クラリスの顔色が、紙のように白くなる。


 特別奉納税。


 それは、民からさらに税を搾り取れという命令に他ならない。


 今の疲弊した経済状況では不可能に近い数字だ。


「お、お待ちください! それはあまりに……今の民には余力が……!」


『民?』


 リュシエルは首を傾げた。


 まるで、理解できない言語を聞いたかのように。


『羊の心配をして、牧場主が飢えろとでも? ……失望させないでください、クラリス。貴女を孤児院の泥の中から拾い上げ、宰相の地位まで引き上げたのは、誰の慈悲ですか?』


「ッ……」


 クラリスが言葉を失う。


「聖白教あってのものです」


『そうでしょう』


 恩義。


 それが彼女を縛る鎖なのか。


『秩序を守りなさい。それが貴女の存在意義です。……もし出来なければ』


 リュシエルの声が、甘く、残酷に囁いた。


『——私が自ら、王城に出向くことになるでしょう』


 ブツン、と通信祈跡が切れる。


 光が消え、執務室には再び、重苦しい静寂が戻った。


 残されたクラリスは、床に手をついたまま、震えていた。


 涙さえ流せない。


 ただ、絶望という名の重圧に押し潰されそうになっている、小さな背中。


「……見たか、アウレリア」


 私はダンジョンの中で、静かに怒りを燃やした。


 エイレンの時と同じだ。


 奴らは、有能な人間を使いつぶすことに何のためらいもない。


 恩義を盾に、無理難題を押し付け、心が壊れるまで搾取する。


 あれが、聖白教のやり方。


「はい。……ひどい顔をしていました。あんな顔、女性がするもんじゃないよねぇ」


 アウレリアもまた、かつての自分を重ねているのだろう。


 その瞳には冷たい光が宿っている。


「決まりだな」


 私は立ち上がり、黒いコートをひるがえした。


 次に救うべきは、あの氷の宰相だ。


 彼女の『恩義』という鎖を断ち切り、その卓越した頭脳を、我々の陣営に迎え入れる。


「準備をしろ、ノクス。クラリスの欲望を引き出す」


「わかりました。……宰相閣下の『本当の願望』……見つけだしましょう」


 白塔の影が伸びる。


 だが、影が濃くなればなるほど、我々『堕落』の灯火は、より強く輝く。


 待っていろ、クラリス。


 その山積みの書類ごと、君をさらってやる。


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