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ソラリコ  作者: 春鳩るい
91/105

真・ヨミゴエ7

 散り散りになりながら落ちていくヨミ。

 雨はただ肌を打った。


 これは何の前触れなのか。


 少女を引き寄せたまま、騎士はごくりと喉を鳴らした。


「……ヨミの沼が……っ」


 異変に気付いたのは少女だった。騎士たちは慌ててヨミの沼を確認する。

 光源術式によって照らされたそこには、沼からぼとぼととあふれて落ちる大量のヨミが見えた。無数の黒い手はなく、ただあふれ出すのみ。

 騎士たちの心拍が上がる。肌が粟立つ。

 沼から大量にヨミがあふれることなど、今までなかった。


 ずるり。


 そう、音が聞こえたのは、恐怖ゆえか。


 ヨミの沼からずるずると緩慢にヨミの塊が出てきた。今までのヨミゴエのサイズとは比べ物にならないほどの巨大な塊になっていく。

 圧倒的な威圧感で空気が澱み、知らずのうちに呼吸が上がる。淡い緑色の髪の騎士は、自身の心臓の動きに合わせて視界がぶれる感覚に陥った。


 普段のヨミゴエとはわけが違う。

 誰がどう見ても、最悪の結末しか見えなかった。


 動けない人間たちを放置し、ヨミゴエは沼から飛び出すと、あっさりと第二防衛ライン付近まで侵した。

 空を飛ぶ間に少しずつ形を変えるヨミゴエの見覚えのある姿に、少女は声が出ない。


 あれは。

 あれは。


 まだ明確な形を成してはいないが、少女は直感した。


 雨の糸が視界を切り裂く。

 その隙間にフラッシュバックのように滑り込むのは、青い夜。

 

 ……小さな、青白い獅子。


 少女の見開いた目が微かに痙攣する。

 思い当たった言葉は思った以上に残酷で、喉がひくつく。


 そんな。まさか。ありえない。でも。


 放心状態の少女たちのことなど眼中にないのか、ヨミゴエはアレスローヴェンの方角へと侵攻を開始する。


「くそ、まずい……ッ!」


 赤髪の騎士は叫んだ。あのヨミゴエは今までと違うと、本能的に悟る。ヨミゴエ出現時にはヨミが大量にまかれていたが、今回、それがないのも不気味だ。

 アレスローヴェンとうまく連絡が取れていない。監視部隊も壊滅的だ。カマラドも行動不能。片目を失い傷を負ったこの体で通用すると思えるほど、まだ頭は錯乱していない。

 ギリリと歯が軋む。

 後は、アレスローヴェンの軍団に任せるしかない。だが、最後に何とか到着した伝達鳥では、まだ出撃準備中だと言っていた。あれからどれほど時が経ったのか定かではないが、あのヨミゴエの進行速度で出撃に間に合うのか。


 淡い緑色の髪の騎士は、少女が震えていることに気付く。愕然とした表情でヨミゴエを見つめる彼女の姿に、騎士は血の気が引いていくのを感じた。

 あのヨミゴエは、カマラドでさえ畏怖する対象なのだと。

 世界が終わる臭いがして、吐き気さえする。

 騎士は少女の拘束を崩れるように解いた。


 ただ、少女の震えは怖れなどではなかった。

 突然会えなくなったあの子ではないのかと、別れた自身の片方ではないのかと、狂おしいほどに心が揺れているのだ。

 確証はない。だが、姿形があの子を思い出させる。


 何があったのか。

 どうしてこうなったのか。


 答えなど見つかるはずはないし、考える時間もなかった。


 震える手を握り締める。頭を押さえ、眼前を過る青白い獅子を飲み込む。


 いいえ、きっと、あの子じゃない。

 もしあの子がヨミゴエになっていたのならば、とっくに私はカマラドの力を失っているはず。

 でも、もし、万が一、あの子だったら?

 どうする。

 どうすればいい。

 どうしてあげられる?


 浅くなる呼吸。目の前がチカチカと点滅する。

 刹那、少女の脳裏に、ある本が浮かんだ。

 瞳が大きく揺れる。

 刻まれた言葉を思い出す。

 少女は息を吸った。


 少女が幼い頃、偶然、家の地下でたくさんの書物を見つけた。何かの機械の説明をしているような意味の分からないものもあったが、それに並んで古式ヤタの踊りが解説された古めかしい一冊の本があった。


