第28話:幕間
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。
エイレン / 元異端審問代行官。赤髪碧眼、ボンデージ風の服に猫耳パーカー。冷酷な動物嫌いの代行官だったが、本当は動物大好き。堕落した後は、『ポニーテール』に猫耳をつけて某動物愛好家ばりのわしゃわしゃもふもふをするようになってしまう。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
これはある夜の話。
ダンジョンは静寂に包まれている。
嵐の前の静けさの……。
嵐の中。
ややこしいな。
地上では激しい雷雨が吹き荒れているらしいが、ダンジョンルーム『秘密のお茶会』には、雨音ひとつ届かない。
芳醇な紅茶の香りが部屋を満たしている。
「旦那様。本日の茶葉は、少し蒸らし時間を長くしてみました。香りを楽しんでいただければ幸いです」
ノクスが、流れるような所作でティーカップを差し出した。
ビスクドールのような白磁の肌。
その立ちふるまいは、どこぞの王宮に仕える筆頭侍女よりも洗練されている。
私はカップを受け取り、一口すする。
完璧だ。
渋みと甘みのバランスが、疲れた脳に心地よく染み渡る。
「ああ、美味いよ。さすがだな、ノクス」
「……もったいなきお言葉です」
ノクスは嬉しそうに目を細め、給仕用のトレイを抱えて私の横に座った。
「ふふ〜ん、美味しいねぇ。このクッキー、お砂糖の塊みたいだよぅ。ノクスちゃんもやるよねぇ」
対面のソファでは、とろけるような笑顔でアウレリアがクッキーを頬張っている。
彼女の手元には、すでに空になった皿が三枚。
聖務連絡官としての鉄仮面はどこへやら、今の彼女はただの『甘味の精霊』と化していた。
「アウレリア、食べ過ぎだぞ。衣装が入らなくなる」
「そんなことないよぅ、あなた様ー! 甘いものは魔力に変換されるから、実質カロリーはゼロなんだよぉ」
「……そんな都合のいい理論があるか」
あきれる私の横で、カチャ、と硬質な音が鳴った。
エイレンはソファには座らず、暖炉のそばの椅子で愛剣の手入れをしていた。
「主よ。地上の嵐など、この『堕落のダンジョン』にはそよ風程度の影響も与えられん。素晴らしいな」
白く輝く刀身をクロスで拭き上げながら、エイレンは凛と言い放つ。
結んだ赤髪を揺らし、どこか少し楽しそうだ。
「動物たちは大丈夫なのか? エイレン」
「幸せそうにすやすや眠っていたよ」
彼女は満足げに頷き、剣を鞘に納めた。
平和だ。
あまりにも平和すぎて、少しだけ——退屈だった。
私はカップをソーサーに戻し、ニヤリと口端を吊り上げた。
外は嵐。
閉ざされた地下空間。
……こういう夜には、少しばかり嫌〜な話が似合う。
「なあ、みんな。海には決して『拾ってはいけないもの』があるのを知っているか?」
私が不意に切り出すと、三人の視線が集まった。
「なになに? 海?」
アウレリアが小首を傾げ、エイレンが眉をひそめる。
「拾ってはいけないもの? 漂流物か何かか?」
「いや、もっとタチの悪いものだ」
私は照明の光度を、魔法で少しだけ落とした。
部屋の隅に影が生まれ、暖炉の炎が揺らめく。
「……昔な」
「……ゴクリ」
ノクスが声に出す。
「昔、ある漁船が、霧の濃い夜に網をおろしたんだ」
私は語り始めた。
かつて異端審問官として各地を巡った際、港町の酒場で聞いた怪談。
それを少しアレンジして、臨場感をたっぷりと乗せる。
「その日は魚が全く獲れず、船員たちは焦っていた。深夜、ズシリと網が重くなった」
ひと呼吸置いて私は続ける。
