第52話
「まずは、材料集めからです!」
メルティの声に、集まっていたエルフたちが顔を見合わせた。
「森の腐葉土と、朽ちた落ち葉。それから、木の実の殻とか、使い終わった薬草も欲しいです」
「待て」
隣にいたシルヴァンが口を挟む。
「昨日も言ったが、何でも混ぜればいいというものではないぞ」
「分かってますよ」
「本当か?」
「たぶん!」
「やはり不安だ!」
学者たちの間から、小さな笑い声が漏れた。
メルティは気にせず、白髪の学者へ向き直る。
「この森の土に多く含まれていて、月光樹の周りには少ないものって調べられますか?」
「比較するということか?」
「はい。普通の樹が元気に育ってる土と、月光樹の土を比べれば、足りないものが少し分かるかもしれません」
「なるほど……」
学者の表情が変わった。
「それなら我々の領分だ。すぐに調べよう」
「森のことなら私も手伝う」
シルヴァンも立ち上がった。
「昔使われていた腐葉土を作る場所なら、まだ残っているかもしれない」
「本当ですか?」
「ああ。祖父に連れて行かれた記憶がある」
「じゃあ、そこからですね!」
*
それからしばらく、里のエルフたちは総出で森を歩き回った。
長い年月をかけて落ち葉が朽ちた黒い腐葉土。細かく砕かれた木の実の殻。薬草を使ったあとに残る茎や葉。さらに学者たちは、周囲の土や石を調べ、月光樹の周辺では特に少なくなっていた成分を含む鉱石まで見つけ出した。
「これだけ違っていたとは……」
白髪の学者が、二つの土を見比べて呟く。
「月光樹の土は魔力そのものは豊富だ。だが、森の土に含まれる細かな養分が、驚くほど少ない」
「やっぱり、ご飯が足りなかったんですね」
「……お前は最後までその表現なのだな」
シルヴァンが呆れたように言う。
「分かりやすいじゃないですか」
「否定はせんが」
三人は集めた材料を月光樹の近くへ運んだ。
腐葉土を中心に、細かくした落ち葉や木の実の殻を混ぜる。鉱石もそのまま入れるのではなく、学者たちが量を測り、ごく少量だけ粉にして加えていった。
「これくらいでしょうか?」
「待て。そちらは少し多い」
「あ、本当ですか?」
「だから私を呼んだのだろう」
「助かります!」
「……まったく」
そう言いながらも、シルヴァンの口元は僅かに緩んでいた。
最後に、森の湧き水を少しずつ加えて混ぜる。
以前のような、清められすぎた聖水ではない。
落ち葉や土の間を通り、森の中を巡ってきた水だった。
メルティは出来上がった土を両手ですくう。
「……いい感じです」
黒く、しっとりとしている。
森の土と同じ、湿った葉と木の匂いがした。
「名前はどうします?」
「名前?」
「特製魔法肥料とか」
「魔法は使っていないだろう」
「じゃあ、特製月光樹ごはん」
「却下だ」
「えー」
*
「では、本当にここだけでいいのだな?」
月光樹の根元で、学者が確認する。
「はい」
メルティは頷いた。
選んだのは、大樹から伸びる根のほんの一部分だった。
「最初から全部に入れて、もし間違ってたら大変ですから」
「……意外と慎重なのだな」
シルヴァンが言う。
「意外とはなんですか」
「そのままの意味だ」
「むぅ」
言い返しながらも、メルティは土を掘り返し、作った腐葉土を少しずつ混ぜていった。
その上から、水を与える。
「……」
全員が月光樹を見つめた。
何も起きない。
「……」
さらに待つ。
「……何も起きませんね」
「当たり前だ!」
シルヴァンが即座に突っ込んだ。
「木だぞ!? 料理のように火を入れたら完成するものではない!」
「ちょっとくらい変わるかなって……」
「だから待てと言っただろう!」
学者たちがまた笑う。
けれど、その日の夕方。
「――シルヴァンさん!」
メルティの声に呼ばれ、シルヴァンたちが駆け寄った。
「これ、見てください!」
指さしたのは、処置をした根の近く。
朝まで完全に萎れていた一枚の葉が、僅かではあるものの、張りを取り戻していた。
「……」
シルヴァンがそっと葉へ触れる。
「確かに……」
白髪の学者も根元へしゃがみ込んだ。
「根の魔力反応も、ほんの僅かだが強くなっている」
「じゃあ――」
「ああ」
学者が顔を上げる。
「少なくとも、悪い方向には働いていない」
メルティの顔が明るくなった。
「よし!」
「まだ喜ぶのは早い」
シルヴァンが言う。
「明日まで様子を見る」
「はい!」
今度は素直に頷いた。
*
翌朝。
処置をした側の枝には、昨日より明らかに張りのある葉が増えていた。
