第34話
長い通路を抜けた先、三人が辿り着いたのは、天井から柔らかな光が差し込む、神秘的な広間だった。
中央には、これまで見てきたどの木よりも荘厳な大樹がそびえ立っている。その根元には、黒々とした塊が土の間からいくつも顔を覗かせていた。近づくにつれ、これまで嗅いだことのないほど濃厚で複雑な香りが、辺り一面に漂ってくる。
「――これが」
フィンが震える声で呟いた。
「『神聖黒トリュフ』……! 資料でしか見たことがありません……!」
「わぁ……」
メルティもうっとりとその香りに目を細める。今にも駆け寄って収穫したいのを、なんとか堪えているようだった。
だが、その時。
大樹の奥で、地面が大きく揺れた。
「――!!」
巨大な影が、ゆっくりと立ち上がる。
姿を現したのは、鈍く光る岩のような鱗を全身に纏った、山のように巨大な竜だった。
「古代魔岩龍……!」
フィンが息を呑む。
古代王家が、この地に遺した守護者。
「ゴオオオオオオオオオッ!!!」
凄まじい咆哮とともに、その巨体から圧倒的な威圧感が放たれる。
「――二人とも下がっていろ!」
ヴァルターが果敢に前へ躍り出て、剣を構えた。迫る巨腕へ真正面から剣を合わせる。
――ガアァンッ!!
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃に剣が弾かれ、ヴァルターの体が大きく後方へ吹き飛ばされた。
「騎士団長さん!」
メルティが駆け寄ろうとした瞬間、守護竜の瞳がぎろりと彼女を捉える。
「ゴォオオオオッ!!!」
巨大な口が開き、その奥へ桁外れの魔力が凝縮されていく。
「――!」
メルティの表情が強張った。
あれほどの力をまともにぶつけ合えば、守護竜を倒すこと自体はできる。
だが――メルティの視線が、大樹の根元へ向いた。
「……トリュフ」
大樹のすぐそばには、今まさに探し求めていた神聖黒トリュフが群生している。ここで全力をぶつければ、守護竜と一緒に何もかも吹き飛ぶ。
「――そんなことしたら、トリュフが潰れちゃいます!!」
切迫した声とともに、メルティは守護竜の前へ飛び出した。
次の瞬間、凄まじい魔力の奔流が放たれる。
「――っ、くぅ……!」
メルティはそれを真正面から受け止めた。ただ力で押し返すのではない。大樹へ向かう衝撃を受け流し、方向を逸らし、余波を可能な限り自分の側へ引き寄せる。僅かな角度の違いで、その背後にあるトリュフが傷つく。
額に、じわりと汗が浮かんだ。
「な……」
なんとか体勢を立て直したヴァルターが、その光景に目を見開く。
メルティは、守護竜の力に押し負けているわけではなかった。倒すだけなら、もっと簡単な方法がある。それを選ばず、背後の大樹と黒トリュフへ一切の被害を出さないために、桁外れの力を細かく制御しながら戦っている。
(あれほどの力を……ここまで抑えながら戦えるというのか)
ヴァルターは、思わず息を呑んだ。
「ゴアアアアアアアッ!!!」
業を煮やした守護竜が、再び巨腕を振り上げる。
メルティはその一撃を躱しながら、少しずつ位置を変えていった。正面から打ち倒すのではなく、攻撃を誘いながら、守護竜の巨体を大樹から引き離していく。
「――もう、少し……!」
一歩、さらに一歩。
やがて守護竜が、大樹から十分な距離まで離れた。
その瞬間、メルティの瞳に鋭い集中の色が宿る。
「――そこです」
守護竜の胸元。岩の鱗の奥で、かすかに魔力が脈打っている一点。
メルティは拳へ力を集中させると、その一点だけを正確に打ち抜いた。
――パシュン。
拍子抜けするほど小さな音が響く。
守護竜の動きが止まった。次の瞬間、山のような巨体がゆっくりと傾き、その場へ重く崩れ落ちる。
爆発も、衝撃波も起きない。
大樹も、その根元に生える神聖黒トリュフも、何ひとつ傷ついてはいなかった。
「――っ、はぁ……」
メルティは大きく息を吐くと、その場にへなへなと座り込んだ。
