五月の海―― 航路
※目次の冒頭に「表紙絵」を載せました。ご覧いただければ幸いです。
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マレー半島上空へ。パリへ。ペテルブルクへ。フルーリックはあちこちへ忙しく飛びながら、ときどき斎門の前に登場する。
五月の第三月曜日。いつのものように午前二時を過ぎたころ、大蜘蛛が居間に現れた。
「対馬沖だ」
天井からぶらさがったまま、フルーリックが言った。
「決まりか?」
斎門は手にしていた葉巻を宙に投げ捨てた。バルチック艦隊の航路としてはその選択肢しかないはず、と予想はしていた。フルーリックの情報入手が早かったことに驚いている。
大蜘蛛がするすると降りてきて、風にそよぐように揺れたかと思うと、フルーリックが姿を現した。
「決まりだ。エヴァンジェリンスキーが発した密封命令が開封された」
フルーリックによれば――
ベトナム東岸のカムラン湾から追い出されて、洋上で時間潰しを強いられていたバルチック艦隊の第二太平洋艦隊は、老朽船から成る第三艦隊と合流すると、カムラン湾の北に位置するヴァン・フォン湾にもぐりこんだ。フランス政府は今回は黙認したらしい。
バルチック艦隊はヴァン・フォンを、昨日、十四日に離れた。抜錨直前に、司令長官エヴァンジェリンスキーが発した密封命令が、各戦艦隊の司令官や艦長の手に渡っていた。
「バルチック艦隊の航路について、ミカドの艦隊の司令長官が正しい判断を下すことを祈ってるよ」フルーリックが言う。「名前は何といったかな?」
「本郷だ」
斎門は答えた。
「サイモン、きみがホンゴウのベッドサイドに降り立って、教えてやったらどうなんだい? 敵は対馬沖を通過する、と。津軽海峡通過、宗谷海峡通過は無い、と。夢のお告げというやつだな」
フルーリックは笑っている。
斎門も苦笑するほかなかった。
「夢のお告げか。合理精神のかたまりである軍人が、自分が見た夢であっても、それを信じて動くと思うか?」
「動くこともあるんじゃないか」
「たとえ本郷が信じたとしても、それを大本営に合理的に説明できない。――大本営ってのは面倒くさい組織さ。敵艦を発見できないまま時間が経過すると、どうなるか? 大本営は、おそらく、バルチック艦隊は太平洋ルートを選択した、と推測する。『ただちに北上しろ』と本郷に指示するだろう。本郷は『神秘的なお告げがあったので、対馬近海を動きません』などとは言えない。お告げ作戦は無意味ということになる」
「ミカドの海軍の頭脳は、どうなんだ? 索敵技能は優れているのか?」
「頭脳にこそ、俺はユニットを注ぎこんだんだ」
「ほう?」
「問題は、本郷率いる艦隊が、ぎりぎりまで待てるか否か、なのさ。ぎりぎりまで諦めずに索敵を遂行できさえすれば――」
焦ったほうが負けなのだ。そう、斎門は考えている。




