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ダンジョン攻略に飽きたので、酒場巡り始めました。〜元SSSランク冒険者(24歳・童顔)、美味しいお酒とご飯を求めて無双中〜  作者: カタギリ


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第55話

 高山地帯を抜け、長い下り坂を歩いていた二人の視界に、これまでとはまったく異なる景色が飛び込んできた。


「――あれは」


 眼下いっぱいに広がっているのは、抜けるように蒼い海。


 そのほとりには、白亜の建物が幾重にも立ち並び、街の中を無数の運河が縫うように走っている。太陽の光を受けた水面は細かくきらめき、街全体がまるで水の上に浮かんでいるようだった。


「水上都市――ヴェネ=マリス」


 メルティが地図を確認しながら呟く。


「ここですね」


「……」


 返事がない。


 メルティが隣を見ると、シルヴァンは完全に足を止めていた。


「シルヴァンさん?」


「……これが、海か」


「え?」


「見るのは初めてだ」


「――本当ですか!?」


 今度はメルティが驚く番だった。


 シルヴァンは眼下に広がる蒼を、瞬きも忘れたように見つめている。


「森にも湖や川はある。だが……」


 どこまで見ても終わらない水。


 潮風に混ざる塩の匂い。


 遠くを進む帆船。


 どれも、古代樹海の中だけでは知ることのできなかった景色だった。


「こんな世界が、本当にあったんだな……」


 その声には、素直な驚きが滲んでいた。


 メルティは少しだけ笑う。


「まだまだいっぱいありますよ」


「……そうなのか?」


「たぶん!」


「そこは言い切ってくれ」


「私も全部見たわけじゃないですから」


 メルティは楽しそうに坂道を下り始める。


「だから旅してるんですよ」


「……なるほど」


 シルヴァンも、もう一度海を見た。


 そして今度は、自分から歩き出した。


                              *


 ヴェネ=マリスの水上市場は、昼前から大勢の人で賑わっていた。


 石造りの通路の両脇には小舟が並び、それ自体が露店になっている。魚介類、果物、香辛料、色鮮やかな瓶詰め――水の上を行き交う声と匂いに、シルヴァンは忙しなく視線を動かしていた。


