第54話
「――ギルド長! また緊急依頼です!」
辺境の港町にある冒険者ギルド。
その執務室へ、受付職員が悲鳴のような声とともに飛び込んできた。
「もう勘弁してくれ……!」
ギルド長は、書類の山に埋もれた机へ突っ伏した。
通常の討伐や護衛依頼なら、まだ回っている。
問題は――その上だ。
机の一角には、赤い印の押された高難度依頼書ばかりが、日に日に積み上がっていた。
「今度は何だ……」
「北方岩礁地帯です。古代竜の群れが航路付近まで降りてきています」
「昨日、討伐隊を出したばかりだろう!」
「撤退しました! 三名重傷です!」
「……」
ギルド長は、ゆっくりと額を机へ押しつけた。
「……メルティ」
その名前が、自然と口から漏れた。
*
メルティがこの港町を離れてから、しばらく経つ。
『ちょっと、美味しいお酒とご飯を探しに行ってきますね』
そんな軽い調子で告げ、そのまま旅へ出た。
冒険者を辞めたわけでもない。
ギルドと揉めたわけでもない。
ただ、行きたい場所へ行っただけだ。
だから最初のうちは、誰も大して気にしていなかった。
『そのうち帰ってくるだろう』
皆、そう思っていた。
だが。
「……なんで、こんなことになってるんだ」
ギルド長は、震える手で報告書をめくった。
『北方岩礁地帯――古代竜複数出現。討伐隊撤退』
『東部街道――大型魔獣の出没により、一部通行停止』
『沖合海底鉱脈――地脈異常を確認。専門調査隊を派遣予定』
『旧採掘区――危険指定魔物の増加により、立入禁止区域を拡大』
どれも、一件一件なら珍しい話ではない。
問題なのは――。
「これ……今まで誰が処理してたんだ?」
若い職員が呆然と呟く。
「……メルティだよ」
古参の受付職員が答えた。
「え?」
「全部じゃない。でも、こういう面倒な依頼が出ると、あの子……よく言ってたでしょ」
少しだけ声色を真似る。
『あ、それなら近く通るので、ついでに見てきますね』
「……」
「で、次の日には終わってた」
執務室が静まり返った。
「待て」
ギルド長が顔を上げる。
「俺たちは……それを、普通だと思ってたのか?」
誰も答えられなかった。
*
ギルドの受付では、今日も冒険者たちが行き交っていた。
その片隅で、古参の受付職員が遠い目をしている。
「私……あの子が初めてここに来た時、迷子だと思ったんですよね」
「ああ」
近くにいた年配の冒険者が苦笑する。
「波止場亭の親父も、最初は『お嬢ちゃん、ここは酒場だぞ』って言ったらしいな」
「ギルドカードを見せられて、みんな固まりましたよね」
「SSSランク。それで二十四歳」
「どう見ても、そんなふうに見えなかったですけど……」
二人は、しばらく黙った。
「でもさ」
冒険者がぽつりと言う。
「あいつ、いつも笑ってたよな」
「……はい」
「面倒な依頼頼んでも、『分かりました』って」
「……」
「だから俺たちも、平気なんだと思ってた」
受付職員は、何も言えなかった。
強いから。
簡単に片づけるから。
嫌そうな顔をしないから。
いつの間にか、頼むことそのものに疑問を持たなくなっていた。
*
その日の午後。
執務室の扉が開き、傷だらけの冒険者たちが戻ってきた。
「戻ったぞ……」
「大丈夫ですか!?」
近隣地域から応援に来ていた、SSランクパーティだった。
鎧には爪痕が残り、盾は半分近く砕けている。
「北方の古代竜は?」
ギルド長が尋ねる。
リーダーは無言で椅子へ腰を下ろした。
「……無理だ」
「何?」
「俺たちだけじゃ押し切れん。一頭ならまだ戦える。だが、あれだけの数を相手にしながら、周囲の船まで守れと言われたら……」
悔しそうに拳を握る。
「次は、もっと人数を揃える必要がある」
