保護作戦3
石畳の道に面する家々の扉。このまま進むのは衝突事故につながりそうで危ない。ユルルもそれを感じたのか、早々に左の道に飛び込む。ロカも追従したそこは人が一人通れるほどのかなり細く薄暗い道だった。
太陽の光に焦がれるように、ユルルは上空へと飛んでいく。ロカも短距離で空に上れるように、左右の壁を蹴りながら後を追った。
目の前が光で白くなる。左右に見えた色とりどりの屋根瓦を掴む手首の翼が光り、ロカは自分を空の中へと思いっきり押し飛ばした。
ロカの体が宙を舞う。そこは、屋根の大地以外に遮るものはない空の領域。
着空し、目標を視界に捉える。ユルルは空にぽつりと浮かんでいた。その小さな両腕で腹の前で抱き締めていたのは、ハルデンシアの花だ。
ユルルの頭上から引っ張られ、ぎゅっとハグされているその蕾はパンパンに張っており、今にも睡眠ガスを噴き出しそうだ。
ユルルは睡眠ガスのことを分かっていて、ロカを近付けさせないための手段としているのだろうか。それとも単純に、怖さから身を守るために手の届く範囲にあるものを抱えているだけだろうか。
これまでのことを考えると、ユルル自身がこの睡眠ガスでは眠らないようなので睡眠耐性が付いていると思われる。
「私はあなたに悪いことはしないわ。ここはあなたのいる場所ではないの。おうちを探してあげるから、一緒に帰ろう」
ロカが差し出す手に少し怯えたのか、ユルルはハルデンシアの花をさらに強く抱き締める。これ以上、刺激を与えるのはよくない。
捕縛術式の所作に入るだけで、ユルルは怯えてしまうだろう。ロカは近付くことも保護することもできずに焦った。
その時、ユルルの周りで何かが煌めいた。
突然、ユルルを包むように虹の膜が浮かびあがる。それは、防衛術式だった。
同時に、後方から声が聞こえてくる。
「ロカ、今なら睡眠ガスが出ても拡散しないよーっ!」
振り返ったロカは、手を振るアルタと防衛術式の構えのラズメリアを見つける。先ほど、自分たちが防衛術式で睡眠ガスから身を守れたことから察し、ならばユルルの周りに防衛術式を行えば睡眠ガスは漏れないと踏んだのだ。
突然現れた防衛術式の膜に慌てふためいたユルルがハルデンシアの花を一際締め上げると、花の蕾の先端から勢いよく睡眠ガスが吹き出し、ユルルの姿が見えなくなるほど濃厚なピンク色に空気を染めた。ソラリコたちの目論み通り、睡眠ガスは防衛術式によって阻まれ、空気中に拡散していない。
大きく見開いたロカの瞳と上がる口角。ロカは、睡眠ガスの向こうのぼんやりと輪郭が見えるユルルへ向き直ると、左手を差し出した。光の粒子の波を横切る手のひらは上向きで、親指と人差し指で何かを持っているような仕草。指先に光が集まる。その透明な何かの先端をユルルにロックオンし、その手を一八〇度回転させた。カチリと音が聞こえそうな、どこかの世界に鍵をかけたような所作だった。
追ってすぐ、ユルルの頭上の何もない空間に一瞬小さな魔方陣が描かれると、そこから頑丈な蔓のようなものが現れ、円を描くように勢いよく下方へと伸びながら鳥籠を形成していく。
その途中で防衛術式はシャボン玉のように弾けて消えるが、鳥籠がその役目を引き継いでいるらしく、睡眠ガスは一呼吸ほども漏れることなく掻き消え、無効になった。
「やった、ラズの思った通り! 術式を上書きしたねっ」
「よ、よかった……。わ、私の術式のレベルはアルタちゃんより弱いし、き、き、きっとロカちゃんの術式の方が強いだろうから、上書きできると思ったの。ほ、捕縛術式には状態異常とかの無効も付いてるから、すす睡眠ガスも漏れずにバトンタッチできるかなって」
この短時間でラズメリアは自分とアルタとロカの力を分析し、アルタではなく自分が術式を行う方が今回は適任だと判断したようだ。
誰かと共に何かをするということがほとんどなかったロカには至れない考えで、彼女は思いがけない状況に感動する。
「ありがとう!」
アルタとラズメリアに手を振る。
ふいに背後から風に引っ張られたような感覚を覚えたロカは振り返る。鳥籠の中のユルルは悲しげにハルデンシアの花を抱えて小さくなっていた。
ロカの心は一瞬で凪になると、鳥籠に近付く。
「……ごめんね、ごめん」
ユルルがこのまま町にいると人間にもソラニルにも不利益になることは目に見えているので、その現状を解消すべく動いたロカだったが、それでもばつの悪そうな表情でユルルに声をかけた。
「ちゃんと自由にしてあげるから。おうちに帰してあげるからね」
言葉を聞くユルルは目の前の人間を格子越しに見上げて震えていた。
怯えるこの目は、よく知っている。ロカの背骨が微かに痺れる。あの島にいたときは、よく見ていた。
相手の声は聞こえるし、その内容も理解していた。だからこそ、こちら側にいるとはいえ中立であろうとした。厳密にはきっとこちら側寄りなのだろうけど、あちら側だけ不利益にならないように、自分なりの考えで配慮した。
そうやって聞こえてくる声は肯定的なものばかりではなかったけれど。
今考えても、自分のその信念が本当に良かったものかは分からないけれど。
それでも、こちらに向ける眼差しが怯えだけでは決してないことを信じて、体験して、今までやってきたのだ。
「ロカ、ぼくたち、騎士団を呼んでくるよ。ユルルを連れて町を歩くわけにもいかないしさ」
「……分かったわ」
アルタの声で我に返ったロカは、ワンテンポ遅れながら頷く。ロカとユルルの目が、てきぱきと行動に移すアルタと、両手を組んで少し心配そうに振り返りながら去っていくラズメリアを見つめていた。
あちらとこちらの境界線上で踊る。




