第38話
旧鉱山ダンジョンの内部は、ひんやりとした空気と、湿った岩肌の匂いに満ちていた。
所々に埋め込まれた淡く光る鉱石が、坑道をぼんやりと照らし出している。メルティはガラハドから借りた小さなランタンを片手に、慎重に足を進めていった。
「んー、星銀鉱……どこにあるかな」
しばらく進んだ、その時。
――ガコン。
何か硬いもの同士がぶつかるような音が、坑道の奥から響いた。
「……?」
メルティが振り向く。
岩壁の隙間から姿を現したのは、鈍く光る結晶の甲殻を纏った、大きな蟹型の魔物だった。全身を覆う硬質な殻が、ランタンの光を受けて宝石のように輝いている。
「――岩晶蟹」
街へ向かう途中で耳にした、鉱山特有の魔物だった。
岩晶蟹は大きな鋏をカチカチと打ち鳴らすと、一気にメルティへ突進してくる。
メルティは反射的に腰のナイフへ手を伸ばし――そこで、ぴたりと止めた。
「……あ」
昨夜のガラハドの言葉が蘇る。
――刃が悪けりゃ、肉を“切る”んじゃねぇ。“押し潰す”ことになる。
メルティは腰のナイフをちらりと見る。
「せっかく食べるなら……綺麗なままの方がいいですよね」
すっと手を離し、代わりに軽く拳を構えた。
「ギギッ!」
振り下ろされた巨大な鋏をひらりと躱す。
狙うのは、分厚い甲殻そのものではない。
その継ぎ目。
「――ここです」
メルティの手刀が、正確に一点へ叩き込まれた。
――パキンッ。
硬い結晶質の装甲が、継ぎ目から綺麗に割れる。
岩晶蟹の巨体がぐらりと揺れ、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「……よし」
メルティはしゃがみ込み、甲殻の中を覗き込む。
「身は無事です!」
満足そうに頷くと、大きな岩晶蟹をひょいと抱え上げた。
*
少し進んだ先で、坑道が大きく開けた広場のような場所を見つけると、メルティは荷物を下ろした。
「よし。ここで一休みしましょう」
持ってきた薪を組み、火打ち石で火を起こす。ほどなくして、ぱちぱちと心地よい音を立てながら炎が上がった。
メルティは岩晶蟹を火のそばへ置き、甲殻ごとじっくりと焼いていく。
時間が経つにつれ、熱せられた殻の隙間から、香ばしい匂いが漂い始めた。
「……いい匂いです」
十分に火が通ったところで、先ほど割れた甲殻へ手をかける。
ぱかり。
「――わぁ……!」
湯気とともに現れたのは、ぎっしりと詰まった真っ白な身と、その奥に輝く濃い橙色のカニミソだった。
メルティはガラハドから餞別にもらった粗挽きの岩塩を、ぱらぱらと振りかける。
「――いただきます!」
まずは、白い身をひとくち。
「――んんんんっ!!」
ぷりっとした弾力の後から、蟹特有の甘みが一気に広がった。そこへ粗い岩塩の粒が当たり、身の甘さをさらに引き立てる。
「甘い……! 塩だけなのに、すっごく美味しいです!」
続いて、甲羅の奥に残ったカニミソをすくって口へ運ぶ。
「んんっ……!」
濃厚なコクと、独特の旨味。
少しだけ癖のあるその味を楽しんだところで、メルティは荷物の中から、しっかりと栓をされた小さな陶器瓶を取り出した。
昨夜、『頑固な黒髭亭』で分けてもらった黒ビールだった。
「これも、絶対合いますよね……!」
木製のカップへ注ぐ。
坑道の中に、焙煎麦芽の香ばしい匂いが広がった。
「――いただきます!」
ぐいっとひとくち。
「んくっ、んくっ……!」
力強い麦芽の風味と苦味が、カニミソの濃厚な余韻をすっと流していく。
「――プハァーッ!」
思わず声が漏れた。
「んふぅ……! 蟹と黒ビール、合います……!」
もうひとくち蟹を食べて、またビール。
ぷりっとした甘い身。濃厚なカニミソ。粗塩の塩気。そして黒ビールの香ばしい苦味。
「……幸せです」
地上の賑やかな酒場とは、まるで違う。
薄暗い鉱山の奥で、炭火の音を聞きながら、一人で味わう食事。
それでも――これはこれで、悪くない。
メルティは満ち足りた笑みを浮かべながら、もう一度黒ビールのカップを傾けた。
*
すっかり腹を満たしたメルティは、火をきちんと消し、残った甲殻を片付けてから、再び荷物を背負った。
「よし。続き、行きましょう!」
坑道の奥へ進んでいく。
やがて、周囲の岩肌に少しずつ変化が現れ始めた。
「……?」
ランタンを近づける。
岩の中に混じる無数の銀色の粒が、きらきらと光を反射していた。
「これは……」
メルティの足取りが速くなる。
進むほどに銀色の輝きは増していき、やがて――。
「わぁ……!」
視界が大きく開けた。
そこに広がっていたのは、岩壁一面を銀白色の輝きが覆う、巨大な採掘跡だった。
無数の鉱石の中、その最奥。
ひときわ強い光を放つ大きな鉱石の塊が、岩肌から突き出すようにして眠っている。
「――あれが」
メルティは、ごくりと喉を鳴らした。
「星銀鉱……!」
ようやく見つけた。
あれを持ち帰れば、ガラハドが最高のナイフを打ってくれる。
そして、そのナイフがあれば――。
「もっと美味しく、お肉が切れる……!」
目的を再確認するように小さく呟き、メルティは銀白色に輝く採掘エリアへと一歩踏み出した。
――だが。
その瞬間。
足元の地面が、わずかに震えた。
「……?」
メルティが立ち止まる。
ゴゴゴ……と、地の底から響くような音が、静かな最深部に広がり始めていた。




