第32話
晩餐会の熱気も冷めやらぬ中、メルティはアルベルトに連れられ、王宮の奥深く――普段は決して人目に触れることのない、隠し応接室へと案内されていた。
重厚な扉が閉ざされると、アルベルトはようやく、これまでの改まった表情を崩し、少しばかり興奮気味に切り出した。
「実はな、メルティ」
声をわずかに落とし、周囲を気にするような素振りを見せる。
「王宮の地下深くには、代々の王家しか知らぬ、隠された迷宮があるのだ。その名も――『古代王家の試練迷宮』」
「迷宮……」
「その最深部には、伝説の極上食材が眠っているという。『神聖黒トリュフ』、そして『至高の熟成魔獣肉』――」
「――!!!!」
メルティの体が、ぴくりと反応した。
「王家の始祖が、後の世のために遺したという、いわば……この国の『とっておき』だ」
アルベルトが言い終えるより先に、メルティの瞳はこれ以上ないほど爛々と輝いていた。
「今すぐ行ってきます!!」
「――は!?」
言うが早いか、メルティはすでに扉へ向かって駆け出そうとしていた。
「ま、待て待て待て――!!」
アルベルトが慌てて、その小さな体をなんとか引き止める。
「一人で行かせるわけにはいかん! そなた、腹が減った勢いで迷宮ごと破壊しかねんだろう!」
「え、そんなことしません」
「いや、これまでの実績からして、十分あり得る……!」
アルベルトは青ざめた顔で首を横に振ると、慌ただしく手を叩いた。
「――誰か! 例の二人を呼べ!」
*
ほどなくして、応接室に現れたのは二人の人物だった。
一人は、鋭い眼光を持つ屈強な壮年の武人。身に纏った鎧からは、幾多の戦場をくぐり抜けてきた者特有の重厚な気配が滲んでいる。もう一人は、白いコック帽を被った、まだ若い料理人だった。
「お呼びでしょうか、殿下」
武人が片膝をつき、恭しく頭を下げる。
「うむ。近衛騎士団長ヴァルター。そなたには、このメルティ殿の護衛――もとい、迷宮探索への同行を頼みたい」
「――は?」
ヴァルターは初めて視線をメルティへと向けた。小柄で華奢な、どう見ても年若い少女にしか見えない姿を前に、その眉がわずかに寄る。
「殿下、失礼ながら……この娘の護衛を、私が?」
「いいから、頼む」
妙に切実なアルベルトの口調に、ヴァルターは訝しげな表情を浮かべたものの、やがて静かに頷いた。
「……殿下の御命令とあらば」
もう一人の若い料理人は、やや緊張した面持ちで一礼した。
「宮廷料理人見習いのフィンと申します。迷宮については、残されている資料で多少学んでおります。現地での調理も、お任せください」
「よろしくお願いします!」
メルティは、フィンの言葉に目を輝かせながら、深々と頭を下げた。
「現地で料理してもらえるなんて、最高です!」
その屈託のない喜びように、フィンは少し驚いたように瞬きをしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「精一杯、腕を振るわせていただきます」
一方、ヴァルターは依然として半信半疑な様子で、メルティを観察していた。
「……本当に、この少女が邪神を討伐したというのか」
小さく漏れた言葉に、メルティはにっこりと笑いかけた。
「騎士団長さんも、お腹が空いたら言ってくださいね。フィンさんが美味しいもの、作ってくれるみたいですし」
「――は?」
あまりにも呑気な返答に、ヴァルターは思わず言葉を失った。護衛するはずの相手から、まさか食事の心配をされるとは思っていなかったのだろう。
「……変わった娘だ」
小さく零れた呟きに、隣にいたアルベルトが深く頷いた。
「そうだろう、そうだろう。だが、それが良いところでもあるのだ」
「はぁ……」
ヴァルターは釈然としない様子ながらも、それ以上は何も言わず、腰の剣に手を添えた。
*
一行が案内されたのは、王宮の最下層――幾重もの魔法陣によって守られた、巨大な石の扉の前だった。
「これより先が、古代王家の試練迷宮だ」
アルベルトの合図とともに、扉に刻まれた古びた紋様が淡い光を放つ。やがて重い音を響かせながら、巨大な扉がゆっくりと開いていった。
中から流れ出してきたのは、ひやりとした冷気と、長い年月閉ざされていた場所特有の、乾いた空気だった。
「……あの奥に、伝説の食材が」
メルティは、開かれた闇の奥をじっと見つめる。その表情には、不安よりも圧倒的な期待が浮かんでいた。
「本当に、この娘が……」
ヴァルターがなおも懐疑的な視線を送る隣で、フィンは緊張しながらも、どこか期待の入り混じった表情を浮かべている。
アルベルトはそんな三人を、心配そうに、それでも確かな信頼を込めて見つめた。
「頼んだぞ、皆。無事に――できれば、迷宮も壊さずに戻ってきてくれ」
「はい! 任せてください!」
メルティは勢いよく頷くと、闇の奥へと視線を向けた。
「――待っていてください、至高の食材……!」
その声には、これまでのどんな冒険にも負けないほどの期待が滲んでいた。
こうしてメルティ、フィン、そして未だ半信半疑のヴァルターは、冷たい空気の漂う古代迷宮へと足を踏み入れていった。




