表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
201/233

五月の海―― 誕生祝い

※目次の冒頭に「表紙絵」を載せました。ご覧いただければ幸いです。

=============




 五月半ばの金曜日――。

 チョコレートケーキの生地をかまどに入れたあと、穂波は居間へ戻った。

「何をやってるんだ?」

 斎門が新聞から顔を上げた。


「ザッハトルテを焼いている。明日、彦乃の誕生祝いをする」

「明日が誕生日だったか?」

「来週の水曜だが、水曜の晩ではゆっくりできない」

 彦乃は築地の看護学校から斎門の家へ駆けつけてくるが、三十分ほどで芝へ帰らなくてはならないのだった。


「誕生日、か。二十二歳だな」

「私の妻の年齢まで正確にご承知とは、おそれいる」

 いやみな口調で穂波は言った。

「俺はおまえたちの縁結び役だったんだ。ご承知で当然だろう」

 斎門は新聞を畳んだ。にやにや笑っている。


 穂波はカウチに腰をおろした。

「斎門。ずっと気になっていた。彦乃に話を聞こうか、とも思ったんだが――」

「何だ?」

「三年前の秋のことだ。確か、九月だった。奇跡的におまえと連絡が取れた、あのときのことだ。彦乃が死にかけている。そう聞かされた。おまえから」


「あの事件のことか……」

「何があったんだ?」

「亡霊どもが彦乃を連れ去ろうとしたんだ」

「ぼう、れい?」

「死にぞこないども。彦乃が引き寄せてしまう。そういう、なんというか……体質なんだな」


 穂波は呆然となった。

 冬の陽射しが長く射しこんでいた子供部屋の光景が、眼前によみがえる。みさ緒が、いた。斎門の術によって眠らされた雪のそばに。


「花扇という貴族の家で、彦乃はやはり亡霊に引きずられそうになったんだ。おまえとの結婚の直前だ。ミリセントが要らぬ術を放ったせいで、と俺は説明したが、事実じゃない。あのときのことは憶えていると思うが」

 穂波はうなずいた。うなずいて、両手で頭を抱えていた。うつむいたまま、思わず知らず、何度もため息をついていた。


「三年前の秋。その前の五月にも異変があった。おまえがフルーリックに横取りされる前の五月のことだ。それも憶えているな?」

「憶えて……いる」


「あのときは、みさ緒のほかにもう一人いた。正体はわからん。彦乃に影響したのは、その正体不明の亡霊のほうだろう。みさ緒はあのときより前から、ずっと前から、雪のそばにいたようだからな」


「みさ緒……」

「みさ緒は、今は、いない。――いや、いないはずだ。おまえに告げていったじゃないか。旅立つ、と」


 しばらく、穂波は無言のままでいた。

 彦乃はなぜうちあけてくれなかったのか? こんな不甲斐ない夫に話しても無駄だ。そう思っていたのか?


「体質は変えようがないのか?」

 変えようは、ある。斎門がそう答えると、根拠もなく、穂波は期待した。――返事は、すぐには返ってこなかった。


「変らない、と考えておいたほうがいいだろう。だがな。彦乃を守ってやることはできるぞ。一日二十四時間。三百六十五日。いとしくてならない、とささやいてやれ。彦乃に。たっぷり愛してやるんだ。それで、彦乃の心を強くすることができる」


 穂波は悪魔の顔をまじまじと見つめた。

 ここは怒りを爆発させるところか?

 そう思いながら、大声を出す気にはなれなかった。自分が不甲斐ないのだ……。


「ああ。私はそうしたい。だが、彦乃を不幸にするばかりだ」

「不幸?」

「彦乃は、奴隷契約で縛られている夫など、捨てて逃げだしたいと思っている。きっとそうなんだろう」


 そうだとしても。自分はもう彦乃と離れられない。彦乃を失うことなど、考えられもしない。


「だが、誕生祝いのケーキは喜んで食べると思うぞ」

 悪魔が言ってのけた。真面目な顔つきで。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