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五月の海―― 測距儀⑦

       ◇


 まばゆい光を放つものが波間に見え隠れする。

 魔剣?

 あれは穂波ではないか!

 Sutoku……なぜここに?

 漆黒の巨大な鳥が穂波に襲いかかろうとしている。

 大魔神との遭遇にチャイカはたじろいだが、ただ一瞬のことだった。次の瞬間には、スワロフの甲板を蹴っていた。


       ◇


 穂波の意識はさらに薄らいでいく。

 うねる波間を何者かに引きずられ、次の瞬間には別の力に引きずられて天空てんくう高く飛ばされた。すると、ふたたび、足首に何かが絡みついてきた。絡みつく何かが穂波を高みから引き下ろそうとする。


『チャイカ! 邪魔をするな!』

 斎門の右眼が怒鳴っている。


 雲の切れ目からときおり射す陽光。逆巻く波濤。火災を起こしている戦艦や巡洋艦の列。砲弾の雨。海へ落下していく大(しょう(マスト))。水柱。暗褐色の爆煙。目に映る景色が次々に変る。穂波は三つの別々の力の奪い合いのさなかにいた。体がばらばらに裂かれそうな感覚が襲う。


 ゴーーーーーッ!


 砲弾が空気を裂く音がしたかと思うと、天地が揺れた。

 目の前に暗黒が広がった。

 五月の海が穂波をのみこみ、いずこかへ連れ去った。


        ◇


『穂波! 戻ってこい!』

 呼びかけに応答は無かった。

 穂波を失うかもしれない。その考えが一瞬にして恐怖へと変わる。

 悪魔はあらがった。恐怖するおのれを憎んだ。俺は、俺が夢見るもののために、そのためだけに、ここにいる!

 斎門は砲術長の背後に立った。


「放せ! 放せぇぇぇ! ギャアアアーーーッ!」


 頭上から悲鳴が降ってきた。年老いた女の声だった。

 斎門は天空を仰いだ。漆黒の顕仁(あきひと)が、その鋭い嘴で噛み砕いたものを吐き出したところだった。


 べちゃっ!


 腐った泥のようなものが斎門の足元に落下してきた。斎門は即座に反応して焼却の術を放ったが、わずかに遅かった。腐った泥に似た何かは、黒い霧となり、霧は鬼の形相の女へと変化(へんげ)した。


 異様に真っ白な顔。瞼の腫れた両目はつりあがり、真っ赤な口は両耳まで裂けている。その頭部を覆うのは毛髪ではなかった。何百という黒い蛇だった。


「おのれえぇぇぇ!」

 裂けた口から腐臭を放ちながら、真っ黒な爪の伸びた両手で斎門に襲いかかろうとする。斎門は軽々とかわした。


 ゴボッ! ゴボッ! 


 女の喉からどろどろした黒いものがあふれでる。喉を顕仁に噛み切られているのだった。

「おまえだな! みさ緒の命を喰らったのは、おまえなんだな!」


 ゴボッ! ゴゴゴ……


「くたばれっ!」

 斎門はふたたび焼却の術を炸裂させた。異形の女は火炎に包まれ、黒い粒子となって飛散した。


 上空で風が唸った。顕仁が大きく羽ばたいている。

「顕仁! 穂波はどこだ? チャイカは?」


 見渡す限りの海が沸騰している。海中で爆発した砲弾が水柱を突き上げる。バルチック艦隊第二戦艦隊の旗艦が大火災を起こしている。質の落ちる石炭を燃やし続けるバルチック艦隊の煙突から黒々とした煙が吐き出され、周囲を暗黒地帯へと変えていく。


 キーーーン!


 天空を切り裂くような声を発しつつ、顕仁が大きく旋回する。その

羽ばたきの下をかいくぐるようにして、銀色の光の束が戦艦スワロフの方向へ飛んでいく。チャイカだった。


『穂波! 聞こえるか? 戻ってこい! 穂波……』

 どの時点で、どの地点で、穂波を見失ったのか? 斎門にはわからなかった。


「距離二千五百メートル! 砲撃!」

 左手に砂時計を握り、測距儀を覗く砲術長が告げる。

 伝令が走る。

 連合艦隊の砲が一斉に火を噴く。

 同時に、砲弾の炸裂音とともに三笠が大きく揺れた。艦砲のいずれかが破壊されたのだ。


 悪魔は身をひきしめた。

 穂波の捜索は後回しだ。今、この戦いに全能力を注ぎこむ。

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