第36話
第36話・改稿版
王都での賑やかな宴を終えたメルティは、旅装を整え、また新たな街へと歩を進めていた。
目指すは、大陸の北西に位置する、鍛冶と醸造の街――『鉄樽都市』。ドワーフたちが治めるその街には、世界中の酒好きが唸るという、極上のクラフトビールがあるのだという。
街へ近づくにつれ、工房から響く槌の音が風に乗って聞こえてきた。やがて醸造所が立ち並ぶ一角を通りかかると、麦芽を焙煎する香ばしい匂いが漂ってくる。
「――っ」
メルティの足取りが、自然と速くなった。
「これは……最高の予感がします……!」
*
城門の両脇に巨大な飾り樽が並ぶ、独特の街並み。その先に広がっていたのは、大槌を振るう鍛冶の音と豪快な笑い声に満ちた、活気ある街だった。
石畳の通りには武具を並べる店と酒樽を積み上げた店が軒を連ね、通りを行き交うドワーフたちは、仕事を終えたばかりなのか、あちこちで酒場の話に花を咲かせている。
街で一番賑わっているという酒場を探し、メルティが辿り着いたのは、大きな看板に立派な髭面が描かれた店だった。
『頑固な黒髭亭』
重い木製の扉を開けた瞬間、むわりとした熱気と、大勢の笑い声が押し寄せてくる。
店内には、太い腕と豊かな髭を持つ屈強なドワーフたちがひしめき合い、大きな木製ジョッキを片手に豪快に飲み騒いでいた。
「おいおい、なんだこりゃ」
入ってきたメルティに気づいた、ひときわ体格の良いドワーフが笑い声を上げた。
「迷子か、お嬢ちゃん? ここはガキの来る場所じゃねぇぞ!」
「わっはっは! ミルクなら向こうの店だ!」
「果実ジュースが飲みたいなら、広場の店へ行きな!」
周囲のドワーフたちも、面白がるようにどっと沸き立つ。だが、メルティは意にも介さず、迷わずカウンター席に腰かけた。
「――一番濃くて美味しいビールと、一番豪快なお肉料理をください」
「――は?」
堂々とした注文に、近くのドワーフたちが顔を見合わせた。
カウンターの奥にいた、これまた立派な黒髭を蓄えた店主が、興味深そうに片眉を上げる。
「おいおい、嬢ちゃん。うちのビールは大人向けだぞ。飲める歳なのか?」
「はい。二十四歳です」
「……本当か?」
「本当です」
メルティが冒険者証を差し出すと、店主は記された年齢を確かめ、目を丸くした。
「二十四……!? こりゃ驚いた。見た目で判断しちまって悪かったな」
「いえ。それより、ビールをお願いします!」
「わっはっは! よし、気に入った! うちの自慢を出してやろう!」
*
ほどなくして、どんとカウンターに置かれたのは、無骨な木樽ジョッキだった。中には、きめ細かな泡をたっぷりと纏った、漆黒のクラフトビールが満たされている。
「無濾過の黒ビールだ。焙煎した麦芽を贅沢に使った、うちの醸造所自慢の一杯でな」
同時に運ばれてきたのは、太く立派なソーセージ。こんがりとした焼き色のついた皮からは香ばしい匂いが漂い、傍らには厚切りの燻製チーズも添えられていた。
「――いただきます!」
メルティは、まずソーセージにかぶりつく。
――パリッ!