「『大漁だ!』と喜んで引き上げた彼らが見たのは、白くふやけた幾つものなにか。魚のハラか? そう思った漁師が手にとる……みるとそれは……白くふやけた、『人間の手』だったんだ」
ノクスの眉がピクリと動いた。
「ふやけた、手……ですか? ゾンビ?」
「違うのさ。そして拾い上げた『手』は突然動きはじめた。すると仲間の一人が突然、『ごめんなさい! ごめんなさい!』と叫びはじめた」
エイレンが私の声にびくっと全身を震わせた。
アウレリアはクッキーを運ぶ手を止めて、聞き耳を立てている。
「すると突然、大量の手が網の隙間から船のフチをつかみ、這い上がってこようとした。無数の手だ。船長は叫んだ。『網を切れ!』とね」
ノクスが少し口を開いているのが見える。
「だが、船員の一人が動きを止めた。『……おい、やっぱり、この手、俺の死んだ親父の指輪をしてる』そう言った瞬間……」
私は声を低くし、ためを作る。
エイレンがごくり、と喉を鳴らした。
「その船員は無数の手たちに足首を掴まれ、一瞬で海中へ引きずりこまれた」
「なっ……!?」
エイレンが即座に反応した。
彼女の手が、反射的に剣の柄にかかる。
「海面には泡ひとつ浮かばなかったそうだ。ただ、暗い水底から……『……お前も、こっちへ来い』という、ゴボゴボと泡立つような声だけが聞こえたらしい」
しん、と部屋が静まり返る。
暖炉のたきぎがパチンと爆ぜる音だけが響いた。
「……主」
エイレンが険しい顔で口を開く。
だが、その声は少しだけ硬い。
「その『手』というのは、物理的な実体があるのか? それとも霊的なものか?」
「さあな。だが、水の中にいる敵だ。剣を振っても水を切るだけだぞ」
「くっ……! 足場も悪い、姿も見えない、物理も効かない……戦術的に最悪の相手ではないか」
一方、背後のノクスは沈黙していた。
振り返ると、彼女は自分のスカートの裾を、微かに震える手で押さえていた。
「……旦那様」
「ん?」
「私の足首には……何もついていませんよね? ……ここ、テーブルの影になっていて、よく見えません」
普段の冷静なノクスの声ではない。
彼女は、私の袖をちょいちょいと引っ張った。
「確認してください……ちょっと……旦那様、お願いします」
「大丈夫だ、何もないよ」
「本当ですか? ぬるぬるしたものが触れていませんか? たしかに、感覚があったのですががが」
私は苦笑しながら、最後にこう付け加えた。
「まあ、これは教訓話だよ。絶対に、暗い水面を覗きこんではいけない。覗きこんだら最後、水面に映った自分の顔が、ニタリと笑って手首を掴んでくるからな」
その時だった。
——ペチャ。
不意に、湿った音が響いた。
部屋の中ではない。
出口へと続く、暗い廊下の奥からだ。
「……っ!?」
エイレンが弾かれたように立ち上がり、抜刀した。
「主! 何か来る! ……だが、気配が読めん! 足音が……濡れている!?」
「ぴっ」
ノクスが小さな悲鳴を上げた。
——ペチャ……ペチャ……ピチャ……。
音は確実に近づいてくる。
水を含んだ何かが、地面をこするような粘着質な音。
私の怪談に出てきた「這い上がってくる手」を連想させるには、十分すぎる演出だった。
「いやぁぁぁ! 来ないでくださいぃぃ!」
ノクスが限界を迎えた。
彼女は私の背後から抱きつき、ぎゅうぎゅうと私を盾にした。
「旦那様! 無理です! 掃除用具を持ってきていません! 大変だー! この世の終わり! つまりそれはあの世のはじまり!」
「おいノクス、首が締まる、苦しい」
「嫌です! 離れません! 旦那様が追い払ってください!」
背中には柔らかい感触と、ガタガタ震えるノクスの体温。
そして右腕には、エイレンがしがみついてきた。
