第65話
飛空艇が、ゆっくりと高度を下げていく。
眼下には、独特の曲線を描く屋根が連なる大きな港町。海沿いには大小さまざまな船が並び、その向こうには色鮮やかな布を張った市場がどこまでも広がっていた。
やがて船体が港の発着場へ静かに降り立つ。
「――着きました!」
タラップが下ろされるや否や、メルティは真っ先に地上へ降りた。
「メルティ、待て!」
後ろからアルベルトの声が飛ぶ。
けれどメルティは足を止めるより先に、大きく息を吸い込んでいた。
「……!」
甘い。
辛い。
爽やかで、少し刺激的。
いくつもの香りが乾いた潮風に混ざり、鼻先を一気に通り抜けていく。
「すごい……!」
「きゅっ! きゅうっ!」
肩の上のモチも忙しなく鼻を動かしている。
通りの先には、見たこともない赤や黄色の粉末を山盛りにした露店。乾燥させた果実や香草、大きな木の実、串に刺された肉まで並んでいた。
「新大陸の匂いです!」
「だから、その表現で本当に合っているのか?」
あとから降りてきたシルヴァンが呆れたように言う。
「でも、分かりやすいでしょう?」
「お前にはな」
*
「メルティ」
アルベルトもタラップを下りてきた。
数日前より顔色は戻っているものの、まだ完全に傷が癒えたわけではない。
「勝手に先へ行くな。まずは現地の役人と冒険者ギルドから状況を――」
「早く何か食べに行きましょう!」
「人の話を聞け!」
アルベルトの声が港に響いた。
「だって、ここに来た時からずっといい匂いしてるんですよ?」
「それは私にも分かるが!」
「食事をしながら聞き込みをするのも悪くないだろう」
シルヴァンが横から言う。
アルベルトが眉を寄せる。
「そなたまで何を言っている」
「腹を空かせたメルティに調査をさせる方が効率が悪い」
「……」
「それに酒場なら、商人や船乗りから話も聞ける」
「……」
アルベルトはしばらく黙った。
「……理には適っているのが腹立たしいな」
「何か言ったか?」
「何でもない」
メルティはすでに通りの向こうを見ていた。
「じゃあ酒場ですね!」
「結局最初から決まっていたではないか!」
*
一行が向かったのは、港の商人や船乗りが集まるという大きな酒場だった。
店へ入った瞬間、熱気と香りが押し寄せてくる。
中央には大きな炭火台があり、太い串へ刺された肉の塊が何本も回されていた。表面には赤や黄色の香辛料がたっぷりまぶされ、脂が炭へ落ちるたびに香ばしい煙が立ち上っている。
「……!」
メルティの目が輝く。
「香辛料焼きの肉串と、ここのハーブエールをお願いします!」
「あいよ!」
店主が威勢よく返事をする。
「旅人かい?」
「はい。今日着いたばかりです!」
「なら、最初にそれを頼むのは正解だ。この街の味を知るなら、まずは肉と酒だな」
「楽しみです!」
アルベルトが小さく息を吐く。
「もう完全に観光客だな……」
「調査ですよ?」
「その顔で言われても説得力がない」
*
ほどなくして、大きな肉串が運ばれてきた。
表面はこんがりと焼け、ところどころ赤い香辛料が焦げている。隣には、細かな泡を浮かべた淡い琥珀色のエール。
「いただきます!」
メルティが肉へかぶりつく。
「――んっ!」
最初に来るのは、炭火で焼けた肉の香ばしさ。
噛んだ瞬間に肉汁が広がり、そのすぐあとを追うように、舌へぴりっとした辛さが走った。
「辛い……!」
「大丈夫か?」
「美味しいです!」
「ならいいのか」
シルヴァンも一口。
「……なるほど」
「どうです?」
「辛味だけではないな。少し甘い香りもある」
「何種類も混ぜてるんでしょうね」
「おそらくな」
ハーブエールを一口飲む。
「……これは合う」
シルヴァンが頷いた。
「肉のあとに飲むと、口に残った辛さが少し和らぐ」
「ですよね!」
アルベルトも串を手に取った。
「そこまで言うなら――」
一口。
「……!」
「どうです?」
「……美味い」
素直な言葉が漏れる。
メルティが嬉しそうに笑った。
「でしょう!」
「……」
その笑顔を見たアルベルトの表情が、一瞬だけ柔らかくなる。
「何ですか?」
「いや。何でもない」
*
「きゅう……」
下から声がした。
