崩壊するウルシュトラツカで1
あの子はどこにいるのだろう。
名前を呼ぼうとしたけれど、あの子には名前がなかった。
砂塵で視界が悪い。
ウルシュトラツカは黒いつるつるとした岩で作られた建物が多くシンプルできれいな景色だと聞いていたけれど、今見えるのは、傾いた家やボロボロの壁、穴の空いた道ばかりだった。
あの子がどこにいるのか分からない。
手がかりは主の住む島。何かあったら、きっとそこに集まると思う。
主の島を探さなきゃ。
ウルシュトラツカは縦に長い島の形をしているので、頂上に向かって坂道や階段を駆け上がっていく。島のあちらこちらにある昇降機は壊れてしまっているみたいだった。
崩れ落ちている道を飛び越え、降ってくる石を払い除ける。人の姿は見えないので、きっと避難できているのよね。
名前。
あの子は、名前はないって言ってた。
自分だけじゃなくて、他の子もないよって。特に必要ないからだって。
だから、私もあの子のことはあの子って言ってた。
会って一緒に遊ぶだけだったから。名前なんて必要なかったから。
でも。
ああ。
こんなことになるのなら、あの子と私の間だけの名前を考えておけばよかった。
前方上空から黒い石が落ちてくる。小石じゃなくて、大きな塊で。崩落の度合いがさらに増しているみたい。
石が落ちてきた方向を見上げると、飛行船が傾き、船の先が少し地に埋もれるような状態で着いていた。きっと、さっきの落盤で陥没した所にはまってしまったのだわ。早く出航しないと落ちてしまう!
走ってその飛行船に近付くと、操縦士の人たちが慌てている姿が見えた。ここは少し開けた場所で、建物の内部だったのか何かの機械が並び、端には崩れ落ちた壁の残骸が散らばってる。
私が操縦室の窓を叩くと、こちらに気付いた操縦士はびっくりしていた。窓の外は空だから。慌てて窓を開けて私の足元を見て、ソラリコだと思ったみたい。
本当は違うんだけど。
「どうしたのですか? 早く出航しないと、島が崩れてしまいます」
「そ、それが、ソライシの量が足りなくてエネルギー不足なんです!」
操縦士は眉を寄せて振り返ったりこちらを見たり、とてもそわそわしている。
「今、ソライシを取りに行っているのですが……ああ、早くしないと!」
船体が揺れているのが分かる。地面が飛行船の重みに耐え切れなくなってきているのだわ。
「もうすぐ帰ってくると……あっ! 帰ってき、うわあっ!?」
一際大きな振動と音と共に、船体の傾きがさらに増した。前のめりになった船内で、操縦士の人たちがあちらこちらの機械に掴まって何とか体勢を保っている。
飛行船の反対側、地面がある方を見ると、ソライシを運んできている大型のエアロハイカーが見えた。でも、これじゃ、ソライシを積み込めないし操縦もできない。
「あのっ、私が船を下から支えます! その間にソライシを運び入れて飛び立ってください!」
「へっ!? あっ、ちょっと!?」
窓に掴まっている操縦士にそう言ってから、船底に近寄る。着陸しているときに飛行船を固定する装置が船底に付いたまま、船の前の部分が割れた地面の中に落ち込んでいた。これじゃあ、きっと、沈むばかりだわ。
遠くでエアロハイカーに乗った人がこちらに向かって何か叫んでいるけれど、気にしない。どうか、あなたはソライシを船内に運び込んでいて。
……うん、指が引っかかりそうな所があった。そうして、指先に力を入れる。
手首から現れる光の翼は、いつ見ても暖かくて柔らかくて好き。
ここから少し、いつもとは違う。体の中心の奥の方から、力を引っ張り出す感じ。ううん、引っ張り出すというよりは、蓋を開けたらあふれ出してくる力を制御して、上手く指先に伝える方が近い。
大量の光の粒子があふれ出した。小さな熱の粒が、指先から旅立っていくみたいな感覚。
よし、このまま船を持ち上げる!
鉄がひしゃげるような音、木の軋む音、岩の砕ける音。
重くはない。指を添えている程度。
あの子が傍で手を貸してくれているような気がするの。
風が強く吹くのも好き。でも、髪がバサバサになっちゃう。長い髪は視界を遮ったりもするから、それだけは少し不便だわ。
とにかく、まずは船体が真っ直ぐになるように持ち上げて保たなきゃ。そうすれば、きっと、操縦士の人たちが動けるようになる。
うん、大丈夫、船底はそんなに傷付いていない。この飛行船は飛べる。
「わっ」
踵が道にめり込む。足元が崩れた!
見下げると空が広がっていた。
船の後ろ側は地面があって大丈夫みたいだから、私が前側を支えればいい。飛行船を固定していた装置が勢いよく落ちていった。
エアロハイカーの姿がなくなっているから、きっとソライシを積み込んでいるのね。
崩落が一瞬止まって、カラカラと小石が転がる以外、静かになった。
ふと周りを見渡す。
……ああ。こうなる前は、艶のある黒い建物が並んで、直線と曲線での設計は未来的で、でも、そこに植物の緑や花が色鮮やかに入り込んで、きっときれいな景色だったんだろう。
今はもう、花びらは散って、草木は根こそぎ倒れてなくなってる。吹き抜ける風の音がひどくもの悲しい。
がくんと飛行船が震えた。船体から一定のリズムの振動が指先に伝わってくる。
よかった、エネルギーが補給できたのね。
飛行船の後部を固定している装置が動いて外れた。飛び立つ準備ができたんだわ。
船底の前から後ろに真っ直ぐに敷かれたガラスが発光し始める。触れていた船体の感触がなくなる。うん、もう大丈夫。
操縦室にさっきの操縦士の姿が見えた。私の姿を見て驚き、他の人と何か話しているようだった。さっきエアロハイカーに乗っていた人もいる。
その人が私や船底を指差したりしていて、操縦室にいる人たちの顔が怪訝な表情に変わった。こちらを見るたくさんの目に冷たさを感じる。
何だか、私のことを気味悪がっているみたい。
……うん。そうだよね。
飛行船を持ち上げるなんて、おかしいよね。
私は逃げるようにその場を立ち去った。
ああ。
名前があれば、あなたを呼べるのに。
ねぇ。
あなたはどこにいるの。
ロカ、語ります。