「……そうか」
若い剣士が、ふと思い出したように口を開いた。
「本当に……メルティって奴は、こういうのを一人でやってたのか?」
「……ああ」
「一人で?」
「ああ」
「……冗談だろ」
剣士が乾いた笑いを漏らす。
「俺たち、これでもSSランクだぞ」
「知ってるよ」
「じゃあ、あいつは一体――」
「それを」
ギルド長が遮った。
「俺たちは、ちゃんと考えたことがなかったんだ」
部屋が静かになる。
ギルド長は積み上がった依頼書へ目を向けた。
「強いから任せた」
一枚取る。
「終わったから、また任せた」
さらに一枚。
「次も終わったから、また次を頼んだ」
「……」
「いつからだ?」
その声が低くなる。
「いつから俺たちは、一人の冒険者が災害級の依頼を片づけ続けることを、当然だと思うようになった?」
誰も答えなかった。
「……馬鹿だったな」
ギルド長は椅子へ深く腰を下ろした。
「メルティが異常に強かったから、このギルドが強かったように見えていただけだ」
拳を握る。
「本当は、あの子一人に寄りかかってただけじゃないか」
*
夕方。
ギルド長は、本部へ送る書類を書きながら深く息を吐いた。
「高難度依頼は近隣支部へ分散。古代竜については、本部に増援を正式要請する」
「はい」
「地脈異常は専門部隊へ回せ。冒険者だけでどうにかしようとするな」
「分かりました」
職員たちが慌ただしく動き始める。
ギルド長は少し迷ったあと、もう一枚の書類を手に取った。
「それから――メルティの所在も確認してくれ」
「捜索隊を出しますか?」
「いや」
首を横に振る。
「連れ戻すためじゃない」
「……?」
「本人が旅をしたくて旅をしてるなら、それを邪魔する権利は俺たちにはない」
少し間を置く。
「ただ――」
山積みの依頼書を見る。
「もし近くを通ることがあれば、一度顔を見せてくれと伝えてくれ」
「それだけで?」
「ああ」
ギルド長は苦笑する。
「……それと」
「はい」
「今度会ったら、ちゃんと礼を言いたい」
「礼?」
「あの子が今まで、どれだけこの辺りを守ってくれてたのか」
今になって、ようやく分かった。
「俺たちは一度も、ちゃんと分かってなかったからな」
*
――一方、その頃。
辺境の港町から遥か遠く離れた、緑深い山道。
「んー……やっぱり旅は最高ですね」
メルティは上機嫌で歩いていた。
その隣には、古代樹海を出たばかりのシルヴァン。
そしてメルティの手には――。
「メルティ」
「はい?」
「なぜ歩きながら酒を飲んでいる」
小さな酒瓶が握られていた。
「エルダームーンですよ?」
「見れば分かる」
「こんなに美味しいんだから、少しずつ味わいたいじゃないですか」
「座って飲め」
「歩いてても美味しいですよ?」
「そういう問題ではない」
シルヴァンがため息をつく。
「転んだらどうする」
「私、転びませんよ?」
「お前自身より、その酒瓶の方が心配だ」
「――!」
メルティがぴたりと止まった。
「確かに」
「そこには納得するのか」
メルティは慌てて瓶を荷物へしまった。
「割れたら大変です」
「最初からそうしろ」
「シルヴァンさん、ありがとうございます」
「礼を言われることなのか……?」
メルティは何事もなかったかのように再び歩き始める。
「ところで、次は何を食べましょうか」
「さっき朝食を食べたばかりだろう」
「次の予定は大事ですよ」
「……先が思いやられるな」
そう言いながらも。
シルヴァンの口元には、僅かに笑みが浮かんでいた。
遠く離れた港町で、自分を巡ってそんな話が交わされていることなど、メルティはまだ知らない。
ただ新しい旅仲間とともに。
次の美味しいものを目指して、のんびりと街道を歩いていた。




