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第20話:猫吸い

【登場人物】


レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。


ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。


アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。


【設定】

堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。


「言ってみろ……『モフりたい』と」


 私の言葉が、静まり返った地下空間に響いた。


 エイレン・フェルノの顔面は、茹でダコのように赤い。


 髪色も赤いから何だかもうムッ。


 いや、なんでもない。


 とにかく。


 彼女の目の前には、私が差し出した長毛種の白猫。


 その白く、柔らかく、太陽のような匂いのする毛玉が、彼女の鼻先数センチで「ミャ~」と甘えている。


「う、うぅ……」


 エイレンの呼吸が荒くなる。


 彼女の手が、空中でわなないている。


 触れたい。


 抱きしめたい。


 顔をうずめたい。


 だが、聖白教の異端審問代行官としての理性が、必死にブレーキをかけているのだ。


「ダメだ……私は、規律を……不浄な獣などに……」


 彼女はうわ言のように呟く。


 私はため息をつき、最後の一押しをした。


 抱いている白猫の背中を、彼女の震える指先に『押し付けた』のだ。


 ——ふにゅ。


 極上の感触。


 最高級のシルクよりも滑らかで、焼きたてのパンのように温かい、命の弾力。


「…………ッ!?」


 エイレンの体に、稲妻が走ったように見えた。


 彼女の碧眼が、限界まで見開かれる。


 指先から伝わる圧倒的な『快楽情報』が、彼女の脳内にある『規律ファイアウォール』を一瞬で焼き払った。


「あ……あぁ……」


 もう、止まらなかった。


 彼女の両手が、吸盤のように白猫を掴む。


 そして、代行官としての威厳も、潔癖のプライドもかなぐり捨て——彼女はその顔面を、白猫の腹毛の中に勢いよくダイブさせた。


 「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ…………はぁぁぁぁぁぁぁぁッ……!!」


 深呼吸。


 いや、吸引キメた。


 彼女は猫の匂いを、肺の奥底、魂の髄まで吸いこんだのだ。


「こ、これは……! なんて……なんて芳醇な……!」


 エイレンが顔を上げると、その表情はすでにとろけていた。


 瞳は潤み、頬は紅潮し、口元はだらしなく緩んでいる。


 間違いない。


 『猫吸いハイ』の状態だ。


「太陽の匂いだ……。干したての布団と、ミルクと、神の慈悲を混ぜ合わせたような……究極の香り……!」


 彼女は恍惚の声を上げ、再び猫の腹に顔を埋めた。


「最高だ……! 動物は無駄? 誰だそんなことを言ったのは! これは聖水よりも清らかじゃないかぁぁッ!」


 理性の堤防が決壊した。


 それを見た周囲の動物たちも、「あ、この人間はもう大丈夫だ」と悟ったのだろう。


 ワラワラと彼女の周りに集まり始めた。


「わっ、こら、お前たちまで……! ああっ、そこはダメッ、耳元でゴロゴロ言うなぁッ!」


 大型犬が背中にのしかかり、子猫たちが膝に乗る。


 エイレンは床に押し倒され、瞬く間に「モフモフの山」の下敷きになった。


「重い……でも、温かい……幸せ……」


 彼女は抵抗するどころか、自分から犬の首輪に腕を回し、子猫の肉球を頬に擦り付けている。


 そこにいるのは、冷徹な処刑人ではない。


 ただの『重度の動物愛好家』だ。


 伝説の動物愛好家であるムツ◯ローにも見える。


「……あーあ。完全にキマっちゃってますねぇ」


 隣で見ていたアウレリアが、呆れつつも楽しげに笑う。


「『アイアンメイデン』が聞いて呆れるよねぇ。私よりデレデレだよぉ」


「反動だな。……彼女はずっと、この温もりに飢えていたんだ」


 私は、猫の山に埋もれているエイレンに近づき、屈みこんだ。


「さて、エイレン。……気分はどうだ?」


「……天国だ。……もう、ここから出たくない……」


 彼女は虚ろな目で答えた。


 もう、職務に戻る気など微塵もないようだ。


「なら、口誓を」


「こーせー?」


 私は彼女の顔の前に、指を立てた。


「お前には、ここで好きなだけ動物たちと戯れる権利をやる。最高級の餌やりも、ブラッシングも、全部お前の独占だ」


「ほ、本当か……?」


「ああ。その代わり——『番犬』になれ。お前が番犬を管理し、さらにお前が番犬になるんだよ」


 私の言葉に、彼女の瞳がピクリと動いた。


「この楽園ダンジョンを守る盾となれ。……聖白教だろうが、騎士団だろうが、この子たちの平穏を脅かす敵は、お前の剣で排除しろ」


 私はニヤリと笑った。


「できるか? 異端審問代行官殿」


 エイレンは、腕の中の白猫をギュッと抱きしめ直した。


 そして、私を見上げたその目には——かつてのような冷たい狂信ではなく、もっと原始的で、強烈な『母性本能』が燃え上がっていた。


「……愚問だ」


 彼女は、はっきりと宣言した。


「私は……もっとモフモフしたい! 永遠に! 本当はもっと……小さい頃からモフモフしたかったんだぁーーーー!!! モフモフモフモフーーーー!」


 ——契約成立ディール


 ドォン!


 ダンジョンの魔力が発動し、エイレンの欲望の魔力が地鳴りを起こさせる。


「堕落のダンジョンへ、ようこそ。エイレン・フェルノ」


 私はつぶやく。


 よし。


 『警備責任者(兼、飼育係長)』の誕生だ。


「ふふっ。歓迎しますよぉ、エイレンちゃん♡」


 アウレリアが手を差し伸べる。


 エイレンは猫まみれのまま、少し照れくさそうに、しかし満足げにその手を取った。


「……困ったことになったな……レオナルド様。いや、我が主よ」


「いいさ。……さあ、存分に堕ちろ。夜明けまで吸い放題だ。あと……私は名前を変えたんだ」


 私は黒猫を抱きかかえて微笑む。


「今はただのレオだ」


「レ……オ様……もふもふ」


 こうして、高潔な騎士は陥落した。


 剣よりも強く、戒律よりも重い、『モフモフ』という名の快楽に溺れて。



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