第42話
両手いっぱいに食材を抱えたメルティが工房の扉を勢いよく開けると、鎚を振るっていたドワーフたちが一斉に手を止めた。
「ガラハドさん! 皆さん!」
「――なんだ、そのどデカい肉の塊は!?」
真っ先に声を上げたのは、汗まみれのシャツの袖で額を拭いながら近づいてきたガラハドだった。
工房には炉の熱気と鉄の匂いが漂い、壁際には使い込まれた工具がずらりと並んでいる。そんな無骨な空間へ、艶やかな生ハムの原木と大きな熟成チーズが運び込まれてきたのだから、弟子たちまで興味津々と集まってきた。
「お、おい。見ろよ、あの肉」
「ただの干し肉じゃねぇぞ……」
「どこで手に入れたんだ?」
メルティは得意げに胸を張った。
「アルベルト様からの差し入れです! 王室御用達の生ハムだそうです!」
「――は!?」
工房中が一斉にどよめく。
「王室御用達だと!?」
「そんな上物、俺たちが食っちまっていいのか?」
「罰当たりじゃねぇのか……?」
「いいんです!」
メルティは即答した。
「こんなにたくさん、私一人じゃ食べきれませんし。昨日ナイフを作ってもらったお礼もしたいので、皆さんで食べましょう!」
「……お礼、ねぇ」
ガラハドがわずかに目を細める。
けれどすぐに、いつもの豪快な笑みを浮かべた。
「そこまで言われちゃ、断る方が野暮ってもんだな!」
*
作業台の一角を片づけ、生ハムとチーズを並べる。
「それと、見ててください!」
メルティは腰から星銀のナイフを抜いた。
「このナイフ、すごいんです!」
「作った本人に言うことか、それ?」
「でもすごいんです!」
「わっはっは! なら見せてもらおうじゃねぇか!」
ガラハドと弟子たちが見守る中、メルティは生ハムの原木へ刃を当てる。
力を入れず、ゆっくりと引く。
――すっ。
一枚の生ハムが、刃の下からするりと離れた。
「……!」
薄い。
端をつまめば、向こう側の光がほんのり透けて見える。
「ほら!」
メルティが嬉しそうに掲げる。
「こんなに薄く切れるんです!」
ガラハドは何も言わず、切り口へ顔を近づけた。
「……なるほど」
生ハムの断面は潰れておらず、刃が通った跡も滑らかだった。
「俺が狙った通りだ。余計な力がかからねぇから、柔らけぇ肉でも断面を潰さずに済む」
そう言いながらも、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
「……いい仕事してやがるな、俺」
「自分で言うんですか?」
「自分で作ったんだからいいだろうが!」
弟子たちから笑い声が上がった。
「じゃあ、まずはそのままどうぞ!」
メルティが切った一枚を、大柄な弟子へ差し出す。
「お、おう……」
恐る恐る口へ運び――。
「――っ!?」
目を見開いた。
「なんだこれ……口の中でなくなったぞ!」
「どれ、俺にも寄越せ!」
「待て! 俺が先だ!」
「ちゃんと切りますから!」
メルティは笑いながら、次々と生ハムを薄く切っていく。
熟成された肉の旨味と脂の甘さ。それを引き締める絶妙な塩気に、朝から仕事をしていたドワーフたちは次々と手を伸ばした。
「うめぇ……!」
「これ、絶対エールに合うぞ!」
「まだ朝だぞ!」
「今さら何言ってやがる!」
工房に豪快な笑い声が響く。
*
「――そうだ」
生ハムを切っていたメルティの手が止まった。
「これ、少し温めたらもっと美味しくなりそうです!」
「お?」
まだ余熱の残る炭火台へ、ドワーフたちが普段食べている厚めのパンを置く。その上へ薄切りの生ハムを重ね、星銀のナイフで削いだ熟成チーズをたっぷり乗せた。
熱を受けたチーズが、ゆっくりと柔らかくなる。