「よかった……トリュフ、無事……」
疲れたように笑いながらも、その視線は真っ先に大樹の根元へ向いている。
ヴァルターは、そんなメルティをしばらく呆然と見つめていた。
「……そこまでして、トリュフを守るのか」
「もちろんです。せっかくここまで来たのに、潰したら食べられないじゃないですか」
「……なるほど。そなたらしい理由だ」
ヴァルターが小さく息を吐いた、その時だった。
――ゴゴゴゴゴ……。
「……?」
大樹の奥から、低い地響きが聞こえてくる。
三人が振り返ると、それまで何の変哲もない石壁にしか見えなかった場所へ古い紋様が浮かび上がり、ゆっくりと左右へ開き始めていた。
「守護竜を倒したことで、封印が解けたのでしょうか……」
フィンが慎重に中を覗き込む。
現れたのは、小さな石造りの保管庫だった。内部には淡い光を放つ古代の魔法陣が刻まれ、その中央には、厚い布に包まれた大きな塊が安置されている。
「……まさか」
フィンが息を呑み、ゆっくりと近づいた。
布を開く。
「――これは……!」
現れたのは、深い赤褐色をした大きな肉塊だった。
「もう一つの王家秘蔵の食材……『至高の熟成魔獣肉』です!」
「――!!」
先ほどまで床に座り込んでいたメルティが、勢いよく顔を上げた。
「お肉もありました!!」
「げ、元気になりましたね……」
フィンは苦笑しながらも、肉の状態を慎重に確かめる。
「古代の保存魔法が、今も生きています。長い年月をかけて熟成されながら、劣化だけは防がれていたようですね」
「じゃあ、食べられるんですか!?」
「はい。むしろ、これほど状態のいい熟成肉は、僕も見たことがありません」
「……!」
メルティの瞳に、一瞬で力が戻った。
フィンは神聖黒トリュフと熟成魔獣肉を交互に見つめ、興奮を隠しきれない様子で続ける。
「この二つを合わせれば……とんでもない一皿が作れると思います」
「持って帰りましょう。今すぐ」
即答だった。
「……先ほどまで座り込んでいたとは思えんな」
ヴァルターの呟きに、フィンも思わず笑いを漏らした。
*
王宮の最下層、迷宮の入り口では、アルベルトが扉の前を落ち着きなく行ったり来たりしていた。
「まだか……! まだ戻らんのか……!」
その時、重厚な扉がゆっくりと開いた。
「――!」
その向こうから、メルティ、フィン、ヴァルターの三人が姿を現す。
「メルティ!!」
アルベルトが真っ先に駆け寄った。
「無事か!? 怪我はないか!?」
「はい!」
メルティは満面の笑みで頷くと、抱えていた黒トリュフを誇らしげに掲げた。
「トリュフも無事でした! それに――」
後ろではフィンとヴァルターが、厳重に包まれた大きな肉塊を運んでいる。
「お肉もありました!!」
「……お、おお」
あまりにも嬉しそうなメルティを前に、アルベルトが一瞬言葉を失う。
後ろから歩いてきたヴァルターが、なんとも言えない表情で口を開いた。
「殿下。ご安心ください。彼女は無事です」
「そ、そうか……」
「そして、身を張って守った神聖黒トリュフも、その奥に保管されていた熟成魔獣肉も、見事に無傷でございます」
「……そうか」
アルベルトはメルティと大量の食材を交互に見つめ、しばらく何とも言えない表情を浮かべていたが、やがて力が抜けたように深く息を吐いた。
「……まあ、そなたが無事ならば、それでよい」
「?」
メルティは不思議そうに首を傾げたものの、すぐにフィンへ向き直った。
「フィンさん! トリュフとお肉で、最高のお料理をお願いします!」
「はい! 腕によりをかけますね!」
「楽しみです……!」
早くも料理のことで頭がいっぱいになっているメルティを見て、アルベルトは苦笑する。
こうして一行は、二つの王家秘蔵の食材――神聖黒トリュフと至高の熟成魔獣肉を携え、これから始まる至高の晩餐へと思いを馳せながら、王宮へと戻っていった。




