第64話
「――世界規模の異変って、具体的には何が起きてるんですか?」
メルティの問いに、アルベルトは寝台へ背を預けたまま、表情を引き締めた。
「各地で報告されている現象は、一見ばらばらだ」
「ばらばら?」
「ああ。魔獣の異常な活性化。地脈の乱れ。水源の枯渇。土地によっては、これまで普通に育っていた作物まで実らなくなっている」
シルヴァンが眉を寄せる。
「だが、それらに共通点があるのだな?」
「調査では、そう見られている」
アルベルトは頷いた。
「大地や水を巡っている精霊力――地域によっては魔力流とも呼ばれるものが、各地で不自然に弱まっている」
「精霊力が……」
「完全に消えているわけではない。だが、本来あるはずの流れが細くなったり、逆に一か所へ偏ったりしている」
シルヴァンの表情がさらに険しくなる。
「それなら、植物だけでは済まないな」
「ああ」
アルベルトが低く答える。
「作物が育たない地域が出始めた。湧き水の量が減った土地もある。酒造りに使われてきた水や果実まで、以前と同じ品質を保てなくなっているそうだ」
「……」
メルティの顔から、いつもの笑みが消えた。
「お酒だけじゃないんですね」
「ああ」
「ご飯も」
「そうだ」
「それを作って暮らしてる人たちも……」
アルベルトは静かに頷いた。
「まだ各地で飢饉が起きるほどではない。だが、このまま進めば分からん」
*
「中でも深刻なのが、海の向こうにある新大陸だ」
アルベルトは、用意された地図を広げた。
「ここだ」
大陸西方。
広い海を挟んだ先に、大きな陸地が描かれている。
「交易で有名なんですか?」
「かなりな。香辛料、果実、酒、珍しい食材。いくつもの港を通じて、こちらの大陸にも大量に運ばれている」
「……!」
メルティの目が僅かに動いた。
「特に南部では、他では育たない香辛料が採れる。だが――」
アルベルトが地図の一点を指さす。
「収穫量が急激に落ちている」
「香辛料が……」
「港の一つでは、近くの水源まで弱り始めた。別の地域では果樹が実をつけなくなっている」
「原因は?」
シルヴァンが尋ねる。
「まだ分からない」
アルベルトは首を振った。
「だから私も調査へ向かっていた。その途中で黒雷の風魔竜に襲われ、飛空艇を損傷した」
「では、あの魔竜も異変が原因なのか?」
「可能性は高い。だが、断定はできん」
「……」
シルヴァンが腕を組む。
「厄介だな」
*
メルティは、広げられた地図を見つめていた。
香辛料。
果実。
酒。
きっと、まだ食べたことのない料理がいくつもある。
けれど。
それを作っている人がいる。
畑を育てる人。
酒を造る人。
料理を作り、誰かの前に並べる人。
それが失われようとしている。
「……嫌ですね」
「メルティ?」
「美味しいものがなくなるのも嫌です」
ぎゅっと拳を握る。
「でも、それ以上に」
少しだけ間を置いた。
「今まで普通にあった食卓が、なくなるのは嫌です」
アルベルトが静かに彼女を見る。
シルヴァンも何も言わなかった。
「だから」
メルティが顔を上げる。
「新大陸、行きましょう!」
「……!」
「原因を見つけて、ちゃんと元に戻します」
そして。
「そのあと、美味しいもの全部食べます!」
「……やはり最後はそこなのだな」
アルベルトが苦笑する。
「もちろんです!」
シルヴァンも肩をすくめた。
「まあ、異国の植物や酒に興味がないと言えば嘘になる」
「ですよね!」
「私はお前ほど露骨ではない」
「きゅっ!」
モチまで前脚を上げる。
「モチも行きたいそうです!」
「それは本当に分かっているのか?」
「きゅう!」
「……今回は、分かっている気がするな」
*
「では決まりだ」
アルベルトが言う。
立ち上がろうとしたところで、傷が痛んだのか僅かに顔をしかめた。
「アルベルト様、寝ててください!」
「この程度――」
「寝ててください」
「……はい」
妙に強い声で言われ、アルベルトは素直に背を預けた。
シルヴァンが少しだけ口元を緩める。
「王子も、お前には弱いのだな」
「何か言ったか、そなた」
「いや?」
「……」
アルベルトはシルヴァンを一瞥してから、メルティへ向き直った。
「王都へ連絡を入れる。代わりの飛空艇をこちらへ向かわせよう」
「飛空艇で新大陸まで行けるんですか?」