小気味よい音とともに皮が弾け、熱々の肉汁が口の中へ広がった。
「――んんんんっ!!」
粗挽き肉の力強い旨味に、黒胡椒と香辛料の刺激が重なる。噛むほどに肉の美味しさが増していき、思わずもうひとくち頬張ってしまう。
続けて燻製チーズを口へ運ぶと、凝縮されたミルクのコクと、薪の香りが鼻へ抜けた。
「濃い……! お肉もチーズも、全部濃厚……!」
そして、いよいよ待ちに待った黒ビール。
メルティは木樽ジョッキを両手で持ち上げると、まずは立ち昇る香りを楽しんだ。
「……あぁ、いい香り……!」
香ばしい麦芽の奥に、ほのかに感じるビターチョコレートのような香り。期待に胸を膨らませながら、ぐいっと喉へ流し込む。
「――んくっ、んくっ……!」
濃密な泡が舌を包み、力強い麦芽の風味が一気に広がった。しっかりとした苦味の後から、焙煎麦芽ならではの香ばしさと、ほのかな甘みが追いかけてくる。
「――プハァーッ!!」
ジョッキをカウンターに置くと、メルティの顔いっぱいに至福の笑みが咲いた。
「美味しい……!! この苦味、お肉とすっごく合います……!」
もうひとくちソーセージを食べ、再び黒ビールを飲む。
「んんっ……! お肉の脂がすっきりして、また食べたくなります……!」
その幸せそうな様子を、周囲のドワーフたちがじっと見つめていた。
「……おい、見たか?」
「あの嬢ちゃん、うちの黒ビールの味が分かるらしいぞ」
「しかも、あのソーセージと合わせるとはな!」
先ほどまでからかっていたドワーフの一人が、にやりと笑ってジョッキを掲げた。
「嬢ちゃん、分かってるじゃねぇか!」
「ありがとうございます! すっごく美味しいです!」
「気に入った! 次の一杯は俺のおごりだ!」
「おい、俺にもおごらせろ!」
「わっはっは! だったら、みんなで乾杯だ!」
次々とジョッキが掲げられ、メルティも嬉しそうに自分のジョッキを持ち上げる。
「――かんぱーい!!」
豪快な笑い声と、木製ジョッキのぶつかり合う音が店内に響き渡った。
先ほどまで迷子扱いされていた少女は、いつの間にかドワーフたちに囲まれ、すっかり酒宴の中心になっていた。
*
賑やかな喧騒の中、メルティが何杯目かのビールを味わっていた、その時だった。
「……あれ?」
追加で注文した大きなソーセージを切り分けようと、腰から愛用のナイフを抜いたメルティが、小さく首を傾げた。
刃を入れても、思ったように切れない。力を込めると、せっかくの張りのある皮が少し潰れてしまった。
「んー……まあ、いいですか」
メルティは結局、そのまま豪快にかぶりつくことにした。
その様子を、カウンターの隅からじっと見つめている者がいた。
一人静かに酒を飲んでいた、老ドワーフだった。
使い込まれた革の前掛けに、無骨な手。髭に覆われた顔には深い皺が刻まれ、その眼光だけが、周囲の陽気な酔客たちとは明らかに異なっていた。
老ドワーフの視線は、メルティが何気なく腰へ戻したナイフに釘づけになっている。
「……ふん」
小さく鼻を鳴らすと、老ドワーフは飲みかけのジョッキを置いた。
「――嬢ちゃん」
低く、しゃがれた声が響いた。
「はい?」
メルティが振り向くと、老ドワーフは険しい目つきのまま、まっすぐこちらを見据えていた。
「その腰のナイフ……ちょいと、見せちゃもらえねぇか」
「ナイフ、ですか?」
「ああ」
老ドワーフの視線が、再びメルティの腰元へ落ちる。
「……そいつじゃ、せっかくの肉が台無しだ」
「――!」
その言葉に、メルティの手がぴたりと止まった。
近くで飲んでいたドワーフたちも、老ドワーフが口を開いたことに気づき、ちらちらと二人へ視線を向け始める。
それまで陽気な笑い声に包まれていたカウンターの一角に、わずかな緊張が走った。
メルティは手にしていたソーセージをそっと皿へ戻し、腰のナイフに目を向ける。
「……お肉が、台無し?」
その表情が、今夜初めて真剣なものに変わった。




