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ダンジョン攻略に飽きたので、酒場巡り始めました。〜元SSSランク冒険者(24歳・童顔)、美味しいお酒とご飯を求めて無双中〜  作者: カタギリ


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第61話

 果樹園の中を歩き回っているうちに、午後の陽もだいぶ傾いていた。


 枝いっぱいに実るリンゴを眺めたり、風車の下から雲海を覗き込んだり。シルヴァンが果樹の育て方について農園の人と話している間も、モチだけは忙しなく鼻を動かしていた。


「きゅっ」


「どうしました?」


 突然、モチがメルティの袖をくいくいと引っ張る。


 そのままとてとてと歩き出し、果樹園の端へ続く細い道へ入っていった。


「モチ、どこ行くんですか?」


「……また何か見つけたのではないか?」


 シルヴァンの予想は、すぐに当たった。


 道を少し進んだところで、甘く香ばしい匂いが風に乗って流れてくる。


「……!」


 メルティとモチが、ほぼ同時に顔を上げた。


「こっちですね!」


「お前まで同じ反応をするな」


                              *


 辿り着いたのは、果樹園の一角に建つ小さな菓子工房だった。


 木組みの建物の煙突から白い煙が立ち、開いた窓からは焼けたバターとリンゴの甘い香りが漂っている。中へ入れば、大きな石窯の前に焼きたての菓子が並び、薪の爆ぜる音が心地よく響いていた。