「ああ。長距離航行用の船ならな」
「おお……!」
「ただし」
「はい?」
「出発は私が歩けるようになってからだ」
「当たり前です!」
「……一緒に来るつもりなんですか?」
シルヴァンが聞く。
「当然だ」
アルベルトは即答した。
「私が持ち込んだ調査だ。それに――」
一瞬、シルヴァンを見る。
「メルティを二人だけで行かせる理由もない」
「……二人だけ?」
「モチもいますよ?」
「そういう意味ではない」
「?」
メルティだけが首を傾げていた。
*
数日後。
アルベルトが自力で歩けるまで回復した頃。
王都から呼び寄せられた長距離航行用の飛空艇が、空中庭園都市へ到着した。
「大きい……!」
メルティが船を見上げる。
前に見た飛空艇より、さらに大きい。
何枚もの帆と魔導翼を持ち、甲板の下には長旅に備えた物資が積み込まれている。
「これなら海を越えられるのか」
シルヴァンも興味深そうに船体を見る。
「ああ」
アルベルトが答える。
「天候に問題がなければ、数日で新大陸へ着く」
「数日……」
メルティが荷物を見る。
「お酒、足りますかね」
「最初に心配するのがそこなのか」
「食料もです!」
「そういう問題でもない」
「きゅっ!」
モチはすでに甲板へ向かって走っていた。
「あ、モチ! 待ってください!」
「お前も行くな!」
シルヴァンの声が響く。
アルベルトはその様子を見ながら、わずかに笑った。
「……賑やかになったものだな」
*
やがて。
「出航!」
船員の声が響いた。
巨大な飛空艇がゆっくりと浮き上がる。
空中庭園の風車が遠ざかり、緑の果樹園が少しずつ小さくなっていった。
メルティは甲板から身を乗り出す。
「また来ます!」
「誰に言っている」
「街にです!」
「届かんだろう」
飛空艇は雲海を越え、西へ進み始めた。
*
旅は数日に及んだ。
朝には雲の上を進み、昼には眼下に広がる大海原を眺める。
夜になると、頭上には地上よりずっと近く感じる星空が広がった。
「飛空艇の旅もいいですね」
甲板の手すりに寄りかかりながら、メルティが言う。
「歩かなくていいからか?」
「それもあります」
「正直だな」
シルヴァンが隣で笑う。
モチは甲板の先で風を受け、白い毛を盛大になびかせていた。
「きゅう!」
「モチ、落ちないでくださいよ!」
「そいつは飛べるだろう」
「あ」
「忘れていたのか?」
「普段ふわふわしてるだけなので……」
「幻獣の扱いが雑だな」
少し離れたところで、アルベルトが二人の会話を聞いていた。
「……」
「アルベルト様?」
「何でもない」
「?」
*
そして数日目の昼。
「陸地だ!」
見張り台から声が上がった。
「――!」
メルティたちが甲板の先へ集まる。
水平線の向こう。
海と空の境目に、細い影が見える。
飛空艇が進むにつれ、それは少しずつ大きくなっていった。
「……あれが」
シルヴァンが目を細める。
新大陸。
海沿いには、これまで見たことのない曲線を描く屋根の建物が並んでいる。
その背後には、鮮やかな色の果樹園。
さらに遠くには、赤茶色の山々。
「わぁ……」
メルティが息を呑む。
海底都市とも。
空中庭園とも。
古代樹海とも違う。
また新しい世界だった。
風向きが変わる。
「……?」
メルティが鼻を動かした。
「なんだ?」
「何か……匂いません?」
シルヴァンも風を吸い込む。
「……香辛料か?」
潮の匂いに混ざって、僅かに刺激的な香りが漂ってくる。
「――!」
メルティの目が輝いた。
「新大陸の匂いです!」
「その表現で合っているのか?」
「分かりません!」
「やはりか」
メルティは手すりから身を乗り出す。
あの美しい大地のどこかで、異変が起きている。
失われかけている畑。
水。
食卓。
そして、まだ出会ったことのない味。
「待っててくださいね」
小さく呟く。
「全部、ちゃんと食べられるようにしますから」
「きゅっ!」
隣でモチが鳴いた。
「……頼もしいんだか、不安なんだか分からんな」
シルヴァンが苦笑する。
アルベルトは、新大陸の景色を見据えながら静かに言った。
「まずは港へ降りる。そこで現地の状況を確認するぞ」
「はい!」
飛空艇は高度を下げ始める。
未知の香りが漂う、新たな大地へ。
メルティたちの旅は、さらに遠くへと続いていく。