「……間違いない」
学者が震える声で呟く。
「効いている」
その日から、エルフたちは少しずつ範囲を広げていった。
一度に土を入れ替えることはしない。古い土へ腐葉土を混ぜ、様子を見ながら次の場所へ進む。
メルティもシルヴァンも、毎日月光樹のもとへ通った。
「今日はこっちですね」
「ああ。その根は昨日より色がいい」
「シルヴァンさん、詳しくなりましたね」
「もともと私の森だ!」
「じゃあ、終わったらご飯にしましょう」
「……今日は何を作る?」
「やっぱり楽しみにしてるじゃないですか」
「作業効率のために聞いただけだ!」
「はいはい」
「その顔は信じていないだろう!」
そんなやり取りを繰り返しながら、数日が過ぎた。
*
三日目の夜。
里の上空には、大きな月が浮かんでいた。
メルティはシルヴァンや長老たちとともに、月光樹の下に立っていた。
「……かなり元気になりましたね」
最初に見た時とは、もう明らかに違う。
乾いていた幹には僅かな艶が戻り、萎れていた葉も少しずつ青さを取り戻している。
それでも、まだ花は咲いていない。
「今年は、間に合わないかもしれん」
長老が静かに言った。
「樹が生き延びただけでも、十分だ。我らはそれだけで――」
「……待ってください」
メルティが顔を上げた。
「何か、光ってません?」
「何?」
枝の先。
小さな一か所に、淡い青白い光が灯っている。
「――!」
全員が息を呑んだ。
それは、小さな蕾だった。
一つ。
その隣に、もう一つ。
さらにその先にも。
「月光花……」
長老の声が震える。
月明かりを受けるたびに、枝の先へ淡い光が増えていった。
そして。
――ふわり。
一輪の花が開いた。
「……!」
蒼白い花弁が、月明かりの下で静かに輝く。
続いて、もう一輪。
また一輪。
瞬く間に、というほどではない。
けれど確かに。
弱り切っていた月光樹が、自らの力で花を咲かせ始めていた。
「おお……」
長老が震える手で口元を覆った。
「戻ってきた……」
シルヴァンも言葉を失ったまま、大樹を見上げている。
やがて開いた花の一つが、静かに散った。
その根元に残ったのは――。
「……あ」
メルティが指さす。
ほんの指先ほどの、小さな透明な実。
「月光果……?」
「そうだ」
長老の目から、静かに涙がこぼれた。
「まだ幼い。収穫できるまでには時間がかかるだろう」
それでも、その声にはもう絶望はなかった。
「だが……再び実った」
「よかった……!」
メルティも大きく息を吐いた。
周囲のエルフたちから、ゆっくりと歓声が広がっていく。
誰かが抱き合い、誰かが涙を拭う。
シルヴァンは月光樹を見上げたまま、小さく呟いた。
「我々は、清らかであることばかりを求めすぎていたのかもしれないな」
「綺麗なものも大事ですけど」
メルティは笑う。
「いろんなものが混ざってる方が、美味しくなることもありますから」
「……また料理の話か」
「分かりやすいでしょう?」
「否定はしない」
シルヴァンも、ほんの少し笑った。
*
「メルティ殿」
長老がゆっくりと歩み寄る。
「この樹だけではない。我らは、大切なことを思い出させてもらった」
「私だけじゃないですよ」
メルティは首を振った。
「シルヴァンさんが昔の腐葉土のことを覚えてたし、学者さんたちが土を調べてくれたから分かったんです」
「……」
シルヴァンが少しだけ驚いたようにメルティを見る。
「みんなで治したんです」
長老はしばらく黙ったあと、深く頷いた。
「そうか」
そして、穏やかな笑みを浮かべる。
「では皆で、この夜を祝わねばならんな」
「――!」
メルティの耳がぴくりと動いた。
「祝う、ということは……?」
「覚えているとも」
長老は笑った。
「約束通り、熟成庫を開けよう」
「……!」
「我らが代々守ってきたエルダームーン。その中でも、長い年月を眠り続けた一本を用意させよう」
メルティの瞳が、これ以上ないほど輝いた。
「本当ですか!?」
「ああ」
「何年ですか!?」
「それは、見てからのお楽しみだ」
「ええっ!」
長老は楽しそうに笑い、里の方へ歩き始めた。
「ついて来るがいい」
「はい!」
勢いよく駆け出しかけて――。
メルティは一度だけ足を止めた。
振り返る。
月光の下で、淡い蒼色の花を咲かせる月光樹。
枝の先には、小さな小さな新しい果実。
「……元気になってよかったです」
そう呟いてから、メルティは再び長老たちの後を追った。
その足取りは、山を登ってきた時よりも、ずっと軽かった。




