秘密の部屋2
その部屋には、ページを捲る音がただひたすらに響いている。ソラニル大辞典というだけあって本はずしりと重く手が痺れてきたが、ロカはそれよりも次のページを開いて見ることに神経を研ぎ澄ましていた。
ふいに、その手が止まる。
イラストは獅子だった。
唐突に現れたそれは、ロカの心音を加速させていく。
獅子といっても縞柄があり、どこか虎の要素が混じった容姿をしている。
そこには、ダンティガレオンの名前。
彼女はその言葉から目が離せない。その名を、唇だけで象る。
ロカの瞳は、もう本を見ていなかった。
そこに映るのは、憧憬の場面。
暗闇がまったく怖くない夜だった。
色彩は沈んで主張を抑える中、世界は青く発光し、紗をかけたように輪郭が曖昧に見える。幼いながら、現実か幻かの境界線を歩くような感覚だったことを覚えている。
背丈ほどもある草を掻き分け、光が強い方へ向かった。呼ばれているような気がしたのだ。たくさんのざわめきも聞こえる。
気になって仕方がなくて、葉や枝で小さな切り傷を幾つも作ることなど躊躇せずに進む。何を言っているのか聞き取れなかったざわめきが、いつの間にか、理解できる言葉として耳に届いてくるようになっていた。
突然、目の前が開けた。
そこにはたくさんのソラニルと、その中心に小さな青白い獅子がいた。
ロカは本を閉じ、抱き締める。
物語の余韻を懐かしむように目を閉じる。
そう。始まりは、ここからだった。
本に刻まれた文字のように色褪せることなく、何度でも読み返すことができるこの思い出は、ロカにとって心の支えのひとつだ。
あのソラニルは、今、どこにいるのだろうか。
何をしているのだろうか。
ロカは、僅かに目を開く。
……ちゃんと、ご飯を食べているのかしら。
ナーバスで甘酸っぱくも感じる心を一通り抑える。気持ちの整理に少し時間はかかったが、ソラニル大辞典を元の場所に戻した。
息を一つ吐いて気持ちを切り替えたロカは、痺れている手をぶらぶらと振りながら考える。
かなり遅くなってしまった。いつも夜にクゥムーが遊びにきて、それからロカたちは屋根に上がって話をしていることをラズメリアは知っているのだが、今日は普段より帰りが遅くなっているので、同室の彼女は心配しているだろう。
「さて、どこから出るのかしら」
そう呟いて、ロカは首を傾げる。出口らしき扉がどこにもないのだ。周りを見渡しても、あるのは背の高い書架と大量の本や巻物や紙束。書架をノックしてみたり、大量の本が積み重なっている所を少し動かしてみたりしたが、特に何も見つからなかった。
ロカは部屋の中央に立ち、考え込む。ふいに足元を見ると、何か描かれている。散らかっている紙や巻物を退けてから改めてよく見ると、ドラゴンの紋章だった。微かに発光しているようなインクか何かで描かれた紋章は少し掠れていて古い印象を持つ。どうやらここは、ドラゴンと縁のある場所らしい。
そんなことを考えていると、ポコンと突然、頭に何かが当たった。巻いた紙が床をころころと転がる。紙なので痛くはなかったが、ロカは反射的に頭を押さえながら天井を見上げる。三角錘の天井がただ光っているだけ……だと思ったら、何かがいる気がする。特に何も見えないし音もないのだが、何かがいることをロカは確信する。その気配を気にしながら、彼女は足元の紙を拾った。巻きを伸ばして見たところ、そこには扉のイラストが描かれていた。ピンときたロカは笑みをこぼすと、天井を向いて話しかける。
「ありがとう」
そうして、巻いた紙を床に当てて広げる。多分、辺りの適当な書架に当てても大丈夫だけどとロカが考えているうちに、紙は床にぺたりと貼り付いてイラストの扉が開き始めた。床に穴が開いた形になり、その扉の先は真っ暗だ。
屈んで扉に顔を近付ける。天井の方で、何やらざわざわする気配があるが、ロカは気にせずに顔を近付けていく。扉の向こうに進むには逆さに覗き込む体勢になってバランスが悪いが、スカートの裾を気にしながら、ロカは戸惑うことなく穴の中に体を突っ込んだ。
体勢が悪くて肩が痛い、目が疲れてる、もう眠い……のに、読み続けちゃうことってあります。




