反射
ロカは立ち上がる。
驚いたアルタとラズメリアは、顔色が変わったロカを見つめるしかなかった。
甘い、独特なにおいがする。
これは、いけない。
ロカの全身がアラートを発している。彼女は息を吸うと、ラズメリアをアルタの傍に引き寄せた。
「きゃっ?」
「わっ、何?」
「防衛術式をお願い!」
「へ?」
「ど、どどどうしたの、ロカちゃんっ?」
「いいから、早く!!」
ロカの大声はラズメリアの肩をびくつかせる。
「な、何なんだよ、もうっ!」
晴天下。周りの客は驚いてこちらを見ている。
周囲の視線とまったく読めない状況に苦い顔をするアルタだったが、ロカの真剣な表情に気圧され、所作の構えに入った。手のひらを前に向け、目の前でXの形にクロスし、祈る。人の目に見えるか見えないかの薄いシャボン玉のような膜が、アルタの半径一メートルほどにでき上がる。
次の瞬間、周辺が薄いピンク色に染まる。空気がピンク色なのか太陽光がピンク色なのか判断できなかった。
唐突な世界の変色に、焦ったラズメリアはアルタに身を寄せる。
そんな中、ロカはアルタの防衛術式の範囲外に立って周囲を見渡していた。ただごとではない現状。ラズメリアは慌てて、ロカに手を伸ばそうとする。
ふっと、ピンク色の空間は消えた。
そのとき、急に背後からドサッと何かが倒れる音が響き、アルタとラズメリアはぎょっとして振り返った。
もちふわトーストを運んできてくれたウェイターが床に倒れているではないか。ロカたち以外の客もテーブルに座ったまま崩れ落ちている。
「な、何、何、何っ!?」
アルタはぞっとする。自分たち以外に起きている者は誰もいなかったのだ。防衛術式の中にいたから助かったということか。
ロカはというと、呆然とするアルタたちを尻目に、床に転がるウェイターや机に伏す客の容態を見回っていた。
ロカは目を閉じ、頷きながら溜め息を吐く。皆、眠っているだけのようだった。
ロカの鼻がひくつく。
においがする。どこに何がいるのだろうか。凶悪な気配はしない。だが、このにおいはソラニル。そして、この現象は、ほぼ間違いなくソラニルが放った力。
ソラニルには種別毎にそれぞれ固有の力がある。個体によっては固有の力に足して特殊な技を持つものもいる。
「ロカちゃん……?」
睡眠作用のある力を持つソラニルは何種類かいる。そのほとんどが植物系のソラニルで、その他は狂暴なソラニルがその力を持っていることが知られている。植物系は移動できないものばかりなので、この場にいることは考えにくい。かと言って、狂暴なソラニルがここにいれば確実に気付くだろう。
「ロカちゃんっ」
「ちょっと、ロカ?」
だとすれば、この状況は一体どういうことだろうか。それに、睡眠の影響範囲が掴み難い。この店の周囲だけならば、まだ被害はそれほどでもないだろうが、広範囲に影響が及んでいるとなると事態は深刻になる。火や危険な道具を使う作業、交通機関など、作業途中の人間が昏倒してしまえば、どれだけの二次被害が発生してしまうだろうか。幸い、発生から今までの間に近辺から事故などの激しい音は聞こえていない。とにかく、まずは原因と思われるソラニルを発見しなくては。
ロカは目を閉じた。手首に光の翼が生える。
肘を肩と平行に左右に伸ばし、横になった両手で目を覆う。人差し指と中指、薬指と小指を互いにくっ付けてVの字に開き、両手でダイヤの形の窓を作る。そして、右手は右へ、左手は左へと、祈りを込めて水平にスライドさせながら目を開いた。
「さ、さ、索敵術式」
ロカの瞳の奥底で解析された、淡い現実世界の景色を素通りして、そこに紛れた小さな赤色の生体反応を見つける。
「かなり弱い反応だけど、店の裏路地の辺りに何かがいる」
「ねぇ、ロカってばっ」
ここはアルタとラズメリアに任せて、すぐに捕獲しに行かないといけない。
「ッ、ロカちゃんっ!」
突然、ラズメリアが飛び付くようにロカの腕を掴む。驚いたロカは思考を中断し、広がった瞳でラズメリアを見つめた。
「ど、ど、どうしたの、ロカちゃん……、」
ラズメリアが泣きそうな表情で問う。
「……どうして、そっ、そんなに恐い顔をしているの」
「……!」
ロカは我に返る。すぐ傍では、アルタも困った顔で腰に両手を当ててロカを見ていた。
は、と短く息を吐く。
……そうだ。
ここは、あそこではない。
ここでは、あそこと同じように対処する義務はないんだ。
職業病というか何というか。