「あ、モチ」
モチがメルティの膝へ前脚をかけ、じっと肉を見ている。
「これは辛いですよ」
「きゅ……」
「そんな顔しても駄目です」
「店主」
シルヴァンが声をかける。
「香辛料をつけていない肉はあるか?」
「あるよ。焼く前のやつでよければ、少し炙ってやろうか?」
「お願いします!」
メルティが即答した。
しばらくして、小さく切った味つけなしの焼き肉が皿に載ってくる。
「モチ、どうぞ」
「きゅっ!」
ぱくっ。
もぐもぐ。
「きゅう!」
「気に入ったみたいです!」
「こいつは肉なら何でも喜ぶのではないか?」
「そんなことないですよ。たぶん」
「最後の一言で信用が消えたぞ」
その様子を見ていたアルベルトが、そっと手を伸ばす。
「……私からもやってみてもいいか?」
「いいですよ」
メルティから一切れ受け取り、アルベルトがモチの前へ差し出した。
「ほら」
「……」
モチがじっとアルベルトを見る。
「……」
アルベルトも動かない。
やがて。
すんすん。
ぱくっ。
「――!」
「食べましたね!」
「ああ!」
アルベルトの顔が一気に明るくなる。
しかしモチは肉だけ取ると、すぐにメルティの膝へ戻った。
「……」
「一歩前進ですね」
「……そう思うことにする」
シルヴァンが横で小さく笑った。
*
食事も落ち着いた頃。
アルベルトは店主へ向き直った。
「少し聞きたいことがある」
「何だい?」
「この辺りで、最近何か変わったことはないか。作物、水、魔獣――何でもいい」
店主の表情が僅かに曇った。
「……そうだな」
「何かあるんですか?」
メルティも身を乗り出す。
「さっき食った肉に使ってた香辛料があるだろ?」
「はい!」
「あれも、いつまで出せるか分からない」
「え?」
店主はカウンターの奥に並んだ瓶を見る。
「この街の奥地には、大きな香辛料農園がいくつもある。そこで採れたものが港へ運ばれて、大陸中へ出ていくんだ」
「それが?」
「最近、荷が来なくなった」
アルベルトの目が細くなる。
「いつからだ?」
「完全に途絶えたのは、ここ数週間だな。その前から量は減ってたが」
「原因は?」
「分からん」
店主は首を振った。
「商人を何人か向かわせたんだが、農園へ続く山道の途中で引き返してきた」
「何かいたんですか?」
「いや」
店主が眉を寄せる。
「それが妙なんだ」
「妙?」
「あの辺り一帯だけ、植物が枯れ始めてるらしい」
「……」
三人の表情が変わった。
「川の水量も落ちてる。農園の連中から最後に届いた手紙には、『土の匂いまで変わった』って書いてあった」
シルヴァンが腕を組む。
「精霊力の減退……」
「ああ」
アルベルトも頷く。
「聞いていた報告と一致する」
メルティは、自分が食べていた肉串を見る。
今はまだ、香辛料の香りがする。
美味しい。
けれど。
これを作るための畑が、今まさに失われようとしている。
「……行きましょう」
串を皿へ置く。
「香辛料農園へ」
「もちろんだ」
アルベルトが頷く。
「私も行く」
「アルベルト様は――」
「もう十分に動ける」
立ち上がろうとする。
「……っ」
僅かに顔が歪んだ。
「動けてないじゃないですか!」
「これはただの……」
「宿で休んでてください」
「嫌だ!」
「子供ですか!」
シルヴァンが呆れたように二人を見る。
「少なくとも今日は街で情報を集めた方がいい」
「……なぜだ」
「農園へ向かうなら、道の状態も、最後に誰が行ったかも確認すべきだろう」
「……」
「それに」
シルヴァンがアルベルトの脇腹を見る。
「その状態で山道を歩けば、足手まといになるぞ」
「……そなた」
「事実だ」
「……」
アルベルトは悔しそうに黙った。
「じゃあ今日は情報集めですね!」
メルティが明るく言う。
「ついでに、この街の他のお店も――」
「それは調査ではない!」
「聞き込みできますよ!」
「絶対それだけが目的ではないだろう!」
「きゅっ!」
モチまで元気よく鳴く。
店主の笑い声が酒場に響いた。
こうして。
新大陸へ降り立ったメルティたちは、最初の異変――香辛料農園で起きている不可解な枯死現象を追うことになった。




