↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン攻略に飽きたので、酒場巡り始めました。〜元SSSランク冒険者(24歳・童顔)、美味しいお酒とご飯を求めて無双中〜  作者: カタギリ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/68

第56話

 泡導船が、巨大な泡結界の膜を通り抜けた。


 ――ぽこん。


「……!」


 その瞬間、視界いっぱいに、これまで見たこともない光景が広がった。


 結界の内側には水がなく、地上と同じように人々が歩いている。けれど頭上を見上げれば、本来空があるはずの場所を、透き通った海が覆っていた。


 巨大な魚の影がゆっくりと通り過ぎ、そのさらに上を、何十匹もの発光クラゲが淡い光を放ちながら漂っている。


「……こんな場所が、この世にあるのか」


 シルヴァンが呆然と頭上を見上げた。


 古代樹海では木々の枝葉が空を覆っていた。


 ここでは、その代わりに海がある。


「すごいですよね!」


「ああ……」


 街並みもまた、地上とはまるで違っていた。


 建物には発光珊瑚や貝殻が使われ、淡い青や紫、緑の光が通りを照らしている。道端には見たこともない魚介を並べた店があり、海底都市の住人たちが賑やかに行き交っていた。


「……」


 シルヴァンは、完全に目を奪われている。


 メルティはそんな横顔を見て、少し笑った。


「シルヴァンさん」


「なんだ?」


「酒場、探しましょう!」


「……もう少し景色を見るという選択肢はないのか?」


「酒場からでも見られますよ!」


「そういう問題ではないと思うのだが……」


 そう言いながらも、シルヴァンは素直にメルティのあとをついていった。


                              *


 二人が見つけたのは、発光珊瑚が壁一面を淡く照らす小さな酒場だった。


 店内の大きな窓の向こうでは、魚の群れがゆっくりと泳いでいる。


「深海泡酒を二つ。それから、深海魚のカルパッチョと、深海エビのフリットをお願いします!」


「あいよ。初めて来たなら、いい選び方だ」


 店主が笑い、二つの細長いグラスを置いた。


 淡い黄金色の酒が注がれていく。


「……」


 シルヴァンが興味深そうに覗き込む。


 グラスの底から、細かな泡が絶えず立ち昇っていた。


「これが、深海泡酒か」


「飲んでみましょう!」


 二人でグラスを持ち上げる。


「いただきます!」


 ひとくち。


「……!」


 メルティの舌の上で、細かな泡がぱちぱちと弾けた。


 冷たい。


 口当たりは軽いのに、果実のようなほのかな酸味と、海辺の酒らしいわずかな塩気がある。


「んんっ……!」


 隣ではシルヴァンも目を見開いていた。


「……これは面白いな」


「ですよね!」


「さっき船で飲んだものより、泡がずっと細かい」


「こっちが本場ですもんね」


 シルヴァンはもう一度、慎重に口へ含む。


「舌の上で消えるのに、香りだけは残る……」


「シルヴァンさん、どんどんお酒の感想が上手になってません?」


「お前といるせいだ」


「いいことですね!」


「……否定はしない」


 そこへ料理が運ばれてきた。


「お待ちどう」


 まずは深海魚のカルパッチョ。


 透き通るような白身が薄く並べられ、その上には柑橘と香草を使ったソースがかけられている。


「いただきます」


 メルティがひと切れ口へ運ぶ。


「んんっ!」


 身は柔らかいのに、舌の上にはしっかりとした脂の甘みが残る。そこへ柑橘の酸味が加わり、後味は驚くほど軽かった。


「これ、泡酒に合います!」


「確かに」


 シルヴァンもグラスを傾ける。


「魚の脂が残ったあとに、この泡が来ると口の中が軽くなるな」


「でしょう?」


「……なるほど」


 何やら真剣に頷いている。


「研究みたいになってますよ」


「学ぶために旅へ出たのだから当然だ」


「食べ物の研究も含まれてたんですね」


「今、含まれた」


「今なんですね」


                              *


 続いて運ばれてきたのは、深海エビのフリットだった。


 薄い衣をまとった大ぶりのエビが、まだぱちぱちと小さな音を立てている。


「熱そうですね……」


「なら少し待て」


「でも揚げたてが一番美味しいので」


「聞く意味がないな」


 メルティは一つ手に取った。


「いただきます!」


 さくっ。


「あつっ!」


「だから言っただろう!」


「でも、美味しいです!」


 軽い衣の中から、弾力のある身が現れる。噛むほどに海老の甘みが広がり、塩と香草だけの簡単な味つけが、それを邪魔しない。


 シルヴァンも一つ取った。


「……これは酒が進むな」


「おっ」


「何だ」


「シルヴァンさんの口から『酒が進む』が出ました」


「……そんなに珍しいことか?」


「ちょっと嬉しいです」


「なぜお前が喜ぶ」


 そう言いながら、シルヴァンは自分のグラスを空けた。


「もう一杯頼む」


「――!」


「何だその顔は」


「いえ、成長したなぁって」


「私は子供ではない!」


                              *