 最初にそれを見つけたとき、少女はとても心が踊った。

 皆には秘密で、夢中で古式ヤタを練習した。誰に見せるわけでもなかった。ただ、踊るだけで楽しかった。


 しかし、その本の最後のページの古式ヤタに追記された手書きの一文を読んだあの日は、怖くて一人震えたことを覚えている。


 少女は唇を噛んだ。

 幼い頃に刺さった怯えは今も胸の中にある。


 しかし、少女にはもうそれしかなかった。


 少女の瞳に、決意と共に光が流れる。願いを押し上げるように、心の底から湧き起こすように、体の中心から力を呼び出す。

 傍にいた騎士の瞳に、消えかかっていたカマラドの青い光が映り込んだ。


「白銀の……、」


 彼が驚きのあまり声を失っている間にも、少女は煌々と青い光を放ちながら立ち上がる。彼女の視線は真っ直ぐにヨミゴエを刺していた。


 少女は一歩軽く足を踏み出す。空中に波紋が広がった次の瞬間には飛び出し、ヨミゴエへと向かう。全身で雨を切る。


「っ、おい! 俺たちも続くぞ!!」

「は、はいっ!」


 あっという間の出来事に、二人の騎士も慌てて後を追った。カマラドが何をしようとしているのか検討もつかなかったが、近くにいれば何かしらの役に立てると踏んだのだ。


 走る少女は、正面に右手の人差し指で円を描く。その円の中央めがけ、開いた右手を突き出した。ぱっと光の玉が現れ、カラフルな光を散らしながらヨミゴエへと飛んでいく。それは発光術式だった。続けて左手でも同じ所作をする。

 光の玉はヨミゴエにダメージを与えるためではない。その証拠に、ヨミゴエを左右から追い抜いた光の玉はそのまま弾けて散った。

 ぴたりとヨミゴエの進行が止まる。それはゆっくりと真後ろ……ロカたちの方へと振り返った。


「!」


 騎士たちは急ブレーキをかけた。巨大なヨミゴエから放たれる目に見えない威圧で、今にも心が折れてしまいそうになる。

 活路をどこに見出せばよいのか。

 もう、少女に賭けるしかなかった。


 その少女は、騎士たちから少し離れた所で立ち止まった。その手足からは青白い光の翼が力強く羽ばたいている。傍から見れば希望の灯りだが、当の本人は視界が霞み始めており、最後の力を振り絞っているに過ぎなかった。


 本の内容が頭を過る。

 刻まれた手書きの文字が、呪文のように心を砕きにかかる。


 でも。

 これしかもう思いつかない。


 ならば。


 少女の瞳に鋭さが増す。見開いたその瞳の奥に、覚悟と共に数多の煌めく光の粒子が流れる。意識をヨミゴエにロックオンする。

 少女は右手の人差し指を顔の正面上辺りに、左手の人差し指を腹部の正面辺りに指差すと、右手は左手の位置へ、左手は右手の位置へ、時計回りにヨミゴエを囲うように円を描いた。空間に描かれた円は青白くラインを残し、その内側に水面のような揺らめきを表す。

 その円陣と同じものが、ヨミゴエの真下に突如出現した。青白く光るラインは、ヨミゴエの形を淡く浮かび上がらせる。

 少女は右手を胸の前で握ると、正面に差し出しながら指を鳴らした。水底から空を覗いたように水面が光り始め、呼応するようにヨミゴエの方の円陣にも同じことが起きる。ぼんやりとしていたヨミゴエの輪郭が暗闇で詳細に照らし出された。その、ドロドロとした黒いヨミを滴らせる獅子のような姿が。


 少女は目を閉じて息を吸う。

 左手を顔の近くまで上げる。

 彼女は、別れを惜しんで涙を堪えるように笑う。

 ヨミゴエに向かって、左手をバイバイと振った。


 突然、ヨミゴエの方の円陣が強い光を放つ。それは水面から差し込む光の柱が揺らめいて細く太く形を変えながら天へと刺さるように見えた。

 その乱立する光の強さに溶けるように、ヨミゴエの姿が消えていく。

 光の収束と共に円陣も消え、その場は暗闇と雨だけになった。ヨミゴエの気配は消え去っていた。


 騎士たちは呆然と一部始終を見つめるしかなかった。目の前で何が起こったのか、カマラドが何をしたのかは分からなかったが、静まる世界に、脅威は去ったのだと肌が感じる。

 ヨミゴエに気を取られていたが、アレスローヴェンから軍団がこちらへ向かってきている姿が見えた。灯りの集団を見て、騎士たちは肩の力が抜ける感覚を味わう。


 騎士たちの目の前で、少女がぐらりと体を揺らして座り込んだ。二人は慌てて彼女へと向かう。

 少女に生える翼は不規則に明滅すると、消えた。

 途端に少女の体は落下を始める。誰もが息を呑む光景だった。


 騎士たちの手は少女に届かない。

 だが、少女の手を掴んだ人物がいた。


 少し青みがかった礼装のドレスをなびかせる姿は、場違いなほどに美しかった。手足から青白い光の翼がたゆたう。

 その女性は悲しげに眉を寄せて叫んだ。


「……ッ、ロカ!!」

お気付きだったと思いますが、少女はロカでした。

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