第19話:猫と騎士、陥落の序曲
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
廃教会の地下。
水鏡がダンジョンの入り口を映している。
黒猫を追って現れた影があった。
「来ちゃったねぇ」
私の隣、アウレリアが息を潜めて囁く。
足を踏み入れた一人の侵入者……。
それは純白の軍服に身を包んだ、赤髪の異端審問代行官……エイレン・フェルノだった。
「……ここが、獣の巣窟か」
エイレンは剣を抜き放ち、警戒心をあらわにして周囲を見渡した。
だが、次の瞬間。
彼女の動きがピタリと止まった。
そこは、彼女が想像していたような『不潔な獣小屋』ではなかったからだ。
◇
水鏡がエイレンの背後を映す。
彼女が見ているのはダンジョンに造られた……モフモフ・パラダイス。
広大なフロアには魔造芝が敷き詰められ、壁には柔らかな間接照明が灯っている。
空調魔法によって適温に保たれた空気は、獣臭さなど微塵もなく、ほのかに甘いミルクと、洗いたてのリネンのような香りが漂っていた。
そして、そこには——。
「ニャア」
「ワンッ」
数え切れないほどの猫と犬……そして遠くには小動物区画も見える。
彼らは思い思いの場所でくつろいでいた。
高級そうなクッションで眠る三毛猫。
キャットタワーの頂上で下界を見下ろす長毛の猫。
床暖房の上で腹を出して転がるゴールデンレトリバー。
その数、数百匹。
街から消えた全ての動物たちが、ここにいた。
「な……なん、だこれは……」
エイレンの声が震える。
彼女の潔癖な感覚において、動物の群れは『混沌と汚れ』の象徴だったはずだ。
だが、目の前の光景は、王宮のサロンよりも清潔で、規律さえ感じるほど穏やかだった。
圧倒されるエイレンの姿を見たあとで、私はメインルームを出た。
そしてモフモフパラダイス(仮)で立ちつくす……エイレンの背後から声をかける。
「ようこそ、代行官殿」
エイレンが弾かれたように振り返る。
「貴様……! 何者だ!」
「元異端審問官レオナルドだ。今はダラクローンの契約者をしている」
「レオナルド様……!?」
次の瞬間、エイレンは驚きを瞬時にかき消した。
さすがだ。
「やはり生きていたか、レオナルド!」
「久しぶりだな、エイレン。部下の挨拶にしては、ずいぶんと殺気立っているじゃないか」
私は手すりに肘をつき、余裕の笑みを浮かべた。
「貴様が黒幕か! ボルグを陥れ、街から獣をさらい、秩序を乱したのは!」
「人聞きが悪いな。私は『保護』しただけだ。君が殺そうとした命をね」
「黙れ! 不浄な獣を匿うなど、聖白教への冒涜だ! 直ちにその『ゴミ』どもを引き渡せ!」
彼女は剣を突きつけ、叫んだ。
その剣先は、私ではなく、フロアの動物たちに向けられている。
だが——震えている。
「ゴミ、か」
私はスッと目を細めた。
さあ、実験開始だ。
「ならば斬ればいい。君の目の前には、無防備な獣が山ほどいる。……ほら、君の足元にも」
「っ!?」
エイレンが足元を見る。
いつの間にか、先ほど彼女をここまで誘導した黒猫が、彼女のブーツに擦り寄っていた。
黒猫は「ニャア」とひと鳴きし、コロンと仰向けになって腹を見せた。
絶対的な服従と、信頼のポーズ。
「……離れろ、無意味な……ッ」
エイレンが剣を振り上げる。
だが、下ろせない。
彼女の脳内で、『高潔な騎士としての義務』と、『隠された本能……モフモフ愛』が激しく衝突し、火花を散らしているのが手に取るようにわかる。
「どうした? 斬らないのか?」
「う、うるさい! 己は……タイミングを……!」
彼女の顔が朱に染まる。
その隙を見逃す私ではない。
私はあらかじめ指令を吹きこんでおいた魔笛を吹いた。
——総員、接敵せよ。武器は『愛想』だ。
ザッ!
その瞬間、フロア中の猫と犬が、一斉にエイレンに向かって動き出した。
攻撃ではない。
尻尾を振り、喉を鳴らし、上目遣いで迫る『可愛さの波状攻撃』だ。
「ひっ、来るな! よ、よるな!」
エイレンが後ずさる。
だが、背後はすでに大型犬たちによって塞がれている。
右からは短毛猫の部隊が。
左からは短足猫の部隊が。
包囲完了。
「くっ、囲まれた!? ええい、離れろと言っているのがわからんのか!」
彼女は剣をしまい、手で追い払おうとする。
だが、その手は——猫の頭を優しく撫でるような軌道を描いて、空を切った。
触れたい。
でも触れられない。
そんなジレンマが、彼女の動きをぎこちないパントマイムに変えている。
「あははっ! 見てぇあなた様! あの『鉄の女』が、猫パンチもされてないのに腰砕けになってるよぉ!」
隣で髪をほどき片目を隠した黒ドレスのアウレリアがお腹を抱えて笑っている。
「ききき貴様! アウレリア! やはりお前も!」
アウレリアの存在に気づいたエイレンだが、それどころではないようだ。
「効いているな。……彼女の鎧は、物理攻撃には強いが、精神攻撃……癒やしには紙切れ同然だ」
動物たちが私の周りに集まる。
私はその中の一匹、長毛種の白猫を抱き上げ、硬直するエイレンの前に立った。
「エイレン」
「……ッ、貴様……!」
「正直になれ。君は怒っているんじゃない。……我慢しているだけだ」
私は抱き上げた白猫を、彼女の顔の前に差し出した。
白猫が「ミャ〜」と鳴き、エイレンの鼻先に湿った鼻を近づける。
「ひぅッ!?」
エイレンが可愛らしい悲鳴を上げた。
その碧眼は、目の前の白い毛玉に釘付けだ。
瞳孔が開いている。
「君の自律心は、動物に対する忌避なんかじゃない。……『好きすぎるものが汚れるのを見るのが怖い』から、遠ざけていただけだ」
私はささやいた。悪魔の誘惑のように。
「ここは私のダンジョンだ。泥も、病も、死もない。……この子たちは永遠に最高の状態で、永遠に君を裏切らない」
私はもう一歩、踏みこんだ。
「剣を捨てろ、エイレン。……そして、その手で触れてみるんだ。君がずっと触りたかった、その温もりに」
「お、己は……騎士だ……。そんな……堕落など……」
彼女は必死に首を振る。
「良いのか? 一世一代のチャンスかもしれないぞ」
「くぅ……ッ!」
態度に反して、エイレンのその手は、無意識のうちに白猫の方へと伸びていた。
理性の堤防が決壊するまで、あと数ミリ。
「さあ、言ってみろ」
私は彼女の耳元で、トドメの呪文を囁いた。
「『モフりたい』と」




