第43話
ドワーフ街の正門前には、朝の澄んだ空気の中、ガラハドと弟子たちが見送りに集まっていた。
「――刃の手入れを怠るなよ! 使ったあとは汚れを落として、たまには油も差してやれ。そうすりゃ、あいつは長くお前さんの相棒でいてくれる」
ガラハドが、いつもの豪快な声で言う。太い腕を組み、ぶっきらぼうな顔をしているものの、その声にはどこか名残惜しさが滲んでいた。
メルティは腰に下げた星銀のナイフへ、そっと手を添える。
「はい! 大切に使います!」
「大切にするだけじゃ駄目だぞ。ちゃんと使え!」
「それも言われましたね」
「分かってりゃいい!」
ガラハドが豪快に笑う。
「またいつでも来い! 次に来る時は、もっと美味い酒を用意しておいてやる!」
「新作のソーセージも食っていけよ、嬢ちゃん!」
「今度はもっと強いエールも飲ませてやる!」
「それ、楽しみです!」
弟子たちの声に、メルティも笑った。
ほんの数日前まで知らなかった街だった。それなのに今では、去ることが少しだけ惜しい。
「皆さん、本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げる。
「また来ます!」
「おう! 待ってるぞ!」
街道へ歩き出し、しばらくして振り返ると、ガラハドたちはまだ大きく手を振っていた。
メルティも負けじと手を振り返す。
「……また、ですね」
小さく呟くと、自然と口元が緩んだ。
腰には、新しい相棒。
そして胸の中には、また一つ、帰ってきたい場所が増えていた。
*
鉱山地帯を抜けるにつれ、周囲の景色は少しずつ変わっていった。
剥き出しの岩肌が減り、代わりに柔らかな土と緑が広がっていく。街道の両脇には名も知らない野花が揺れ、木々の合間から差し込む陽光が、道の上へまだらな模様を落としていた。
「気持ちいいですね……」
鉄と炎の匂いに満ちたドワーフ街とは、まるで別の世界だった。
小鳥の声と葉擦れの音を聞きながら歩き続け、昼が近づいた頃、メルティは街道沿いに大きな木を見つけた。
「んー……ここでお昼にしましょう」
木陰へ荷物を下ろし、途中の村で買った赤いリンゴと野苺を取り出す。そして荷物の奥から、まだ少し残っていた王室御用達の生ハムも取り出した。
「せっかくだから……」
腰から星銀のナイフを抜く。
リンゴへ刃を当て、軽く引いた。
――シャクッ。
「……!」
気持ちのいい音とともに、薄い一枚が綺麗に切り離された。
「やっぱり、よく切れます」
続けてもう一枚。今度は少し厚めに。まだ慣れていないはずなのに、刃が素直に進んでくれるおかげで、思った通りの厚さに切ることができる。
生ハムも薄く切り、リンゴの上へ重ねた。
「――いただきます」
ひとくち。
「んんっ!」
しゃきっとしたリンゴの食感と爽やかな甘酸っぱさ。そこへ生ハムの塩気と熟成された肉の旨味が重なる。
「これ、合います……!」
果汁の瑞々しさが生ハムの塩気を和らげ、今度はその塩気がリンゴの甘さを引き立てている。
メルティはもう一枚作り、嬉しそうに頬張った。
「ナイフがあると、こういう食べ方もできるんですね」
今までは、その場にあるものをそのまま食べることも多かった。けれど、切り方を変えるだけで組み合わせられるものが増える。
「……楽しいです」
野苺も口へ放り込む。甘酸っぱい果汁が広がり、歩き続けた体へ心地よく染みていった。
王宮の豪華な晩餐も好き。
賑やかな酒場の料理も好き。
けれど、木漏れ日の下で、自分のナイフを使って作った簡単な昼食も悪くない。
「んふぅ……美味しい」
メルティは木の幹へ背を預け、しばらく穏やかな昼の時間を楽しんだ。
*
日が傾き始めた頃、メルティは街道沿いに建つ大きな峠の茶屋へ辿り着いた。
軒先に吊るされたランタンには、すでに灯りがともっている。中へ入ると、旅人や商人たちの話し声が賑やかに響いていた。
「一番の名物と、温かいものをお願いします」
「あいよ!」
運ばれてきたのは、この辺りで採れた果実を使った甘口の酒と、根菜をたっぷり煮込んだ温かなスープだった。
メルティはまず、湯気の立つスープをひとくち。
「んん……」
柔らかく煮込まれた根菜の甘みと、優しい出汁の味が広がる。
「生き返ります……」
昼間は暖かかったものの、陽が落ちれば街道の空気は一気に冷えてくる。温かな料理が、歩き疲れた体に心地よかった。
果実酒を少し飲み、ほっと息を吐いた、その時だった。
「――そういや、この先の湖畔の街、大変らしいな」
隣のテーブルから聞こえてきた声に、メルティの耳がぴくりと動いた。
「ああ。湖で獲れる魚が、急に減ったんだろ?」
「そうそう。あそこの名物料理屋なんか、看板料理まで出せなくなってるらしいぜ」
「ずっと湖の魚で商売してきた街だ。長引いたら、漁師も料理屋も困るだろうな」
メルティのスプーンが止まった。
「……名物料理が、出せない?」
思わず隣の席へ顔を向ける。
商人たちは特にこちらを気にする様子もなく、話を続けていた。
「原因もよく分からねぇらしい。魚が獲れなくなっただけじゃなく、水の流れまで妙だって話だ」
「嫌な話だな。俺たちも今回は別の道を使うか」
「……」
メルティは静かにスプーンを置いた。
まだ行ったことのない街。
まだ食べたことのない名物料理。
けれど、その料理を作ってきた人たちも、それを楽しみにしてきた人たちもいるはずだ。
それが、このままなくなってしまう。
「……それは、困りますね」
以前なら、食べられなくなる前に急いで行かなければ、と思ったかもしれない。
もちろん今も、それは思っている。
けれど――それだけではなかった。
「せっかくの美味しいものが、なくなっちゃうのは嫌です」
メルティは残っていた煮込みを食べ終え、果実酒を最後のひとくちまで飲み干した。
「ごちそうさまでした!」
荷物を背負い、腰のナイフを確かめる。
外へ出れば、夕陽に染まった街道が湖畔の方角へと伸びていた。
「――よし」
メルティは、その先を見据える。
「次は、湖ですね!」
湖の魚に何が起きているのか。
名物料理は、まだ食べられるのか。
そして何より――美味しいものを楽しみに暮らしている人たちの食卓が、このまま失われてしまうのか。
確かめなければならないことが、また一つ増えた。
メルティは夕暮れの街道を、まだ見ぬ湖畔の街へ向かって歩き出した。