 最初のうちは、そんな会話だった。


 だが。


 三杯目を飲み終えたあたりから、メルティはあることに気づいた。


「……シルヴァンさん?」


「なんだ」


 返事は普通。


 姿勢もいつも通り。


 けれど。


「耳、赤いですよ」


「……エルフの耳は、こういう色だ」


「さっきまで白かったですよ?」


「気のせいだ」


「そうですか?」


「ああ」


 シルヴァンは真顔で四杯目へ手を伸ばす。


 メルティは、その手をそっと止めた。


「一回、お水飲みましょう」


「なぜだ」


「酔ってません?」


「酔っていない」


「酔ってる人が言うやつです」


「私は冷静だ」


「じゃあ、お水飲めますよね?」


「……」


 シルヴァンはしばらく考えた。


「理屈が通っている」


「でしょう?」


 素直に水を飲む。


 やはり酔っている。


                              *


「……メルティ」


「はい?」


 しばらくして、シルヴァンがぽつりと名前を呼んだ。


 普段より少しだけ、声が柔らかい。


「私は、旅に出てよかったと思っている」


「急ですね」


「聞け」


「はい」


「森にいた頃の私は、森の中にあるものだけで、世界を知ったつもりになっていた」


 シルヴァンはグラスを眺めた。


「清らかな水。古い木々。里に伝わる教え。それらが間違っているとは思わない」


「はい」


「だが、それだけではなかった」


 窓の向こう。


 漆黒の海の中を、青白い魚がゆっくりと泳いでいく。


「今日だけでも、初めて海を見た。水の上に造られた街を見た。海の底にも街があると知った」


「……」


「それに、この酒も」


 グラスを僅かに持ち上げる。


「森にいたままなら、一生知らなかっただろう」


 メルティは黙って聞いていた。


「だから――」


 シルヴァンがメルティを見る。


「お前について来て、よかった」


「……!」


 あまりにも真っ直ぐ言われ、今度はメルティが少し驚いた。


「ありがとうございます」


「ああ」


「……シルヴァンさん、酔うと素直になるんですね」


「私はいつも素直だ」


「それはどうでしょう」


「何だと?」


 メルティは笑う。


「普段だったら、絶対そんなこと言わないじゃないですか」


「言う」


「じゃあ明日、同じこと言ってください」


「もちろんだ」


「覚えてたら聞きますね」


「……覚えているに決まっている」


 少し間を置いて。


「たぶん」


「シルヴァンさんまで『たぶん』使い始めた!」


 メルティが吹き出した。


                              *


「それにな」


 まだ話は終わっていなかった。


「はいはい」


「私は、お前を少し誤解していた」


「誤解?」


「最初は、ただ酒が飲みたいだけの変わった人間だと思っていた」


「ひどいですね」


「今も酒が飲みたい変わった人間だとは思っている」


「もっとひどくなりました!」


「だが」


 シルヴァンは至って真面目だった。


「お前といると、美味いものが増える」


「……?」


「同じものを見ても、お前は『美味しそう』と言う。同じ場所へ来ても、まず『何を食べよう』と考える」


「はい」


「最初は呆れた」


「はい……」


「だが、それも一つの世界の見方なのだと、今は思っている」


 メルティが目を瞬く。


「食べることや、飲むことを楽しみにしていれば、知らない場所へ行く理由になる」


「……」


「私は、その理由が結構好きだ」


 シルヴァンは、ほんの少し笑った。


「だから、これからも色々見せてくれ」


「――」


 メルティの顔にも笑みが広がった。


「もちろんです!」


「うむ」


「じゃあ次のお店も探しましょう!」


「……今からか?」


「いっぱいありますよ!」


「待て」


「深海魚の煮込みとかも食べたいです!」


「待て、メルティ」


「はい?」


 シルヴァンが真剣な顔で言った。


「……少し休ませてくれ」


「やっぱり酔ってるじゃないですか!」


「これは……海底の気圧のせいだ」


「結界の中ですよ」


「……」


「お水、もう一杯飲みましょうね」


「……頼む」


 メルティは笑いながら水を注いだ。


                              *


 発光珊瑚の淡い光。


 窓の向こうを漂う魚たち。


 テーブルには、食べかけのフリットと二人分のグラス。


 シルヴァンは水を飲みながら、先ほどより少し静かになっていた。


「メルティ」


「はい?」


「……この旅、悪くないな」


「でしょう?」


「ああ」


 メルティは嬉しそうに笑い、残っていたフリットを一つ口へ放り込んだ。


 深い海の底。


 地上では決して見ることのできない幻想的な街で、二人は酒と料理を囲みながら、旅を始めてから初めて、ゆっくりと互いのことを話した。


 そしてメルティは知った。


 凛として、少し堅くて、何かと小言の多いエルフの旅仲間は――。


 どうやら、酒にはあまり強くないらしい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。