生ハムの脂にも艶が戻り、焼けたパンとともに香ばしい匂いが漂い始めた。
「……これは」
周囲のドワーフたちが、いつの間にか炭火台を取り囲んでいる。
「いい匂いだな……」
「ですよね!」
チーズがとろりと溶けたところで、メルティが一枚を手に取った。
「――いただきます!」
熱々のパンへかぶりつく。
「んんんんっ!!」
香ばしく焼けたパンの上で、生ハムの塩気と熟成チーズの濃厚なコクが一つになる。噛むたびにパンの香ばしさまで重なり、さっきそのまま食べた時とはまるで別の味だった。
「これも美味しいです……!」
その一言を待っていたかのように、ドワーフたちが一斉に動いた。
「俺も作るぞ!」
「チーズもっと乗せろ!」
「乗せすぎだ! パンが見えねぇ!」
「こういうのは多い方がうめぇんだよ!」
たちまち炭火台の周りが騒がしくなる。
焼き加減を巡って「まだ早い」「もっと焦がせ」と真剣な口論まで始まり、メルティは思わず吹き出した。
「皆さん、料理になるとすごく真剣ですね」
「職人ってのはな、加減にうるせぇんだよ!」
ガラハドが胸を張る。
「鍛冶も肉も同じだ!」
「本当ですか?」
「……たぶんな!」
「たぶんなんですね」
*
しばらくすると、誰かが我慢できなくなったように声を上げた。
「こんなもん、酒なしで食えるか! エール持ってこい!」
「おお!」
いつの間にか冷えた樽出しエールが持ち込まれ、工房は完全に仕事どころではなくなっていた。
「今日はもう午前の仕事、終わりでいいだろ!」
「誰がそんなこと言った!」
「師匠も飲んでるじゃねぇか!」
「これは味見だ!」
「ジョッキ三杯目で!?」
工房中に笑い声が弾ける。
やがてガラハドが観念したようにジョッキを掲げた。
「……ったく、しょうがねぇ奴らだ」
それからメルティを見る。
「だがまあ、今日は特別だ」
「?」
「最高の素材を持って帰ってきた奴がいて、最高の刃物を作った職人がいて、その刃物で最高の肴まで切ってきやがった」
ガラハドは、にやりと笑った。
「だったら――飲まねぇ理由もねぇだろ!」
「おおおおっ!」
「乾杯だ!」
無数のジョッキが持ち上がる。
「星銀の一振りと、王室御用達のうめぇ肉に!」
「乾杯!!」
「乾杯です!」
木製ジョッキがぶつかり合う、小気味よい音が響いた。
*
賑やかな輪の中、メルティは生ハムを切りながら、ふと手元のナイフを見つめた。
昨日までは、自分が美味しいものを食べるために欲しかった一振り。
けれど今は、そのナイフで切った料理を囲み、ガラハドや弟子たちまで楽しそうに笑っている。
「……ふふ」
「なんだ、嬢ちゃん。急に笑って」
「いえ」
メルティは首を横に振ると、新しく切った生ハムをガラハドの皿へ乗せた。
「こういう使い方も、いいなって思って」
「……?」
ガラハドは意味が分からないような顔をしたものの、すぐに生ハムを口へ放り込んだ。
「うむ。やっぱり俺のナイフは最高だな!」
「そこに戻るんですね!」
「当たり前だ!」
二人の笑い声が重なる。
メルティも冷えたエールをひとくち飲み、周囲を見渡した。
鉄と炎の匂いに満ちていたはずの工房には、今は焼けたパンとチーズ、生ハムの香りが漂い、そこかしこで楽しそうな笑い声が響いている。
「このナイフがあれば、これからの旅の食事、もっと楽しみになりそうです」
「ああ。たっぷり使え!」
「はい!」
ガラハドから受け取った銀白色の一振りを大切に鞘へ戻すと、メルティは再びジョッキを掲げた。
その日の鉄樽都市では、昼を待たずして始まった宴の笑い声が、いつまでも賑やかに響いていた。