「いらっしゃい!」


 工房の主人が笑顔を向ける。


「ちょうど黄金リンゴの菓子が焼けたところだよ」


「黄金リンゴ!」


「きゅっ!」


「……お前たち、本当に似てきたな」


 シルヴァンが呆れたように呟く。


 窓の外には、夕日に照らされた果樹園と風車。その向こうには、橙色に染まり始めた雲海が広がっていた。


「いいところですね……」


 メルティが窓際の席へ向かう。


「シルヴァンさん、食べましょう!」


「言われなくてもそのつもりだ。歩き回って腹も減った」


「おお、積極的!」


「何だその反応は」


                              *


「黄金リンゴの焼きたてパイと、カスタードタルト。それから熟成シードルだ」


「わぁ……!」


 こんがり焼けたパイから、リンゴとバターの香りが立ち上っている。隣のタルトには薄く切った黄金リンゴが重なるように並び、表面には艶のある蜜が塗られていた。


「いただきます!」


 メルティがパイへフォークを入れる。


 さくっ。


 軽い音とともに生地が崩れ、中から熱々のリンゴが現れた。


「……熱っ!」


「慌てるからだ」


「でも、美味しいです!」


 リンゴにはまだ僅かに歯触りが残っていて、甘さの中に爽やかな酸味がある。バターの香ばしい生地と一緒に食べても、果実の味が埋もれない。


 シルヴァンも一口食べ、静かに頷いた。


「これはいいな」


「ですよね!」


「甘いが、重すぎない。香草も少し入っているのか?」


「よく分かりましたね」


 主人が嬉しそうに答える。


「この辺りで採れる香草をほんの少しだけな。黄金リンゴは香りが強いから、それに負けない程度に入れてるんだ」


「なるほど……」


 シルヴァンが、妙に真剣な顔で断面を見る。


「また研究してます?」


「食文化を学んでいる」


「はいはい」


「その言い方をやめろ」


 メルティは笑いながら、今度はタルトへ手を伸ばした。


 フォークを入れると、柔らかなカスタードとリンゴが一緒に切れる。


「んんっ……こっちは濃厚です」


「だが、果実の酸味があるから食べやすいな」


「シードルも飲んでみましょう!」


 今度のシードルは、昼に飲んだ無濾過のものより色が少し濃い。


 二人で一口。


「……あ」


 メルティが目を丸くした。


「昼のと全然違います」


「ああ」


 シルヴァンもグラスを眺める。


「泡は穏やかだが、香りが深い。リンゴというより、蜂蜜や木のような香りもするな」


「パイの後だと、甘さより酸味を感じます!」


「同じ果実から造っても、こんなに変わるのか……」


 昼に飲んだ瑞々しいシードル。


 今飲んでいる、時間をかけて寝かせたシードル。


 同じ街にいながら、まったく違う味がある。


「お酒って面白いですね」


「……それは認める」


「シルヴァンさん、完全にこっち側ですね」


「どっち側だ」


                              *


「きゅう……」


 テーブルの下から、何とも切なそうな声がした。


「あ」


 モチが二人を見上げている。


「忘れてたわけじゃないですよ!」


「本当か?」


「本当です!」


 工房の主人が笑いながら、小さな皿を持ってきた。


「そっちのおチビさんには、これでどうだ?」


 果実を練り込んだ、小さなパンだった。


「ありがとうございます!」


 メルティが少しちぎって差し出す。


「モチ、どうぞ」


 ぱくっ。


「……」


 もぐもぐ。


「……きゅ!」


 尻尾が勢いよく左右へ揺れた。


「美味しいみたいです!」


「こいつは本当に分かりやすいな」


 シルヴァンの口元も自然と緩む。


 暖かな工房。


 窓の外に広がる雲海。


 焼きたての菓子と、熟成されたシードル。


 三人は日が傾くまで、のんびりとその時間を楽しんだ。


                              *


 工房を出る頃には、空中庭園は夕暮れに包まれていた。


 風車の長い影が果樹園を横切り、その向こうには橙色に染まった雲海が果てしなく広がっている。


「綺麗ですね……」


 メルティが歩きながら呟く。


「ああ」


 シルヴァンも静かに景色を眺めていた。


「海底都市とは、またまったく違う」


「どっちが好きです?」


「選べと言われても困るな」


「ですよね!」


 モチはメルティの肩の上で丸くなり、夕方の風を気持ちよさそうに受けている。


「この街、本当にいいところですね」


「そうだな」


「ご飯も美味しいし、お酒も美味しいし」


「結局そこなのだな」


「景色もちゃんと好きですよ!」


 メルティが笑う。


 シルヴァンも、小さく笑った。


 穏やかな風が、果樹園の葉を揺らしていた。


 ――その時だった。


「……きゅ?」


 モチの耳が動く。


「どうしました?」


 返事はない。


 モチが、ゆっくりと顔を上げる。


 そして。


「――きゅっ!」


 突然、メルティの肩の上で立ち上がった。


「モチ?」


 全身の毛が逆立っている。


 さっきまでの眠そうな顔は消え、つぶらな瞳が一点を見つめていた。


 雲海の向こう。


 遠く離れた雲の切れ間に、暗い影がある。


「……」


 モチの喉から、低い音が漏れた。


「ルルル……」


「そんな声、出せたんですね……」


 メルティの表情から笑みが消える。


 シルヴァンも、すぐにモチの視線を追った。


「……何かいるのか?」


 その瞬間。


 風が、止まった。


「――?」


 風車の羽根が、ゆっくりと動きを鈍らせていく。


 果樹の葉も揺れない。


 先ほどまで絶えず吹いていた風が、まるで嘘のように消えていた。


「……おかしい」


 シルヴァンが呟く。


 空中庭園を支えるように吹き続けていた風。


 それが、ない。


 そして次の瞬間。


 ひやり。


 冷たい空気が、メルティの頬を撫でた。


「……っ」


 さっきまでの乾いた高原の風ではない。


 冷たく、湿っている。


 どこか重い。


 モチが再び唸った。


「ルルルル……」


 シルヴァンの表情が変わる。


 迷いなく、腰の剣へ手を伸ばした。


「メルティ」


「はい」


「……風が変わった」


 遠くの暗い影が、先ほどより僅かに大きくなっているように見えた。


 橙色に染まっていた雲海の端が、ゆっくりと黒く塗り替えられていく。


 三人は言葉を失ったまま、その方角を見つめる。


 穏やかだった空中庭園へ。


 何かが、近づいていた。


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