第37話
差し出されたナイフを、老ドワーフ――ガラハドは、無言のまま受け取った。
太い指先で刃をなぞり、光にかざし、角度を変えながらじっくりと検分していく。その眼光は、先ほどまでの酔客のものとはまるで違う。長年、鉄と向き合ってきた職人の目だった。
しばしの沈黙の後、ガラハドは大きく顔をしかめた。
「――鈍らだな」
「なまくら?」
「ろくに切れねぇ刃物ってことだよ、嬢ちゃん」
ガラハドは、忌々しげにナイフを掲げてみせた。
「こんなもんを、よく今まで使ってきたな」
「そうですか? 結構、切れ味には満足してますけど」
「――お前さんが力任せに切ってるだけだ!」
「……?」
ガラハドは、先ほどメルティが切ろうとして潰してしまったソーセージを指さした。
「いいか。刃が悪けりゃ、肉を“切る”んじゃねぇ。“押し潰す”ことになる」
太い指で、ナイフの刃先を軽く叩く。
「せっかくの肉の繊維が潰れて、旨味も肉汁も逃げちまう。柔らけぇ肉なら、なおさらだ」
「――!!!」
その一言で、メルティの表情が一変した。
「それは、大問題です」
「だろう!?」
ガラハドは、我が意を得たりとばかりに身を乗り出した。
「上等な肉ほど、切り方ひとつで味が変わる。こんな鈍らで最高の食材を台無しにされちゃ、鍛冶職人として見過ごせねぇ」
メルティは改めて、自分のナイフを見つめた。
これまで特に不満を感じたことはなかった。切れなければ、少し力を込めればいい。そんな程度にしか考えていなかったのだ。
「刃物で……そんなに変わるんですね」
「変わるとも」
ガラハドは当然のように答えると、勢いよく立ち上がった。
「――決めたぞ。俺が、お前さんに最高のナイフを打ってやる」
「――!!!!」
メルティの瞳が、まばゆいばかりに輝いた。
「本当ですか!?」
「ああ。肉だろうが魚だろうが、繊維を潰さず、すっと刃が入る。旅先でも使える、お前さん専用の一振りだ」
「欲しいです!!」
「即答かよ」
「だって、お肉がもっと美味しくなるんですよね!?」
「わっはっは! そういうことだ!」
ガラハドは豪快に笑った。
*
だが、しばらくすると、ガラハドはふっと笑みを消し、腕を組んだ。
「――ただし、一つ問題がある」
「なんですか?」
「俺が打つからには、中途半端なもんは作りたくねぇ。最高の一振りにするなら、必要な鉱石がある」
ガラハドは声を落とした。
「『星銀鉱』だ」
「ほしぎんこう……」
「ああ。軽く、硬く、それでいて刃先をとことん薄く仕上げられる。切れ味と強さを両立させるなら、あれ以上の素材はねぇ」
だが、とガラハドは続ける。
「今じゃ滅多に採れん。確実に残ってるとすりゃ、街の外れにある『旧鉱山ダンジョン』の最深部くらいだ」
「ダンジョン」
「昔はこの街の鉱山だったんだがな。魔物が住み着いてからは、ほとんど誰も奥まで入らなくなった。腕の立つ冒険者でも、簡単に行ける場所じゃねぇ」
ガラハドは深いため息をついた。
しかしメルティは、そんな危険性には大して興味を示さなかった。
「あの」
「あ?」
「その星銀鉱でナイフを作ったら、お肉がもっと綺麗に切れるんですよね?」
「そりゃあもう」
ガラハドは胸を張る。
「よく研いだ星銀の刃なら、柔らけぇ肉に当てただけですっと入る。余計な力もいらねぇ。肉汁も逃がさん」
次の瞬間。
メルティが勢いよく立ち上がった。
「――今すぐ取りに行ってきます!」
「――は!?」
ガラハドが目を剥く。
「お、おい待て! 今からか!?」
「はい! 早く新しいナイフが欲しいので!」
そのまま扉へ向かおうとするメルティの襟首を、ガラハドが慌てて掴んだ。
「待て待て待て! もう夜だ! 明日にしろ、明日に!」
「でも……」
「鉱石は逃げねぇ!」
「お肉は?」
「それも逃げねぇよ!」
「なら……」
メルティは名残惜しそうに扉を見る。
ガラハドはそんな彼女に呆れたように息を吐くと、新しい木樽ジョッキをどんとカウンターへ置いた。
「まずは今夜の酒を楽しめ。せっかくいい飲みっぷりを見せてもらったんだ。このまま帰すのは俺の主義に反する」
「……!」
「明日の朝、鉱山への道を教えてやる。それまでは俺のおごりだ!」
「ありがとうございます!」
あっさりと機嫌を直したメルティは、差し出されたジョッキを嬉しそうに受け取った。
「それじゃあ、お言葉に甘えて!」
「おうよ! 飲め飲め!」
二人は木樽ジョッキをこつんと合わせ、そのまま豪快に呷った。
周囲のドワーフたちも、いつの間にかその輪へ加わっていく。
「嬢ちゃんとガラハドの旦那が意気投合するとはな!」
「あの偏屈じじいが、こんな楽しそうに飲んでるのは久しぶりだぜ!」
「うるせぇ! 誰が偏屈じじいだ!」
「わっはっはっは!」
豪快な笑い声が、店中に響き渡る。
メルティもつられるように笑いながら、再びジョッキを傾けた。
黒ビールのほろ苦さと、燻製料理の香り。
その夜、鍛冶と酒の街で出会った老職人とメルティは、すっかり意気投合し、夜が更けるまで酒を酌み交わしたのだった。
*
翌朝。
すっきりとした顔で目を覚ましたメルティは、旅支度を整え、街の外れへと向かった。
「――ここが、旧鉱山ダンジョンの入り口だ」
約束通り、ガラハドが朝から見送りに来ていた。
二人の目の前には、岩肌にぽっかりと開いた古い坑道。朽ちかけた支柱には苔が生え、その奥には朝の光さえ届かない暗闇が続いている。
「星銀鉱が残ってるとすりゃ、かなり奥だ。昔の採掘跡を辿っていけば、最深部まで行けるはずだが……」
ガラハドはメルティを見て、念を押す。
「危険な場所だ。無茶はするなよ」
「はい!」
メルティは元気よく頷いた。
「星銀鉱、絶対に見つけてきます!」
「ああ。持って帰ってきたら――俺が最高の一振りにしてやる」
「……!」
メルティの瞳が輝く。
「それで、美味しいお肉をいっぱい切りましょうね!」
「わっはっは! お前さん、本当にそこしか考えてねぇな!」
「大事なことです!」
「違いねぇ!」
ガラハドの豪快な笑い声に見送られながら、メルティは薄暗い坑道へと足を踏み入れた。
目指すは、伝説の星銀鉱。
そしてその先に待つ――もっと美味しく肉を食べられる、新しいナイフ。
「楽しみです……!」
弾むような足取りで、メルティは旧鉱山ダンジョンの奥へと進んでいった。