「主、下がっていろ! 己が斬る! ……斬る、斬る斬るが、万が一すり抜けられたら、その時は主が魔法でなんとかしろ!」
「エイレン、近い。剣が危ない」
「うるさい! 護衛対象から離れてどうやって守るというのだ! これは密着護衛だ!」
完全に腰が引けている。
私は両手に花(と剣と恐怖)を抱え、身動きが取れなくなってしまった。
そんな中、一人だけ悠然としていたのはアウレリアだ。
彼女は「ん?」とクッキーを置くと、トテトテと廊下の入り口へ歩いていく。
「アウレリア! 離れろ! 危険だ!」
エイレンが叫ぶが、アウレリアは止まらない。
彼女は暗がりの中に手を伸ばし――
「あ、つーかまえた」
むにゅっ。
そんな間の抜けた音がして、足音が止まった。
アウレリアが戻ってくる。
その腕の中には、半透明の水色をした、ぷるぷると震える塊が抱えられていた。
「ほら見てぇ、あなた様。ゼリーさんが歩いてたよぅ」
「……それは」
私は目を丸くした。
それは、直径三十センチほどのスライムだった。
ダンジョンの魔力溜まりから自然発生したのか、それとも水路から迷いこんだのか。
スライムはアウレリアに抱えられながら、私の顔を見て(?)「ぷるん」と揺れた。
「……スライム、か」
エイレンが拍子抜けした声を出す。
彼女は剣を下ろし、大きく息を吐いた。
「な、なんだ……」
「……こほん。失礼しました」
ノクスもおずおずと私の背中から顔を出した。
だが、まだ私の服を握りしめている手は離さない。
「あなた様、この子食べていい? 甘いかなぁ?」
「待てアウレリア、それは食べ物じゃない。多分ゼリーじゃない。魔物だ」
アウレリアがスライムをぺろりと舐めようとするのを慌てて止める。
スライムは怯えたように震え、アウレリアの腕からすり抜けると、私の足元へ逃げてきた。
そして、私のブーツにぺたりと張り付き、媚びるように擦り寄ってくる。
どうやら、ここ(ダンジョンマスターの足元)が一番安全だと本能で悟ったらしい。
「……ほう」
エイレンが、剣を鞘に納めて近づいてきた。
その表情は、先ほどまでの緊張が嘘のように緩んでいる。
「意外と……愛嬌があるな。主の足にしがみついて、まるで忠犬のようだ」
「そうか? 結構ぬるぬるしてるぞ」
「……触ってもいいか?」
エイレンは私の返事を待たず、しゃがみこんでスライムを指でつついた。
ぷにっ。
その感触に、彼女の頬が朱に染まる。
「……柔らかい。……ふん、まあ、ダンジョンの掃除くらいには使えるかもしれん。特別に許可してやろう」
「エイレン、顔がにやけてるぞ」
「なっ、に、にやけてなどいない! これは戦力評価だ!」
慌てて取り繕うエイレン。
「成分分析します。弱酸性の粘液。有害物質なし。……ふぅ」
ノクスは乱れた衣服を整え、咳払いをする。
だが、その耳はまだ赤い。
「……旦那様。わたくし……先ほどは、その……取り乱しました。申し訳ありません」
「いいさ。ノクスの可愛い一面が見られて良かったよ」
「かかかからかわないでください」
ノクスは恥ずかしそうにうつむく。
「なるほど。やはり己は魔物とも話せるようだ。こいつは腹が減っているらしい」
「クッキー食べるかなぁ?」
「どうなんだろうな……」
リビングには、いつもの騒がしくも温かい日常が戻っていた。
外の嵐も、怪談の恐怖も、この賑やかな『仲間』の前では形無しだ。
夜はまだ、長い。
甘い紅茶のおかわりが必要になりそうだった。
本編とは関係ないサブストーリーでした!
土日はちょっとPV数が伸びてうれしいです!
ありがとうございます!是非評価、コメント、ブックマーク等頂ければ嬉しいです!




