第46話
古老に教わった山道を、メルティは休むことなく登り続けた。
鬱蒼と茂る木々の間を進むにつれ、空気は少しずつ冷たく湿っていく。やがて森の奥、苔と蔦に覆われた古びた石造りの建物が姿を現した。
ひび割れた柱。崩れかけた石段。長い年月の間に、建物そのものが森へ飲み込まれようとしている。
「――ここが、古代水脈遺跡」
メルティは入口の前で足を止めた。
中から流れてくる空気はひんやりとしている。
「……行ってみましょう」
ランタンへ火を灯し、薄暗い遺跡の中へ足を踏み入れた。
*
内部の壁には、何本もの石造りの水路が走っていた。
けれど、そのすべてが乾いている。溝の底には白い水垢だけが残り、長い間ここへ水が流れていないことを物語っていた。
「本当に、止まってますね……」
メルティはしゃがみ込み、水路の底へ指を這わせた。
乾いている。
けれど、壁際の一部だけには薄く苔が残っていた。
「……?」
ランタンを近づける。
苔は一本の水路に沿うように、遺跡の奥へと続いている。
「こっちは、少し前まで水が流れてた……?」
メルティはその跡を辿って進むことにした。
しばらく歩くと、三本の水路が交わる広間へ出た。
中央には巨大な石盤。
その周囲には、錆びついた三つの回転式の取っ手が並んでいる。
「……なんでしょう、これ」
石盤には古い絵が彫られていた。
一番上には山。
その下には、水晶のようなもの。
そこから二本の線が伸び、一方は湖へ、もう一方は畑へ続いている。
「山から……何かを通して……湖と畑に?」
メルティは首を傾げる。
「古老さんが言ってた、水と魔力を巡らせる仕組み……ですかね」
試しに、一番近くにあった取っ手へ手をかけた。
「これかな」
ぐっと回す。
――ゴゴゴゴゴ……。
「……!」
突然、広間の奥から重い駆動音が響いた。
石壁の一部が動き、中から巨大な石の巨人が姿を現す。
「ゴォオオオオッ!」
「えっ!?」
振り下ろされた拳を、メルティは慌てて躱した。
――ズガンッ!
床が大きく揺れる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
石の巨人――ガーディアンは、容赦なく次の攻撃を繰り出してくる。
メルティは反射的に拳を構えた。
「……いや」
そこで止まる。
周囲には、乾いた水路。
古びた石盤。
そして、壊れかけた操作装置。
「ここで倒したら、余計に分からなくなりそうです」
メルティは拳を下ろし、攻撃を躱しながら広間を見回した。
「というか……私、何か間違えました?」
ガーディアンが再び拳を振り上げる。
メルティはひらりと後ろへ跳び、先ほど動かした取っ手へ飛びついた。
「戻します!」
元の位置へ回す。
――カチン。
その瞬間。
「……?」
ガーディアンの動きが止まった。
振り上げられていた拳が、そのままゆっくりと下ろされていく。
「……やっぱり」
メルティはガーディアンと取っ手を交互に見た。
「これ、敵じゃないんですね」
間違った操作をした者を排除するための、遺跡の防衛装置。
そう考えれば辻褄が合う。
「となると……正しい順番がある?」
メルティは改めて石盤の絵へ目を向けた。
*
「山……水晶……湖と畑」
メルティは腕を組み、石盤の前で唸っていた。
「んー……」
こういうものは、あまり得意ではない。
魔物なら、弱点を見つければいい。
美味しいものなら、食べればいい。
けれど古代の装置となると、そう簡単にはいかなかった。
「……困りました」
しばらく石盤を眺めていた時だった。
ふと、一つのことに気づく。
「これ……傷?」
三つの取っ手のうち、一つだけ、根元の石がわずかに削れている。
何度も動かされてきた跡だった。
さらに、その取っ手から伸びる水路には、他よりも濃い水垢が残っている。
「最初は、これ?」
メルティは慎重に取っ手を回した。
――カチン。
ガーディアンは動かない。
「合ってます!」
少し嬉しくなった。
次に石盤を見る。
山から水晶へ。
そして水晶から湖と畑へ。
「じゃあ……山から来たものを、ここに通して……」
二つ目の取っ手を動かす。
――ゴゴ……。
水路の奥から、かすかな音が聞こえた。
「……水?」
耳を澄ませる。
ほんの僅かだが、どこか遠くで水が流れる音がしている。
「合ってる……!」
残る一つ。
メルティは最後の取っ手へ手をかけた。
「これで……!」
回す。
――ガコン。
広間全体に、低い音が響いた。
直後、中央の石盤がゆっくりと沈み始める。
「わっ……!」
その奥から現れたのは、地下へ続く石の階段だった。
同時に、先ほどまで立ちはだかっていたガーディアンが、その場に片膝をつく。
青白く光っていた目が、静かに消えた。
「……通っていいってことですか?」
もちろん返事はない。
「じゃあ、お邪魔します」
メルティはぺこりと頭を下げ、階段へ足を踏み入れた。
*
地下へ降りるほど、空気の湿り気が増していった。
壁を走る水路にも、ところどころ水滴が残っている。
「こっちには、水がある……」
ということは、水そのものが消えたわけではない。
どこかで止まっている。
メルティは足音を忍ばせながら、さらに奥へ進んだ。
やがて――。
「……!」
視界が大きく開ける。
辿り着いたのは、円形の巨大な広間だった。
その中央。
淡い青白い光を放つ巨大な水晶が、宙に浮かんでいる。
「これ……」
石盤に描かれていたものと同じだった。
「水脈の……中心?」
水晶からは本来、四方へ魔力が流れているのだろう。
けれど今は、その光がひどく弱い。
理由はすぐに分かった。
「……何ですか、これ」
水晶の表面へ、無数の黒い蔦が絡みついている。
太いもの。
細いもの。
まるで獲物を締め上げる蛇のように、水晶へ何重にも巻きついていた。
そして蔦が脈打つたび、水晶の光が僅かに吸い取られていく。
「これが……湖に届くはずの魔力を?」
メルティは慎重に近づく。
黒い蔦の隙間から見える水晶には、細かな亀裂がいくつも走っていた。
「……かなり弱ってます」
これを力任せに引き剥がすのは簡単だ。
蔦ごと吹き飛ばすことだってできる。
けれど――。
「水晶まで壊れちゃいますね」
メルティは拳を下ろした。
少し考える。
そして、腰へ手を伸ばした。
「……あ」
指先に触れたのは、ガラハドが作ってくれた銀白色の鞘。
ゆっくりと、星銀のナイフを抜く。
遺跡の淡い光を受け、刃が静かに輝いた。
「そうでした」
肉の繊維を潰さず。
柔らかな生ハムさえ、薄く切り分けられる刃。
そして何より――狙った場所だけを、余計な力を使わずに切ることができる。
メルティは水晶に絡みつく無数の蔦を見上げた。
「これなら……」
水晶を傷つけずに、蔦だけを切れるかもしれない。
メルティは大きく息を吸った。
星銀のナイフを、静かに構える。
「――やります」
この街の湖を。
畑を。
人々の食卓を。
そして、まだ食べられていない湖王鱒のムニエルを取り戻すために。
メルティは、最初の一本へと刃を近づけた。




