第24話
牛すじ煮込みを堪能した後、メルティは満腹のお腹をさすりながら、のんびりと露店街を歩いていた。
色とりどりの野菜や、焼き菓子、雑貨を並べる店々を眺めながら歩いていたその時、ふと、少し先で言い争うような声が聞こえてきた。
「――だから、今月はもうこれ以上払えないんだよ!」
声の主は、小さな露店の奥で、必死に両手を広げて自分の商品を守ろうとしている、白髪の老婆だった。目の前には、柄の悪い男が二人、下卑た笑みを浮かべながら立ちはだかっている。
「うるせえな、婆さん。払えねぇなら、この店をたたむしかねぇんじゃねぇか?」
「そ、それだけは……! ここは、亡くなった夫と二人で始めた店なんだ……!」
震える声で訴える老婆に、男たちはにやにやと笑いながら、乱暴に露店の商品を蹴り飛ばそうとする。
「――あの」
メルティは、その様子を見て、迷わず足を止めた。
「困ってる人に、意地悪しちゃダメです」
「あぁ? なんだ、ガキが偉そうに――」
振り向いた男が、面倒臭そうにメルティへ手を伸ばしかけた、その瞬間。
メルティは、軽く曲げた指先を、ぴんと弾いた。
「――こら」
パチンッ、という小気味よい音とともに、男の巨体が、まるで見えない壁にでもぶつかったかのように、勢いよく吹き飛んでいった。もう一人の男も、慌てて逃げ出そうとしたところを、同じように軽い一撃で沈められる。
あっという間に、二人組のならず者は、露店の外に伸びていた。
「――だいじょうぶですか?」
メルティが老婆に声をかけると、老婆はしばし呆然と目を丸くしていたが、やがて、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「あ、あんた……! 本当にありがとうよ……!」
*
感謝しきりの老婆に連れられて、メルティは路地裏にひっそりと佇む、小さな食堂へと案内された。
「これはほんの気持ちだけど、どうか召し上がっとくれ」
運ばれてきたのは、こんがりと黄金色に揚がった、分厚い豚カツだった。傍らには、爽やかなハーブの香るタルタルソースが添えられている。そして、氷を浮かべた、淡く色づく発泡酒のグラスも。
「王都の黄金豚カツと、うちの店特製の冷やしりんご発泡酒だよ。息子が丹精込めて育ててる豚でね」
「わぁ……いい匂い……」
メルティは早速、豚カツにナイフを入れる。サクッという小気味よい音とともに、断面から、じゅわりと肉汁が滲み出した。
一口。
「――んんんんっ!!」
サクサクの衣を噛み締めた瞬間、その奥から、極上の豚肉ならではの甘い脂と、濃厚な肉汁が溢れ出す。噛むほどに広がる旨味に、思わず頬が緩んだ。
「お肉、甘い……! 脂が全然しつこくない……!」
そこに、爽やかなハーブタルタルをたっぷりと絡めて、もうひとくち。
「んんっ……! さっぱりしてて、いくらでも食べられそう……!」
続けて、キリッと冷えたりんご発泡酒をひとくち。
「――んっ!」
シュワシュワと弾ける泡とともに、フルーティーな甘みと爽やかな酸味が、口の中に広がっていく。豚カツの脂を、すっと洗い流すような清涼感に、思わずため息が漏れた。
「んふぅ~……! 助けて良かったです……!」
揚げたての豚カツと、冷たい発泡酒。その絶妙な組み合わせを味わいながら、メルティは満ち足りた笑顔を浮かべていた。周囲を助けたことへの見返りというよりも、ただ単純に、この一皿とこの一杯が、心から美味しかったのだ。
*
豚カツを綺麗に平らげ、満足げに一息ついたその時だった。
通りの向こうから、慌ただしい足音とともに、ギルドの職員らしき男が、真っ青な顔で駆け抜けていく。
「た、大変だ! 冒険者ギルドに緊急招集がかかった……! 北の古代遺跡で、とんでもないことが起きてる……!」
その叫び声に、食堂内が一瞬でざわめいた。
「な、なんだって?」
「北の古代遺跡って言や、大昔に封じられた邪神様がいるって噂の……!」
「あそこに派遣されてた調査隊が、今もう連絡が取れねぇらしい……! なんでも、封印に異常が出てるとか……!」
ざわめきの中、メルティの手が、静かに止まった。
――先日、隣のテーブルで耳にした、あの何気ない噂話。
「……本当だったんですね」
小さく呟き、メルティは空になったグラスを、そっとテーブルに置いた。
いつもの、のんびりとした気配が、その瞳から、すっと消えていく。
「――行かないと」
立ち上がったメルティに、老婆が心配そうな声をかけた。
「あんた、どこへ行くんだい」
「北の遺跡です」
「な、なんだって!? あそこは危険だって話だよ、あんたみたいな子が行くところじゃ――」
「大丈夫です」
メルティは、老婆に向かって、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべた。だがその奥には、これまで見せたことのない、静かで確かな覚悟が滲んでいた。
「――この街の美味しいご飯とお酒が奪われるのは、困りますから」
その言葉には、これまでの旅の中で出会った、数え切れないほどの美味しい料理と、温かい人々との時間が、確かに込められていた。
メルティは食堂を後にすると、迷いのない足取りで、北の方角――かつて誰も足を踏み入れなかった、封印の地へと向かって、歩き出していった。
街の喧騒が、少しずつ遠ざかっていく。
その先に何が待ち受けているのか――メルティ自身、まだ知る由もなかった。




