空の異変
鳥のソラニルの来訪に気付いた主は、途端に表情を引き締める。
「どうした?」
ディンセントも何事かと、近くの木に止まった鳥のソラニルを見つめていると、ロカが息を飲んだ音がした。
「……恐れていたことが」
主は苦々しく告げると、ロカとディンセントに振り返った。
「悪いけど、急用ができてしまった。せっかく来てくれたのにすまないが、また今度、」
「私も行きます」
「へ? い、いや、さすがにこれは……」
「私もコハントルタに身を置く者です。それに、以前はアレスローヴェンにいました、あれのことは誰よりも知っているつもりです」
ロカは立ち上がった。
恐らくロカは鳥のソラニルからの言葉を聞いたのだろうと推測したディンセントだったが、それでも突然の彼女の言動にわけが分からず困惑するばかりだった。
「……そうか、キミはアレスローヴェンのカマラドだったね」
頭を掻く主は、小さく息を吐く。
「それじゃあ、同行を頼もう。残念ながら、オレには知識はあっても経験がないんだ」
「はい」
ロカが一歩踏み出すのを見て、ディンセントはたまらず声をかけた。
「ロカ、一体どういうことなんだよ、何があった?」
ディンセントに向けられたロカの表情は厳しいものだった。今までに見た彼女の表情の中で一番、戦いに赴く者の顔をしていると彼は感じた。
「コハントルタの空に、ヨミが出現したの」
ヨミ。
それは、今までロカの口からしか聞かなかった名前。
遠い所での話。そう、漠然とディンセントは思っていた。
「……え?」
「出現場所は郵便配達所と東の広場だそうよ。ディンセントが私とクゥムーに初めて出会った時のことを覚えている?」
「!」
ディンセントの背筋がぞわりと鳴く。
「……っ、あのダウンバーストか!」
郵便配達所のクレーンが落下し、広場の石畳が破壊された件を思い出す。石畳についてはクゥムーの仕業かとも考えられたが、あれはロカが抗議したようにクゥムーがヨミから島を守ってくれていたのだろうか。
「ええ、恐らくあれが最初の兆候だったのね」
「ああ、確か人間も調査してたね。オレたちもあれからずっと監視を続けてたんだ。嫌な感じはずっとあったけど、でも、その嫌な感じが何なのかを確定できるものも防ぐ方法も分からなかったしね」
「なぁ、」
ディンセントは一歩踏み出した。
「ヨミって一体何なんだ?」
彼の言葉に、ロカは少し黙ってから答える。
「……分からないわ」
「分からない?」
「ええ。どこから来るのか、何のためにいるのか、どうして私たちと対するのか……明確な答えは何もないわ。ただ、私たち人間とソラニルに害をなすから、私たちは戦っているの」
「そんな、」
不毛な、とディンセントは思った。今、このときも、アレスローヴェンで終わりの見えない戦いを続けているというのだ。
「私も、どうにか決着をつけられないものかと思っているわ。でも、解決方法が分からないのよ」
その言葉で、ロカが実際にヨミと深く関わっていることがディンセントの中で現実味を帯びた。
「とにかく、主さんと私はこれからヨミを確認しに行くわ。対策を練らないと」
「えっ、あ、おい、俺も、」
「ディンセントはここで待っていて。あなたは、夜の空を渡れない」
当たり前の事実を言われたのだが、その言葉はディンセントに刺さった。役に立たないのだと、勝手に脳内で変換されていた。
「……」
「私たちが調査して戻ってきたら、お城に報告に行きましょう。コハントルタ王に詳細を知らせなきゃ」
「そうだね、その時はオレも行くよ。急に会おうって言ったら向こうはびっくりするだろうし、オレだってちょっと緊張するけど、そんなことを言ってられないからねー」
そうして、主は獣の姿に戻ると大樹に振り返る。太い幹の傍に、いつの間にか熊のソラニルが静かに控えていた。
「念のため、キミはここにいて」
熊のソラニルが頷くのを見た主は、鳥のソラニルに目配せする。鳥のソラニルは飛び立ち、主とロカもその後を追っていった。
ディンセントの頭上でさやさやと葉の擦れる音がする。後は、シルクハットの男性がハイエフを触っているであろう機械的な音がするだけ。
微かに俯くディンセントの眉間には皺が刻まれていた。
無力さは、こうも簡単に思い知らされるものなのか。確かに、生身の人間にとって、夜の空は手出しができない。これが、ソフィアンネの言う特別と一般の差なのか。
ディンセントの腰には剣も小銃もある。だが、現場に辿り着けなければ何の意味もない。この島から一歩も動けないのだ。
夜空さえ渡れたら。
ディンセントは一人、唇を噛むしかなかった。
ぽつねん。