「……店が船の上にある」


「面白いですよね」


「落ちないのか?」


「たぶん慣れてるんですよ」


「また『たぶん』か」


 その時。


「大エビの香草焼きだよ! 焼きたてだ!」


「――!」


 メルティの足が止まった。


「シルヴァンさん」


「言わなくていい」


「え?」


「その顔で分かる」


 メルティはすでに炭火へ視線を釘づけにしていた。


「二本ください!」


「あいよ!」


 渡された串には、大ぶりのエビが殻ごと香ばしく焼かれている。表面には刻んだ香草と塩が振られ、炭火の匂いと一緒に潮の香りが漂った。


「いただきます!」


 殻を外し、身へかぶりつく。


「んんっ!」


 弾力のある身から、海の甘みが広がる。香草の爽やかさと炭火の香ばしさもよく合った。


「美味しいです!」


 メルティはもう一本をシルヴァンへ差し出す。


「どうぞ」


「……私は別に」


「さっきから見てましたよね?」


「観察していただけだ」


「じゃあ観察しながら食べてください」


「どういう理屈だ」


 そう言いつつも、シルヴァンは串を受け取った。


 一口。


「……」


「どうです?」


「……うまい」


「素直になりましたね」


「お前と旅をしていると、抵抗するだけ無駄だと分かってきた」


「いいことです!」


「本当にそうか?」


 メルティは笑いながら、次の店へ視線を向けていた。


                              *


 夕方。


 二人は運河沿いの小さな酒場へ入った。


 開け放たれた窓から潮風が入り、すぐ下をゴンドラがゆっくりと通り過ぎていく。メルティとシルヴァンは、地元の白身魚を使った軽い料理と、冷たい酒を楽しんでいた。


「外の世界というのは、本当に食べるものまで違うのだな」


 シルヴァンが杯を眺めながら呟く。


「でしょう?」


「里では、これほど魚を食べることもなかった」


「海の近くだと魚介がいっぱいありますからね」


 近くの席にいた漁師が、その会話を聞いて笑った。


「兄ちゃん、海は初めてか?」


「……兄ちゃん?」


 シルヴァンの眉が動く。


「まあまあ」


 メルティが笑いを堪える。


「ああ。森育ちなものでな」


「そりゃ面白い! なら、もっとすげぇもんを見ていくといい」


「すごいもの?」


 漁師が杯を傾ける。


「この海の底には、街がある」


「――海の底?」


 シルヴァンが聞き返す。


 今度はメルティまで身を乗り出した。


「海底都市ですか?」


「ああ。古代魔導の泡結界に守られた街だ。俺たちみたいな漁師が気軽に行く場所じゃないが、今でも交易は続いてる」


「交易?」


「たまに海底都市から珍しい魚や酒が上がってくるんだよ」


 メルティの表情が変わった。


「……酒?」


「そこに反応するのか」


 シルヴァンが呆れる。


 漁師は豪快に笑った。


「『深海泡酒』って聞いたことないか? 深海の低い温度と圧力を利用して寝かせる、ちょいと変わった発泡酒だ」


「深海で熟成……」


「それに、地上じゃまず見ねぇ魚を使った料理もあるらしい」


「……」


 メルティは黙った。


「メルティ?」


 シルヴァンが警戒するように見る。


 そして。


「行きましょう!」


「やはりそうなるのか!」


「だって、海底ですよ!? 深海のお酒ですよ!?」


「分かった。落ち着け」


「シルヴァンさんも見てみたいですよね?」


「……」


 返事が止まる。


 メルティがにやりとする。


「見たいんですね?」


「……興味はある」


「じゃあ決まりです!」


「最初から私の意見など必要なかったのではないか?」


「そんなことないですよ!」


「今の間は何だ」


 漁師たちの笑い声が酒場に響いた。


                              *


「運がいいな」


 酒場の主人から聞いた話によれば、翌朝、海底都市へ向かう小型の交易船が一本だけ出るらしい。


「普段は商人か関係者くらいしか乗らんが、席が空いてりゃ旅人も乗せてもらえる」


「行きます!」


「早いな!」


 翌朝。


 二人は港に停泊していた、不思議な形の船の前に立っていた。


「これが……泡導船?」


 船体の周囲には透明な魔導膜が揺らめき、大きな泡が船全体を包んでいるように見える。


「この結界で海水と圧力を防ぐらしいですよ」


「よく分からん技術だな」


「乗れば分かります!」


「お前は本当に迷いがないな……」


 二人は船へ乗り込んだ。


                              *


 泡導船が、ゆっくりと海へ沈んでいく。


「……!」


 窓の外を見ていたシルヴァンが、小さく息を呑んだ。


 最初は明るい水色だった。


 陽光が水面から降り注ぎ、魚の群れが船の周囲を横切っていく。


 さらに沈む。


 水色は青へ。


 青は深い藍へ。


 徐々に地上の光が遠ざかり、代わりに暗い海の中で光る小さな生き物が見え始めた。


「……美しいな」


 シルヴァンは窓の外から目を離さなかった。


「森とは、全然違いますか?」


「ああ」


 しばらくして、ぽつりと続ける。


「だが、不思議だ」


「何がです?」


「まったく違うのに……どこか似ている」


「似てる?」


「暗い場所でしか生きられないもの。互いに身を隠しながら暮らす生き物。光を求めて伸びるもの」


 窓の外では、淡く光る魚が群れを作って通り過ぎていった。


「森にも、ああいう生き物はいる」


「なるほど……」


 メルティも窓へ顔を近づける。


「シルヴァンさんと一緒だと、見え方がちょっと変わりますね」


「そうか?」


「はい」


 その言葉に、シルヴァンはほんの少しだけ嬉しそうに目を細めた。


                              *


 航行の途中、船員が簡単な軽食を運んできた。


「海底都市までまだ時間があるからな。よかったらどうぞ」


 出されたのは、白身魚を香草とともにオイルで蒸したものと、この地方で造られた微発泡の白酒だった。


「ありがとうございます!」


「また飲むのか」


「少しだけです」


「その言葉は信用していいのか?」


「……たぶん」


「信用できん」


 二人は杯を合わせる。


 メルティは白身魚を一口。


「んんっ」


 柔らかな身にオイルと香草の風味が馴染んでいる。


 そのあとに、よく冷えた酒を少し。


 細かな泡が舌の上で弾けた。


「……合いますね」


 隣を見る。


 シルヴァンも杯を口にしたところだった。


「――!」


 長い耳がぴくりと動く。


「何だ、これは……」


「発泡酒ですよ」


「口の中で弾けるぞ」


「そういうお酒です」


「酒が……弾ける……」


 初めて遭遇したものを見る顔で、シルヴァンは杯を眺めている。


「面白いでしょう?」


「ああ」


 もう一口。


「……これは、かなり好きだ」


「おお!」


「なぜお前が喜ぶ」


「仲間が増えた感じがして」


「何の仲間だ」


「お酒好きの」


「勝手に分類するな」


 そう言いながらも、シルヴァンはもう一度杯へ口をつけていた。


                              *


 やがて、外の光はほとんど消えた。


 窓の向こうに広がるのは、深い深い闇。


 時折、発光する魚が通り過ぎる以外、何も見えない。


「……」


 メルティとシルヴァンは、自然と窓の外を見つめていた。


 その時。


「あれは……?」


 シルヴァンが立ち上がる。


 闇の奥。


 小さな光が見える。


 最初は星のような一点だった。


 けれど船が近づくにつれ、その光はどんどん大きくなっていく。


「……!」


 巨大な透明の泡。


 その内側に、街があった。


 色とりどりの発光珊瑚が道を照らし、幾重にも重なる建物の窓から暖かな光が漏れている。頭上には、巨大な魚の影がゆっくりと通り過ぎ、そのさらに向こうには漆黒の海が広がっていた。


「これが……」


 シルヴァンが完全に言葉を失う。


「海底都市……」


「わぁ……」


 メルティも窓へ手をついた。


 今まで見た街とは、まるで違う。


 空の代わりに海があり。


 鳥の代わりに魚が泳ぎ。


 太陽の代わりに珊瑚や魔法の光が街を照らしている。


 二人はしばらく、何も言わずその景色を眺めた。


 やがてメルティが振り返る。


「シルヴァンさん」


「……なんだ」


 まだ海底都市から目を離せていない。


「酒場、どこでしょうね?」


「――お前はこの景色を見て最初にそれなのか!?」


「だって、深海泡酒!」


「少しくらい余韻に浸れ!」


「飲みながら浸りましょう!」


「……」


 シルヴァンはしばらく黙ったあと、諦めたように息を吐いた。


「……まあ、それも悪くないか」


「ですよね!」


 泡導船は、ゆっくりと海底都市へ近づいていく。


 メルティとシルヴァン、二人になって初めて訪れる新しい街。


 その海の底で、またどんな味と出会うのか。


 メルティは期待に目を輝かせながら、幻想的な街並みを見つめていた。


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