第18話:空振りの剣
【登場人物】
レオ / 処刑された元聖白教の異端審問官。黒髪に翠と金の目。黒い外套。ダラクローンと契約し、堕落のダンジョンで人々を解放する。
ノクス / ダラクローンの眷属。銀髪ボブに黒いゴシックドレス。ダンジョンの根幹を担っている。滅ぼされた魔法文明の魔法使いで、祈跡使いの聖白教の堕落を支援する。
アウレリア / 金色髪の聖女。聖白教オルドリア教区(王国の教区)と北の白塔をつなぐ聖務連絡官。普段は敬語を使う凛とした連絡官だが、ダンジョンの力で欲望が解放されてデレデレ?になってしまう。
【設定】
堕落のダンジョン / 神聖連合国の一国、グレイヴァルド王国の郊外地下に作られたダラクローンのダンジョン。欲望を満たすために、魔力によるダンジョンルームが仮設→生成され、人々を堕落させていく。
翌朝。
王都は、血のような朱色に染まっていた。
私はダンジョンのメインルームにて、虚空に展開した巨大な水鏡を見上げていた。
映し出されているのは、王都の中央広場。
代行官エイレンが宣告した『日の出』の刻限だ。
聖白教の精鋭騎士団50名が整列し、抜剣して待機している様子が、鮮明に見えている。
「——時間だ」
水鏡の向こうで、エイレンが懐中時計を閉じ、冷徹に告げた。
「これよりホワイト・オーダーに基づく強制執行を開始する。……各班、予定通り担当区域の獣を狩り出せ。抵抗する市民は公務執行妨害で拘束して構わん」
「はっ!」
号令と共に、騎士たちが散開していく。
彼らは事前調査に基づき、野良猫の巣や、ペットを隠していそうな民家へと殺到した。
王都中に、悲鳴と断末魔が響き渡る……はずだった。
「……さて。お手並み拝見といこうか」
私は優雅に紅茶をすすりながら、水鏡のチャンネル……映像先を切り替えた。
「旦那様」
メインルームの扉が開き、黒いゴシックドレスの少女が顔を出す。
「旦那様。もしもーし」
「なんだ?」
ノクスの声が響いた。
「モフパラで動物たちと遊んであげてください。ダンジョンの機能の限界を迎えそうです」
「……」
ダンジョンでも思わぬ問題が発生していた。
◇
一時間後。
水鏡に映る広場には、重苦しい沈黙がただよっていた。
戻ってきた騎士たちの表情は、一様に困惑している。
彼らの剣は、血を一滴も吸っておらず、乾いたままだ。
「どうした。なぜ報告がない」
エイレンが苛立ちを隠さずに問うのが聞こえる。
騎士隊長が、脂汗を流しながら進み出た。
「そ、それが……代行官殿。……おりません」
「何?」
「東区画、南区画、路地裏、地下水路……。リストにあった全てのポイントを捜索しましたが、獣が一匹も見当たらないのです」
隊長は信じられないという顔で続けた。
「野良猫はおろか、ネズミ一匹いません。……まるで、昨夜のうちに『蒸発』してしまったかのように」
「馬鹿な。昨日までは確かにいただろう!」
エイレンが声を荒らげる。
私はその様子を見て、口元を緩めた。
当然だ。
昨夜のうちに、私のダンジョンが全て飲みこんだのだから。
「では民家はどうだ? 隠している者がいるはずだ」
「それも……市民たちに問いただしても、皆一様に『昨夜、影の中に消えた』と……」
「影だと? 集団幻覚か何かか!」
エイレンは舌打ちをし、自ら足を踏み出した。
「己が確認する。……貴様らの目は節穴だ」
エイレンが広場を出て、路地裏へと向かう。
私はすかさず、水鏡から目を離した。
一呼吸置き、目をつぶり、魔力をためる。
昨日保護し、少しだけ知能強化を施して地上に放った『黒猫』の視界に移るために。
◇
「視界同調」
メインルームに声が響く。
次の瞬間、私の意識は、路地裏の木タルの上に座る『黒猫』とリンクしていた。
低い視線。
鋭敏な嗅覚。
路地の向こうから、白い軍服の女が、カツ、カツ、カツと苛立たしげに歩いてくるのが見える。
エイレンだ。
彼女は木箱を蹴り飛ばし、誰もいない空間をにらみつけている。
「誰だ」
彼女が独り言を漏らすのを、猫の聴覚が拾った。
「誰がやった……。これほどの規模で、誰にも気づかれずに……」
彼女の指先が、微かに震えているのが見えた。
潔癖な彼女にとって、『排除すべき汚れがない』という異常事態は、逆に不安を煽るのだろう。
振り上げた拳のやり場がないのだ。
『……そろそろだな。出番だぞ』
「……ふみ」
黒猫の意識に声をかけると、彼は小さく声を出した。
それを確認し、私はさらに働きかける。
——鳴け。
「……ニャア」
黒猫がひと声、甘く鳴いた。
エイレンの足がピタリと止まる。
彼女が猛然とこちらを向いた。
その碧眼に、獲物を見つけた狩人の光と——どこか安堵にも似た色が宿る。
「いたか」
エイレンがゆっくりと剣に手をかけ、足音を殺して近づいてくる。
「無様な獣め。……貴様だけでも、己が浄化する」
だが、私は見逃さなかった。
彼女が剣の柄を握る手が、強張ったまま動いていないことを。
この広い王都で、唯一残った小さな命。
それを斬れば、世界は本当に『完全な無』になってしまう。
その無意識の恐怖が、彼女の体を縛っているのだ。
——走れ。
私が命じると、黒猫はエイレンを嘲笑うように尻尾を振り、軽やかに跳躍した。
目指すは路地の最奥。
『立ち入り禁止』の札が掛かった廃屋……ダンジョンへの仮設の転移門だ。
「待てッ!」
エイレンが反射的に駆け出した。
騎士たちを呼ぶ様子はない。
彼女は今、使命感という名の言い訳を盾に、実際には「その猫を見失いたくない」という一心で走っている。
黒猫が廃屋の壊れた入り口をすり抜ける。
エイレンもまた、躊躇なくその境界線を越えた。
◇
「……釣れたな」
私は視界同調のリンクを切り、黒猫からの接続を解除した。
エイレン・フェルノ。
真面目すぎる代行官殿。
君は自らの足で、禁断の領域に踏みこんだ。
「すごい執着心だよねぇ。たった一匹を追って、護衛もつけずに飛びこんでくるなんてぇ」
隣でアウレリアが、呆れたように、しかし楽しげに言った。
「それだけ彼女は飢えているんだ。無意識に……『癒やし』にな」
私は立ち上がり、コートを羽織った。
「潔癖という名の鎧は、もうボロボロだ。……中身を引きずり出しに行くぞ」
「はい、あなた様。……『パラダイス』の準備は万端ですよぉ」
広大なダンジョンの一室……。
そこには今、王都中のモフモフを集結させた、史上最強の「精神汚染ルーム」が待ち構えている。
鉄の女騎士が、猫の楽園でどう壊れるか。
とくと見せてもらおうか。




